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『だから人は本を読む』(福原義春)を読んで

福原義春 著『だから人は本を読む』を読みました。

福原義春氏といえば、資生堂の名誉会長であり、創始者の孫にあたる方。実業家であり、文化人。ビジネスとカルチャーの交わる点にいらっしゃるといいますか。あ、松岡正剛「千夜千冊」の装丁を担当されたことでも有名のようです。

いくつか読書や書評の本を出されていますが、初めて手に取りました。本書はなぜ読書をしてきたかなど、ご本人の生き様が主に語られます。響いたのは奇しくも二箇所、著者が引用して紹介しているところです。

雑学と教養のちがい

情報は、情報が集積しただけでは、「雑学」の域を超えることはない。評論家で神戸女学院大学教授の内田樹先生はこうお書きになっている。

「雑学は『一問一答』的に設定された問いに『正解』を与える能力のことである。(中略)『すでに知っていること』を取り出すことしかできない。しかし教養は、『まだ知らないことにフライングする能力である』(『知に働けば蔵が建つ』文藝春秋)

まだ知らないことにフライングする能力、いいですねえ。初めて聞きました。内田和成氏は『スパークする思考』では「脳にレ点を打つ」という表現をされてました。レ点を打った上で、フライング。

知について

「知」については、『日本経済新聞』夕刊の「あすへの話題」(二〇〇七年六月一日)に野中郁次郎先生が次のようにお書きになっている。

「日常の経営は、日々変化する個別具体の一回性の出来事への対応である。したがって、一般的な論理分析型モデルだけではその本質を理解できない。

繊細な観察から日常見過ごしている『あっ』という気づき(文学的感性)から、その背後にある真善美の根拠を考え抜き(哲学的思考)、起承転結の物語(歴史的流れ)のなかで、適時の判断と行為を起す状況認知能力が必要である。

これは自らの生き方に照らし、特殊(個別)のなかに普遍(本質)を見る教養の能力である。

経営とは意思決定であり、判断である。そう言い切ってもいいのかもしれません。ではその判断材料はデータに基づく理論的な分析モデルのみでカバーできるか。否。

山口周さんがおっしゃっていることと親和性を感じます。本質を理解するためには文化的感性・哲学的思考が土台にあるべし。特殊のなかから普遍を見る力、くう、むずかしい。

「古典にご興味あるけれど、その熱が冷めてきたら、ぜひ著者の本を!」グッと背中を押されます。

というわけで以上です!

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