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『日本人にとって美しさとは何か』(高階秀爾)を読んで

『日本人にとって美しさとは何か』を読みました。

本書は高階秀爾さんが過去に寄せた記事や自身の書籍の一部、講演の記録の編集版をうまく集めて構成されてます。テーマも多様です。

鈴木大拙によれば「俳句の理解は、禅の悟りにつながる」。というわけで本書のなかで、俳句に関連した箇所にふれていきます。

実体の美と状況の美

まずはわかりやすい事例を。たとえば「一番美しい動物は何か」といった質問をアメリカでするとどうなるか。すぐ「馬」とか「ライオン」とか、何か返ってくる。ところが日本人はこの質問に迷うらしいのです。

「うーん、夕焼けの空に小鳥がぱあっと飛び立つところかな?」

こんな具合の答えになることが多いのだとか。

ここまでキレイな回答するかは置いておいて、状況描写を入れたくなる気持ちはわかります。

日本人は実体物としての美を捉えるよりか、どのような場所に美が生まれるかということに感性を働かせてきたようです。つまり「実体の美」に対する「状況の美」です。

で、状況の美を表す典型例が芭蕉の俳句です。

たとえば、

古池や蛙飛びこむ水の音

この一句は、ただ古い池に蛙が飛びこんだその一瞬、そこに生じる緊張感を孕んだ静寂の世界に芭蕉は美を見出しました。

そこには何の実体物もなく、あるのは状況のみ。

創造行為としての解釈

その頃、俳句づくりにあたって、一座の仲間たちと意見を求めたり、議論したりすることがよくあったのだとか。「古池や〜」の一句もそうして生まれているようです。

芭蕉は「蛙飛びこむ水の音」の七五を先に得て、上五を何にするか議論があったと。そのときある仲間は「山吹や」を提案したらしいのです。しかし芭蕉はしりぞけて自ら「古池や」に定めたといいます。

ひとりで黙々と創作しているイメージだったので、このあたりの過程はとてもおもしろいですね。芭蕉の美意識が垣間見えるのですが、なかでも軸が一本通っているエピソードが『去来抄』にあるといいます。

『去来抄』には、芭蕉の俳句についての考えや挿話がいろいろある。で、本題です。

下京や雪つむ上の夜の雨

野沢凡兆の名吟とされているものですが、最初に「雪つむ上の夜の雨」がこちらもできていた。で、上五をどうするか。

芭蕉は「下京や」で決まりだと言った。しかし凡兆はなんとなく納得していないかんじだったらしいのです。

すると芭蕉は「これ以上のものがあるなら、自分は二度と俳諧については語らない」と断言した。

しびれました。

わかる口をきけるような人間ではありませんが、創作の世界において特定の状況下ではめるならこのパーツしかあり得ないという瞬間がときおり訪れる。

論理的な説明よりも経験の集積による「これが合うとしかいえない」という感覚。

大拙は「日本人の心の強味は最深の真理を直接的につかみ、表象を借りてこれをまざまざと現実的に表現することにある」といいましたが、やはり俳句は奥深い。とってもクリエイティブ。

あ、もちろん本書は俳句以外にも、日本人と美について語られていてどれも興味深いです。

というわけで以上です!

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