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『アフター・ヨーロッパ――ポピュリズムという妖怪にどう向きあうか』(イワン・クラステフ)

責任投資原則のPRIや、個人情報の流通を規制するG D P R、ESG投資、そしてSDGs。法と倫理をうまく使う方法論で、21世紀になって再びヨーロッパは影響力を見せ始めていると言われる。

その一方でブレグジットや欧州懐疑主義的な政党の台頭など厳しい現実も露わになっている。本書におけるアフター・ヨーロッパとは、欧州プロジェクトという名の目的論的魅力を失った世界。欧州は自信を無くしたのか?

本書は、まえがきに言及のある通り、EUを救うことでも悼むことでもない。いま起きている現象とその構造、これからのヨーロッパについて客観的でフラットな眼差しで記述しています。分量的にもコンパクトにまとまっているので、手に取りやすい一冊。

難民問題

ベルリンの壁が崩れ、ソ連が崩壊し、冷戦が終わる。フランシス・フクヤマ『歴史の終わり』では民主主義と自由主義経済の勝利が宣言されたけれど、人の移動はまったく予想していなかった。

リベラル・デモクラシーの体現として難民に対する寛大な行為がある一方で、不安は絶えない。欧州の福祉モデルと文化維持、自国で起きるテロの恐怖と労働力問題、そして技術革新による機械への仕事代替。

まさに今後の日本にも起こりうる過酷な選択を迫られます。成熟社会の宿命ともいえる少子高齢化において自分たちの繁栄を確保するためには国境の開放が必要。

しかし、開放によってもたらせる文化維持の恐れもある。そうした場合、生活水準の低下にどう対応する?

ブルガリアの事例

欧州が一つにまとまったからこそ東欧の小国の人々は豊かなイギリスやドイツで職を求める傾向にある。どうやらブルガリアでは大量の人口流出が起こっているそうです。

人生の早い時期に国を離れた人々にとって「出ていくこと」が一般的すぎて帰国に魅力がない。戻らざるを得ない場合に帰国するというネガティブで屈折した感覚。

人口流出が止まらず高齢者ばかり残るブルガリアにとって移民の割合が増えることは、自国文化の消滅を意味すると国内の人々は考えるわけです。

地元の老人が難民の定住に講義する場面をテレビで見ると、双方の立場の人間、つまり難民と、さらには自分たちの世界が消え失せていくのを目撃している高齢の孤独な人々に打ちひしがれる。100年後にブルガリア語の詩がわかる人は残っているだろうか。

100年後に自国の詩がわかる人が残っているだろうか」ふと日本に置き換えて考えてみました。ブルガリアの話はけっして他人事でもないはず。

残された希望

欧州全体の話に戻ると、本書では後半、二つの希望が語れます。端的にまとめると、一つはブレグジットやトランプ大統領の勝利など「予想できないことが起こりうる」ということを予想できるようになったこと。もう一つは「妥協の精神」のススメです。

最後にマキャベリの言葉を引用しているのであわせて紹介して終えます。

マキャベリの見解では、政治には「良いとき」もあれば「悪いとき」もあり、善き統治者とは、「悪いとき」を受け流すことができる者というよりもむしろ、悪いときを乗り切れるよう助けてもらうのに十分な信用を国民から集めておいた者である。

というわけで以上です!


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