見出し画像

0718 身体は地球の一部🌏

※生理体験を元に考えたことを綴るので、苦手な人は注意。

昨日は昼くらいに起きた後、クリエイトに食パンとクリームチーズを買いにいって、前日母に貰ったブルーベリージャムで、ブルーベリートーストを焼いた。自炊好きじゃないけど、こういう貰い物を機会に、楽しむためにやる支度は気分良くできるものだなぁと思いながら夫とムシャムシャ。温めたバターロールも久々に食べると美味しかった。

そのあと約束のペーパーマリオをダウンロードして、夫とプレイ。しかし、17時くらいに眠くなってしまい仮眠。19時半に起きてお風呂に入って、野菜を摂るためにお好み焼き屋さんに向かった。

わたしはピルユーザーなので、毎月生理がずれることはなく、決まって金曜日の夜〜土曜日の昼頃に始まるのだけれど、お風呂に入る際、昨日は土曜の夜だというのに、まだ生理が来なくて不思議(不安)だった。前日、いつもの生理直前の頭痛が始まったから確実にすぐ来ると思ってたのに。

念のためナプキンを敷いて、お好み焼き屋さんへ。

久しぶりのお好み焼き屋さんは美味しくて大満足だったのに、食べてる途中で急に腹痛が。

わたしは昔から、生理の本当直前、ありえないくらいお腹を下すことがあって、学生の時には、電車の中で座り込むくらいだったのだけれど、社会人になってピルを飲み始めてからというもの、少しお腹の調子が悪くなるくらいになっていて、こんな痛みは久しぶりだった。
多分食べすぎた腹痛と、生理の腹痛が重なったのかもしれない。食べかけのお好み焼きを残し、バタバタとトイレに駆け込むとちょうど生理が始まった。生理と食べすぎ?で、お腹は激痛なのに、その時点では消化が進んでたわけではなく、出るものも出ず(笑)ただただ脂汗をかく腹痛に耐える時間が続き、途中あまりの痛みで食べたものを全部吐き戻してしまった。

最終的には、お腹をしっかり下して(笑)無事トイレから脱出できたけど、悠に40〜50分はトイレでもがき苦しんでた。(待たせてた夫には申し訳なかった。)お腹の痛みって、本当に全ての余裕が消え去るし、あまりにも痛いと気が遠くなるから、途中、本当にこのまま終わりが来なければ救急車呼ぼうかと思った。。。

お腹が落ち着いた隙に、帰宅した後は、胃の中だけじゃなくて、もう完全に体力も空っぽ状態。普段半袖ショートパンツで過ごしてるわたしがタオルケットに包まるくらいには体が冷え切っていて横になって脱力していた。

脱力してるけど、あまりの痛みなら頭だけはフル回転していた。
思い返すと今回は、排卵あたりから、生理前の症状が、ピル以前のように重かった。(胸の張りが特に辛かった。)この腹痛も久しぶり。そもそも、ピル飲んでからも、眠気の度合いや頭の痛さなど、症状はいつも大なり小なりムラがある。

自分の体のことなのに、全然わからないな...

そんなことから、「自分の」だと思ってるこの身体もただの地球の1細胞に過ぎないような気がしてきた。

自然災害と一緒で、突然身体の猛威にさらされることもあるし、環境問題と一緒で、不摂生を続けていれば異常(病気)が起こる。


普段、自分の身体は、「わたし」の持ち物で、「わたし」の支配下、管理下にあるような気がしているけど、こうした自分では予期できない身体の自然災害に見舞われると、「わたし」は、地球にすんでる人間同様、身体という未知の母体に棲んでいて、「わたし」という魂の宿借り場に過ぎないのだろうか。わたしの心とわたし身体の関係ってなんなんだろうか。


日中、三浦春馬くんの悲報を聞いたのも、こんな考えに至った要因だったかもしれない。

特別ファンというわけではなかったけれど、14歳の母とか、学生のときから目に入り続けていた役者なだけあって、テレビドラマとかで見かけないと、「三浦春馬って最近何してるんだろう?」って思い出すくらいには関心のある役者さんだった。

他殺説もあるようだけど、自殺だとしたら何故命を絶ってしまったのだろうか。普通に考えれば何か思い詰めるものがあったのかもしれないし、逆に何もなかったのかもしれない。事実は、本人にしかわからないし、本人もどこまで自覚を持って死んでいったのかはわからないけれど、命ってなんなんだろうかと月並に考えるきっかけだった。

魂が身体の宿借りに過ぎないんだとすれば、身体を殺めることで心は救われるのだろうか。救われる云々ではなく、もう身体は要らなくなっただけのことなのだろうか。

大学で学んだ哲学が多少なりとも活きているおかげで、生き辛くなったような、人生が楽しくなったような。

答えのないことを考えるのって面白いけど難しいね。


お腹の痛みは、間違いなくわたしの痛みだったので、答えが分かるまで、身体は大切にしておくことにする。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?