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『日記を書いたあとの今日』
閉まったカーテンを見つめながら、鉛筆の先をいじる。
書くことがない。
今日は、何もなかった。
日記をつけ始めて10日目。
こうして書く内容に悩むのは、通算で9回目のこと。
10日前は筆が乗っていた。なんてったって初日である。
持て余した休日、何の気なしに入った占いの館で、
「人生のクライマックスが迫っている」と言われた。
粛々と実家暮らし、大学もオンライン授業で暇。
公私ともに「何もない生活」を送る私にとって、
これ以上ない大事件。
「これは…今日から日記をつけなくては」と、大学ノートを買って帰った。人生のクライマックスまでの道のりを、成功の“フリ“となる日々を克明に記録したい。これは私が絶頂に至るまでのドキュメンタリーなのである。
そもそも、私の人生の「クライマックス」とはなんだろう?交際ゼロ日で大富豪と結婚するのだろうか。街で突然スカウトされて、いきなり大ブレイク女優に?朝ドラなら出てみたい。主役は大変そうなので、最初の2週と、中盤の忘れた頃に再登場するムードメーカーな幼馴染みの役がいいな。そうなれば、間違いなく私の人生はピークを迎える。
そんな夢を並べ立てた初日の日記。
しかしそれ以降、特に書くことがない。生活に、なんのドラマも起きない。
クライマックスまでのフリとはいえ、もう少し何か起きてもいいだろうに。
今日は10日目。午後6時18分。
またこうして、無地の紙とにらめっこしている。
そしたら、ピンときました。
もしかしたら、「日記を書こうとしている」から、ドラマが起きないのかもしれない。泣こうと思ったら泣けない、みたいな。
昔からそうだ。私がドームに応援しに行く日に限って、いつもジャイアンツは同点で試合を終える。繰り広げられるのは接戦ではなく、シンプルな0対0の「なんでもない試合」だ。見どころも、ピークもない。そういえば、「クライマックス」と「ピーク」って、少しニュアンス違うんですかね?
他にも「今日は気分が良いからゴミを拾おう」という日に限って、街頭に空き缶ひとつ落ちていなかったりするんです。
私が何かしようとすると、世界がバランスを取りに来ている。
日記を書こうとしている私をみて、私の生活からドラマを取り上げたに違いない。
ならば、世界を騙してやろう。
日記を書いたフリをするのだ。
私が日記を書き終われば、世界も油断してうっかり「ドラマ」を懐からこぼしてしまうに違いない。そうすれば私の人生に、いずれ大きな「クライマックス」がやってくる。“日記を書いたあとの今日”に、私は賭けようと思う。
「わなはさたまめすなめよなにゃーふっぽんぽん」
10日目のページにでたらめな言葉を書いて、これ見よがしに日記を閉じる。さぁ、書き終わったぞ。どうだ。
カーテンを開けて、窓を開く。
世界というのがどこに居るのか分からないが、とりあえず空に向かって、もう一度、見せつけるようにして、日記を閉じる。
背の低い民家と田畑が立ち並ぶ景色の向こうの方に、今にも隕石が落ちようとしていた。
そういえば、「クライマックス」と「ピーク」って、少しニュアンス違うんですかね?
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