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400年読み継がれてきた言葉の宝庫『菜根譚』(洪自誠)を読んで

「誰が言うか」で言葉に箔がつくけれど、本書はどちらかというと「何を言うか」の力で中国の明代の末期から400年読み継がれてきた古典といえるのではないでしょうか。

松下幸之助、田中角栄といった各界のリーダーたちが愛読してきた理由も読むとわかってきます。

洪自誠という人は都会のエリート生活を経て、田舎で隠居しながら晩年に本書を仕上げたのではないか?

道教的・仏教的

儒・仏・道の三教を兼修したとふれこみにはあるけれど、莊子の道教的な考え方・思想が印象的でした。

わかりやすい例ですと、

妬まれるから出世はほどほどにしておけ!」(137.爵位は宜しく)だとか、

都会を離れた田舎暮らしをこと新しく話す者は、ほんとうには田舎暮らしの趣を会得しているとか限らない」だとか(後集1.山林の楽しみを談ずる者は)。

仏教的で印象的だったのは「世間の人々は『我』という一文字を、あまりにも真実なものと考えすぎている」(後56.世人は只だ我の字を)という指摘。

「我」に固執しすぎると好みや煩悩に悩まされるわけで、いまでも通じます。

いまもおんなじ!

そうそう、新しい発見というよりかは、400年前からずっと言及されているその事実に驚かされます。共通性が見いだせる言葉はたくさんある。その一部を紹介します。

マインドフルネスですね
夜が更け人々が寝静まった時、独り坐して自己の本心を観照すると、次第にもろもろの妄念が消滅して、自性清浄の真心だけが現われてくるのを覚える(中略)。(9.P33)
後先を考えて行動しよう
(中略)人は常にその事が終った後の気まずさを思い浮かべて、その事に臨んで、その場で起こる愚かな心の迷いを醒ますようにすれば、本心がしっかりと定まって、行動にまちがいがなくなる。(26.P49)
楽しさはほどよく収めたいね
音曲や歌声も盛んで酒宴がたけなわとなること、そこで我から立ってその場を遠く去って行く。この達人の様子は、まるで手放しで絶壁の上を歩いているようで、全くうらやましい。(後104.P335)

ここでは紹介できていないですが、自然の描写をアナロジーでたとえている言い回しにも注目です。

たとえば悪口と言う人は太陽にかかる雲のようなもので、やがて必ず消えるだとか。

響くポイントは人それぞれですし、自分がいつ読むかによっても刺さる部分は異なってきます。

その意味においても何度も読めるような古典であることにちがいありません。

というわけで以上です!



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