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『東京のハズレの家』
ピンポーン
チャイムを聞きつけ、勢いよく玄関に駆け寄る。
勢い余って、ドア横に立てかけていた木製バットに足を引っかけた。
寄りかかるようにドアを押し開けると、友人Aが笑顔で立っている。
「なんだ…。」
「なんだとはなんだ。お前が呼んだんだろ。」
「最近、この辺りピンポンダッシュが多いからさ。もしかしたら、って…」
「ピンポンダッシュ捕まえたいんだったら、出てくるの遅すぎるよ。」
「…まぁ、入ってよ。」
Aを招き入れ、私は靴を履いたまま、玄関の縁に腰掛ける。
「なに座ってんの?」
「とりあえず、玄関で待機。」
「は?中入っていい?」
「お前もとりあえず、玄関で待機」
「どういうことだよ。」
「その靴箱の上、座っていいから」
「急に呼びつけて、お茶も出さないどころか、俺は玄関に立たされるの?」
「だから座っていいって、その上。」
Aは不満げに、重そうなリュックを僕のそばに投げてから、
腰より少し高い靴箱に手をつき、勢いよく上に乗った。
「リュック重そうだね。」
「そっちが暇つぶしになりそうなもの持ってこいって言ったんじゃん」
リュックを勝手に開けて、中を探ってみる。
トランプに、小さな将棋盤。あぁ懐かしい、ベイブレードだ。
「いっぱい持ってきたね。」
「家族でキャンプ行ったばっかりだったから、まとまって置いてたのよ。それ、息子のカバン。」
「お前ん家はキャンプ好きだね~。寝袋で体の疲れが取れるの?」
「まぁ自然でリフレッシュしてるからね。プラマイゼロだよ。」
「プラマイゼロじゃ意味ないだろ。」
底の方へと手を伸ばし、大きな塊を引っ張り上げると、緑色のプラスチックが現れた。
「これ、なんだっけ」
「ワニね。歯を順に押していって、ハズレの歯を選んだら指を食われるやつ。」
「これ、やろう」
「ここで?」
「うん。」
スイッチを入れる。
「虫歯探しゲーム!虫歯を押したら負けワニ〜!」
粗っぽい音声と共に、ワニの呼吸音が流れ始める。
このオモチャ、喋るんだ。知らなかった。
右の奥歯を押して、Aにワニを手渡す。
「これ、噛まれたら結構痛いの?」
「痛いよ~。そりゃ、急に虫歯を押されたらキレるよね〜。」
Aは前歯を押す。セーフ。
ワニの顔をわざわざこっちに向けてから、手渡してくる。真面目な奴だ。ハサミじゃないんだから。
「そういえば、今日はちゃんと車で来た?」
「こんな東京の外れのマンション、言われなくても車で来るよ。でも、安い駐車場探すのが大変でね。」
「どこに停めたの?」
「歩いて10分ぐらいのところ」
「そっか…遠いな…」
反対の奥歯を押す。セーフ。Aにまたワニを戻す。
残り7本、いつ噛まれてもおかしくない。
「いやーどれにしようかな」
「でもさ、たとえ虫歯が一本も無かったとしても、そんなに歯を何度も何度も押されて口の中に指突っ込まれたら、ムカつくよな。指だけじゃなくて、頭まで噛みちぎりたくなるよ。」
「怖いこと言ってるなぁ。」
「俺なら噛むね。指とかじゃなく頭からガブッと。神様も【人の歯を触るなら、自分の頭を差し出しなさい】って言ってたよ。」
「言ってないよ。頬でしょ。」
Aは、また前歯を押す。セーフだ。
もしかしてだが、前歯を押すのは優しい彼なりの気遣いなのかもしれない。自分だったら、奥歯を触られるよりは、前歯を触られた方がまだマシだし。
彼はおもちゃのワニにさえ、気を遣っているのだろうか。
わざわざ聞いてみるほどは、気にならなかったけれど。
人工的な呼吸音が、小さな玄関に反響する。
何分聞き続けても慣れない音だ。
あぁ、分からないけど、そろそろ噛まれそうだな。
ピンポーン
玄関で聞くチャイムは驚くほど大きく感じた。
ドアの外、勢いよくコンクリを蹴る運動靴の音が、
少しずつ遠ざかっていく。
「車、下に用意しといて。あ、あと寝袋も。」
“ハズレの家”を押してしまった誰かさんを、噛まなくてはならない。私はバットを握りしめ、玄関を飛び出した。
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