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『世界は贈与でできている――資本主義の「すきま」を埋める倫理学』を読んで

世界は誰かの仕事でできている」。本書を読んでジョージアCMのコピーをふと思い出しました。この社会はさまざまな人たちの仕事・行為によって支えられています。CMのように「俺が!」と見える人たちもいれば、人影に潜む、いや本人に自覚さえない無数のアンサング・ヒーローも存在する。

出口治明さんはよく「巨人の肩に乗って」と表現されます。教科書には失敗は書かれていないけれど、過去の先人たちの偉大な蓄積があって「現在」がある。先人たちの功績を言葉でつないでこれたからこそ世界は発展したではありませんか、と。

ジャン・コクトーは「オリジナリティ」という言葉を嫌いました。「われわれは、何をするのにしても、すでに多くのことを踏襲しているのです」と。過去→現在の流れを受けていまを生きるわれわれは、広義の「贈与」を知らぬうちに受け取っている。

さて、いま贈与といえば、贈与税かマルセル・モースの贈与論でしょうか。思い浮かぶのはレヴィ=ストロース的な先住民の生きる世界?すべての価値をムリヤリに交換可能とする資本主義社会では、なじみが薄くなるのも不思議ではありません。

でも、たしかに贈与はこの社会に組み込まれていて社会の「すきま」にある。もちろんサンタクロースのような、子どもから大人への通過儀礼的な贈与もあります。

本書の贈与論がおもしろいのは、贈与とは人類史でみれば根源的でプリミティブな行為にみえるのに送り手には倫理、受け手には知性・想像力が求められるということ。それはなぜか端折っていえば、贈与は資本主義的な現代社会の「すきま」にあって、それを受け手が気付かないおそれがあるから。

この社会では「交換」の力がどうしても強い。贈与は交換の失敗という見方もあるし、贈与自体が失敗することもあり得ます。前半1〜4章までの贈与論、味わい深いです。

受け手の知性と想像力をもう少しだけ。それはたとえば日常の当たり前を異化・相対化することです。それはホームズの推理や科学者の発見が一見不合理と思われる「アノマリー」に気が付いて始まるように。アノマリーは知識の基盤があっての気付き。

本書を読んで、小松左京『復活の日』、影山知明『ゆっくり、いそげ』を買いました。なんで小松左京が?なんでウィトゲンシュタインが?独立した話がだんだんと贈与につながっていく感覚がおもしろかったです。ぜひ手に取ってお読みください。

というわけで以上です!


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