次に子どもを虐待するのは、"あなた"かもしれない。
女性保育士が男児を虐待をしたのが話題だけど、
"この保育士を叩く人たち"にちょっと言いたいです。
虐待って他人事じゃない。
次に子どもを虐待するのは"あなた"かもしれないです。
○"正当化された暴力"と"暴力への欲求"
こういう事件が報道されると、必ず加害者を"サンドバッグ"として使う方々が現れます。
「こんなやつが保育士とかありえない。」
「見た目からしてヤバそう。」
「イライラを子どもにぶつける最低な女!」
と言った感じで、「児童に暴行を加えた」という女性
をサンドバッグ状態。
「児童に暴行すること」は決して許されないけど、「児童を暴行した人を(言葉で)暴行すること」は許される、と考えてるわけです。
そういう人はこの手の「正当化された暴力」が大好きで、日頃のストレス解消の手段としているように見えます。
確かにこの保育士は児童を虐待したわけだし、それはもちろん許されることじゃないから擁護はできないです。
でもだからといって、この保育士を徹底的に叩いて良い、ってことにはならないです。
この"袋叩き"をやめてほしい理由は、「人として間違ってる」とか「もっと健全なことでストレスを発散すべき」とかっていう自己啓発的な話ではなくて、
シンプルに社会が良い方向に進まないから。
迷惑行為なのでやめてほしいってことです。
どういうことか説明します。
○虐待する人は「異常者」ではない。
虐待した人を徹底的に叩くってことは、
「頭がおかしい」「ありえない」っていう"異常者認定"するってことなんですけど、これが良くないです。
身体的な虐待の報告って毎年数万件以上もあるんですよ。
まずこの時点で加害者を「異常者」とするには数が多すぎて、異常者の定義から外れてしまうわけです。
そして「虐待はしてないけど、頭によぎった人」、言い換えると「虐待予備軍の人」ってのはその何倍、何十倍もいると推定されます。
ここから
「児童に苛立つことは誰にでもありうる。
その中でストレスがかかりすぎて、一部に実際に虐待してしまう人がいるよね」
というのが実情と言えそうです。
つまり、虐待に"健常者"と"異常者"なんていう明確な線引きはなくて、時と場合によっては"誰もが虐待する側"になりうるわけです。
そんな中で実際に虐待した人を「異常者」認定したらどうなるでしょう?
「虐待した人だけがおかしいよね。」
「あいつは自分らとは違うよね。」
虐待した人を「異常者」認定して、「虐待」を"対岸の火事"のように扱い、やり過ごす。
それは雑草の芽だけ刈って、庭がキレイになったと満足してるのと同じで、ただの"その場しのぎ"にしかなりません。
根から除去したり、除草剤を使ったり、手間はかかるけどそっちの方が根本的な解決になります。
例えば、
・できるだけ常に複数の人の目が入る環境にする。
(人が見ている中で虐待は起こりづらいはずなので。)
・保育士の定期的な心理カウンセリング
・児童の理解を深めるための保育士への教育
など。
考えられることはいくらでもあると思います。
僕自身、次に虐待するのは自分かもしれない、という意識でこの話に向き合っていきたいと考えてます。
誹謗中傷で終わらせず、
どうすれば虐待を減らせるかを一緒に考えませんか?
最後までお読みいただきありがとうございました。
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