解釈しがいのある古典!『デミアン』(ヘルマン・ヘッセ)
ジェームズ・キャメロンは「12歳の子供とスタンフォードの45歳の英文学教授が楽しめる、二つのレベルでうまくいく映画をつくろうときめた」と言った。『教養の書』に登場する、あるエピソード。
ハリウッド映画における古典の引用を散りばめたような作品とはちがうけれど、表面には見えない作者の深層心理や想いを発見し、それらを解釈する喜びは『デミアン』にも共通しそうです。
話の大筋は複雑ではありません。少年時代から不安定な思春期にかけて、主人公シンクレールが上級生のデミアンとの出会いなど周囲との接触によって自己変革していくストーリー。
その一方で「ヘッセが込めた哲学・思想を味わう手段としての物語」としても読めそうです。
手探りで読んでみたのですが、知っておいて損はない背景としては、
*第一次世界大戦まっただ中に書かれた
*著者名をわざわざ伏せて上梓した
*ドイツ青年層に多大な影響を与えた
*ヘッセは大戦前にインド旅行していた
*大戦中、ユング派の治療を受けていた
といった点でしょうか。
46年4月に発表された坂口安吾『堕落論』が戦後の日本国民に影響を与えたように、解説によると『デミアン』は当時の迷えるドイツの青年層の心を響かせました。
価値観がガラッと変わり、何を信じていいのかわからなくなった世界。反キリスト教的なモチーフでは、カインとアベルの話が登場します。
デミアンはシンクレールに「殺されたアベルが臆病者でカインの方が気高いのではないか」と自説を披露します。
衝撃を受けたシンクレールは父親に真相を聞くも一蹴されてしまう。いままで「善」のヴェール=殻に守られた家庭で生きてきたなか、善悪がひっくり返るその考え方にシンクレールは混乱します。
また、デミアンからの手紙を通じて、世界は本来的に悪ととらえるグノーシス主義的なアブラクサス(笑い飯の「鳥人」のような見た目の神)を知ります。それは神と悪魔が結合したようなクッキリ二分できない存在。
鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。 生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。
鳥は神に向かって飛ぶ。神の名は、アブラクサスという
シンクレールが密かに想いを寄せたベアトリーチェ。似顔絵を描いてみると、その出来上がりはどこか男性的でもあって女性的。デミアンにも似ているし、デミアンの実母エヴァ夫人(愛の話は印象的でした)でもあり、シンクレール自身にも似てる。
それはまさに神秘的な結合であり、デミアン(悪魔)はシンクレールと一体の存在だった。デミアンはシンクレールの自己の中にある「自我」だったのではないか。
キリスト教やグノーシス主義、ユングなど予備知識がないのでむずかしかったのです。
画一化的な価値観から自ら殻を破り、鳥となってはばたいてこそ人生は切り拓ける。
苦しみ迷いながらも前に向かって歩もうとしたシンクレールにヘッセは自身を重ね、またメッセージを託したのだと、そう読み取りました。
というわけで以上です!
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