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『哲学と宗教全史』(出口治明)を読んで

ざーっとホントに全史を追えます。歴史の流れだけでなく、わりと人にフォーカスした書きぶりなので読みやすいのだと思います。

オススメは、まず自分の知ってるパートから、次に知らないところを。そのあと全体を流れで読む。こういった分厚い本は手触りで感触をつかみながら読む方がベターですね。つまるところ、紙に限ります。

で、内容なのですが、エピクロスのお話がとくに印象に残ったので、メモいたします。

エピクロスの快楽主義

エピクロスの哲学といえば快楽主義。快楽というと、刹那的な欲望に目を奪われるような状況を想像しがちですが、エピクロスの主張はどちらかというと真逆。

エピクロスの快楽とは、心の平静であり、それをアタラクシアと呼ぶそうです。このアタラクシアを実現する人生こそが幸福である。

ストア派でいうところの現世の快楽に影響される「パトス」は断つべきだ!エピクロスはそう教えます。「世間から隠れて生きよ」。実際にエピクロスは「庭園学園」を創設し、禁欲的な生活を実践したそうです。わずかな弟子と暮らす日々。

ちなみにストア派とエピクロスの哲学はちょっとちがう。ストア派は隠れるだけじゃなくて徳を追求せよ説きました。

で、あれ何かエピクロスと似てるぞと。というと、老荘の思想なんですね。

おもしろいのはエピクロスと荘子は生きた世代はともにBC300年代、近いんです。荘子の思想は孔子のカウンターとして、中国社会においてニッチで特有なポジションを取ったといいます。

老荘は道家と呼ばれ、どちらかというとインテリ向けだったようです。孔子的な王道が儒家でした。

インテリ向けといえば、じつは禅も同じ役割だった。知識階級にとって「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで極楽にいかるなんて怪しいわけです。人生そんな単純ではないだろう。だからこの石はなんだろうと問う。インテリはなんだかそこに真理があると考え込んじゃう。

何も考えない生き方・思想と、何もないなかで何かを見出そうとする禅。それぞれ対極に思えるけれど、同じような層に支持されるというおもしろさはありますね〜。

というわけで以上です!







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