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密教思想の中核に迫る!『空海の哲学』(竹村牧男)を読んで

いま「三密」といえば誰もが小池都知事を思い浮かべて「密閉・密集・密接」という言葉を口にするわけですが空海はプンスカしているかもしれません。

密教の修行・教えの「三密」でいえば「身密・口密・意密」「こっちだろう!」と。

そもそも密教て何なんだ?

かつてイロモネアでお笑いコンビのシャカがピンク・レディーのUFOの曲と動きにあわせて「ミッキョ―(密教)」と言って笑いを取っていたけれど、語呂はキャッチーでどことなく神秘的、気になるワードでした。

読んだきっかけ

『教養としての仏教』『日本仏教史』を読んで、空海のえげつなさを感じ始めまして、本来の「三密」も「密教」も不勉強のまま、ひとまず本書を手に取りました。

湯川秀樹は空海を不世出の大天才と評し「アリストテレスやダヴィンチと比べて、むしろ空海の方が幅広い」とまで言いました。そのスケールをすこしでも感じられる一冊です。

本書はざっくり二部構成。一部は空海の生涯、密教の思想史にふれます。二部、ここからが本番でして空海の思想の核心である『即身成仏義』の読解とそのまとめ。

「即身成仏」とはほんとざっくりいえば「この世のうちに仏となること」で、その道の教えが「義」。ミイラの「即身仏」とはまったくの別モノ。

さて内容は「新書をなめることなかれ」でして具体的な読解である6〜9章は正直、素人にとっては笑っちゃうほどむずかしい。だけどその手前の外観と10章のまとめがあるので理解できないことはありません。

で、けっきょく何を言ってるのか

本書の趣旨を一文で表すと「空海の考えのコアである『即身成仏義』の「即身成仏」とは何か」についての解説です。

読んだ解釈としては「即身成仏とは多義的に解釈が可能であり、その前提のうえで重要なのは自己と他者との関係性のなかで生きていることを自覚し、大日如来(仏)が自分であると気付くこと」。

「で、そのために密教の修行がある」という解釈をしました。

密教とは、仏教をベースにしつつも根本に大日如来を据え、直々の説法という体裁、そして曼荼羅、独自の修行。

なんだか、くっきーの「宇宙(うちゅー!)」が若干見え隠れしています。

空海のダイナミズム

奇跡的なタイミングで遣唐使となった空海は、当時の最先端である密教の大家である恵果阿闍梨から教えを受けます。

密教の経典とは「大日経」と「金剛頂経」なのですがそれらを編集し、一体化させて独自の思想体系をつくりあげたのが空海。

さらに『日本仏教史』でふれたように、淳和天皇から経典の提出を求められた空海は「ここぞ!」と『秘密曼荼羅十住心論』をしたためます。

密教の優位性を示すため、他の仏教を入れ込む=ひとまず肯定したうえで、十段階つまり「その極地が密教だ!」とアピールしました。

即身成仏のとらえ方

密教はそもそも大乗仏教=顕教の修道論へのカウンターという位置づけでもあります。300年に一度ふわふわの布で岩石をこすって、それが摩耗しきる「三却」で「成仏」って遅すぎるだろ!と。

で、即身成仏における「即身」という言葉に目が行きますが、法然の易行的な簡素化とは一部ベクトルは同じかも知れないけれど、その複雑性はぜんぜん異なっていて一筋縄にはいきません。

かんたんにいうと、即身の「即」というのは「すぐに!」ではなく、自己と他者が入り交じるようなニュアンス

仏教の「縁」的でもあり、哲学でいえば現象学的な領域の話になる。ここに空海の独自解釈が入っているようです。

「成仏」というワードも、これから仏に成るという意味ではなく、訓読みや多義的な解釈によって「すでに仏になっていることに気付く」ことを意味します。

そもそも密教そのものが大日如来の直接的な教えでもあるため、経典の内容に関してもその記述の解釈において通常の字義から飛躍している場合もありますし、この即身成仏という四字を理解するだけでもめっちゃむずかしい。

っていう状況そのものがおもしろい。

空海の空白の10年

本書でもさらっとしかふれていないのですが、『三教指帰』を著した24歳から遣唐使として唐へ出立する31歳までの間に何をしていたのか、まったくといって記録がないようです。

当時の平均寿命からしても20代の7年間とは大事なはずで、そこで修行に励んでいたのでしょうが、いったい何をしていたのか...!

ミステリアスな空海であります。

というわけで以上です!


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