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『日本人は何を考えてきたのか――日本の思想1300年を読みなおす』を読んで

瀧本哲史さんは「右手にロジック、左手にレトリック」と、言葉の力を説きました。薩長ら倒幕派の人々が武器ではなく言葉の力で国を動かして明治維新を実現したように。

本書は『万葉集』や『古事記』が編纂された700年から現在までの1300年間、日本人が何を考えてきたのかざっくりわかる入門書。

ただ客観的に事実を並べるだけではなく、著書の齋藤孝さんの主張・解釈も随所にあっておもしろく読みました。日本語という言語が日本人たらしめること、道徳としての『論語』の大切さ、寺子屋の素読教育の一定の効果などなど。

ここでは言葉に関連して響いたところをかんたんにご紹介します。

言霊信仰

日本では歌や俳句において「私」は自然に溶け込ませ、「感情」は自然に委ねて表現する、それが作法。逆にいえば露骨に主語や気持ちを表すのは不作法。言挙げせぬ国である日本ではそれと合わせて「言葉にすると現実になる」という言霊信仰を持っています。

言霊信仰から「忌み言葉」が生まれ、感情を出しにくい国民性となった。そりゃあスピーチは下手になると。おもしろいのは「憲法9条への愛着は言霊信仰がもとになっている面がある」という指摘。言葉を変えないことに意義があり、現実とは多少齟齬があっても許してしまう。

そう考えると日本人の「本音と建前」は、言霊信仰にたどり着くかもしれません。第二次世界大戦時、日本人捕虜がアメリカ人に進化論を説かれて「それはわかっている」と答えて驚かせたように、現人神としての天皇とダーウィン的進化論は共存できる。だから日本人は、原理主義にとらわれにくいともいえる。

「まれびと」という概念

本書で紹介されている人物は、それぞれ概念・コンセプトなる言葉をつくり・発信します。日本哲学の先駆けである西田幾多郎の主客に対する「無」、関係性としての「場所」。九鬼周造の「いき」の構造化、とくに興味を持ったのが折口信夫の「まれびと」です。

「客人」でいいのに「まれびと」と読む。折口信夫はフィールドワークのなかで、外からやってくる雁に「まれびと」と呼ぶその重要性に気付きます。

外の存在を恐れ、対象を常世・霊界からやってくる「神」として扱う。万が一、災いが起きるのが怖いから歓待するんですね。日本の海外の方への江戸・明治以降現在につながるまで「まれびと」に通ずる接し方があったと著者は指摘します。

この「まれびと」を儀式・祝祭の際に擬人化し、言葉で伝える手段が物語となり国文学が発生していったと考えられます。民俗学はじわじわゆっくり、おもしろがろう。

というわけで以上です!


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