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『幼年期の終わり』を読んでみた〜光文社古典新訳文庫を読もうシリーズ〜

一生をかけて光文社古典新訳文庫をじっくり読んでみる。そんなシリーズを始めてみようと思います。

巨匠アーサー・C・クラークの傑作SF小説『幼年期の終わり』。1953年に原書刊行されたSFオールタイム・ベストの定番。

スタンリー・キューブリックとの『2001年宇宙の旅』では、高度な地球外生命体はけっして姿を見せなかったけれど、本作では「フツー」に具体的な描写で登場する。

人類と未知の知的生命体との邂逅・関係性をおもしろく読んだので、そこにふれたいと思いつつ、まずはあらすじをおさらいします。

地球上空に、突如として現れた巨大な宇宙船。オーヴァーロード(最高君主)と呼ばれる異星人は姿を見せることなく人類を統治し、平和で理想的な社会をもたらした。彼らの真の目的はなにか? 異星人との遭遇によって新たな道を歩み始める人類の姿を哲学的に描いた傑作SF。

本書は三部構成となっています。

一部:地球とオーヴァーロード
二部:黄金期
三部:最後の世代

未知との遭遇

巨大な円盤が悠然と飛来し、世界の主要都市の上空に現れます。意外だったのは異星人(オーヴァーロード)は、ゆるやかに地球を統治し、その圧倒的な知能、力をもって世界平和を実現させてしまう。

人種差別や動物虐待を行う者は罰せられる。ただし力を振りかざすことはなく、二度と起こす気を無くさせる。そうして、いつの間にか「共生」し、人類は彼らに親しみさえ持つようになる。

怪しむ者も当然いて、姿を見せないオーヴァーロードへの不満が噴出するも、彼らは50年後に顔を晒すと宣言する。ここまでが一部。

文化の衰退と預言

いまやユートピアとなった世界。手軽な娯楽に溢れ、芸術は衰退する。宗教は仏教を除いては純化し、いってみれば文化は死を遂げます。

おもしろかったのは人工の芸術都市であるニューアテネの描き方。文化の衰退に対してなんとか抵抗としようとする人もいる。

いまや映像娯楽は一生かかっても見きれない。だからこそライブを大事にし、いつでも生で観劇できる環境をつくり出した。

出版当時の日本ではオーヴァーロードの統治を敗戦に重ねた人もいるはず。いまなら、テクノロジーの進化あるいは国家を超えたグローバル企業を重ねる読み方もあるかもしれない。

情報過多の現代、エンターテインメントが蛇口をひねれば出てくる、まさにインフラと化しているなか、ニューアテネのような芸術都市は妙なリアリティを感じました。

真の目的と圧倒的スケール

オーヴァーロードは50年後、約束どおりに姿を見せます。なんとその姿は人類がイメージしている悪魔そのものだった。

さらに驚くのは、古代文明に紡がれた神話・伝説は「未来の記憶」だったのだ。つまり、オーヴァーロードと人類の邂逅がかつて古代に訪れたわけではなく、科学では説明できない類いのもの。

最後の三部では、衝撃の真実が明かされます。オーヴァーロードが地球に来た目的、彼らの哀しいポジション、そして「幼年期の終わり」が意味する壮大なビジョン。

皮肉にもオーヴァーロードは支配者ではなく、その上位の存在オーヴァーマインドの召使いであり道具に過ぎなかった...。そこには自我や意識といった、いっさいの個が入り込む余地がない。

自我が確立されていない子供は一体化し、オーヴァーロードに吸収され、新たな進化を遂げる。絶滅する大人たち。幼年期の終わりとは、何を表しているのか!?

というわけで以上です!


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