自己紹介
𝒦𝒾𝓎𝑜𝑒 𝒪.です。
生まれは神奈川県横浜市。
関西の両親から一人娘として生まれました。
父親は転勤族で、小学校一年生までの約4年間は、中国の北京にて過ごしました。駐在員の集まるアパートで、守衛さんが24時間態勢で守ってくれる、幼稚園はインターナショナルキンダーガーデンで、英語でした。
中国にいながらも、国際的でどちらかと言うと西洋の文化(イースター、ハロウィン、インディアン、クリスマス)に物心ついたから、触れてましたね。
小学校2年生に上がる時、日本へ本帰国。
逆カルチャーショックが凄まじかった。
給食も持ち物もルールだらけ。途中から入ってきた私に、「三角食べができていない」と男子に怒られる。
下の名前で呼ばれず、お父さんやお母さんが本来反応するであろう「名字」+さん付けで呼ばれることに衝撃だった。
まだ8歳なのに… その時強く思った。笑
先生との距離を圧倒的に感じながらも始まった新生活。
出る杭は打たれる、という感覚はこの頃既に痛感しました。
引っ込み思案になって、声も小さくなって、おとなしくなった。
中高は都内の女子校へ。
全然楽しくなかった(笑)
将来に夢も希望も見出せなかった高校一年生の時、見兼ねた?母が、「オーストラリアへ2週間行って来なさい」と。
英語の成績、だけでなく学年全体で後ろから数えた方が早かった私は、反抗期真っ只中だし、はぁ!??!という感じ。
16歳の冬休み、最後まで喧嘩越しで「行ってやるよ!!!」と飛行機に乗った。
幼少期から家族旅行は多く、飛行機はへっちゃらだった。でも生まれて初めての一人旅。
すっげーーーーー!!と目を見開いて、何から何までエキサイティング(笑)うるさい親も学校のことも考えなくて良い。
2週間はとても濃かった。たった2週間なのに、別れ際は泣いた。当たり前が当たり前じゃなかった。自分の置かれた環境や悩みがとてもちっぽけに思えた。
まぁ、そんな一回だけじゃ私の素行は変わるわけではなく(笑)高校2年の夏休みは、ギャルに憧れて(笑)髪の毛ブリーチ、ピアス、日サロなんかに手出していた。
夏休みになり、母親再び登場!
「ハワイとイギリスどっちがいい」とテーブルにパンフレットを置いた。また2週間のホームステイだ。
ハワイに決まってんじゃん!!!!✨✨
バケーション気分で、決めた。
私が初めて足を運んで見た大学が、後に入学することとなる、ハワイ州立大学マノア校だった。
ホストマザーの知り合いの大学生が連れてってくれた。
当時夏休み。少人数のクラスの授業が行われていた。いわゆるサマークラスと言って、夏休みも勉強してさっさと単位取りたい人なんかが積極的に取る。
授業を見学させてくれた。
極寒の教室。周りは金髪のねーちゃんやおにーちゃん。
暫くして、サンタクロースみたいな裸足のおっさんが入ってきた。なんだこいつぅ!と思ったらその方が教授だった。
自由。とにかく自由。格好も、机の向きも、きっちりしてない。なのに言葉は分からなくとも、情熱に溢れていたのは確かだった。知りたいという一心で、学ぶ。これこそが学びの本質だと思った。私もここへ入ったら変わるかもしれない。
灰色の景色が彩られる、そう直感した。
長くなりましたが、
こうして日本の大学へは行かず、英語のビリで苦労しましたが時間をかけて、無事卒業証書も貰いました!
日本は帰国後は右も左も分からず、既にアラサー26歳だったかな?
色々ずれているし、でも仲間が欲しくて寂しかったし、もがいてました。
紆余曲折を経て、今は沖縄にいます。今年で3年目。
こんな私ですが、興味があったらまた読みにきてください( ◜ᴗ◝)喜びます˚✧₊
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