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『デザインの教科書』(柏木博)を読んで

『世界観をつくる』のなかで水野学さんが「柏木博」とお名前を出していたので調べました。そして本書を発見。

著者はたくさんの本を出されていますが、まずは教科書=基本として読んでみました。

わたしたちの生活の中にデザインは根付いています。そしてデザインに対する意識が高まるということは、その意識の多くが、室内へと向かいます。

衣装やアクセサリー、室内の装飾など。ホームズは室内に残されてもので事件解決できてしまいます。つまりモノや空間が不可視の存在を表してしまう。

本書は、生活のなかにあるデザインという前提のもと、さまざまな視点でデザインをとらえていきます。

なかでも色彩と趣味との関わりがおもしろかったので、そちらをクリップ。

形容詞としての色彩

色が言葉として語られると、色そのものが言葉として機能してしまうのである。その言葉によって、わたしたちは色彩を理解し把握することになる。そして、面白いことに、色の名称(色名)を、わたしたちはたちまち「形容詞」として扱うようになる。
色彩は形容詞として、わたしたちの感覚に結びついているといっていい。たとえば、「黄色い声」、未熟さを表す「青」。
また、色には年齢や性別が重ね合わされる。彩度の高い色は若い人、彩度の低い色は「地味」といわれ、老人の色とされている。
(中略)ヨーロッパでは、会議室のテーブルなどにも緑が使われるが、一般的にはビリヤード台やポーカー・テーブル、カジノの賭博台に緑が使われる。それは「出そろいました。勝負です」という意味が緑にあるからだとされている。

サッカー場や野球場のグリーンには、身体保護の意味もあるだろうが、やはり「フェアに勝負」の意味もあるのだろう。

松本人志的にいえば「ブルー」は憂鬱。「ブルーな気持ち」

そこには色彩を形容詞的に使う言語感覚があったのだと見直してみる。

水野学さんはデザインするとき、その色の歴史、意味合いを考えた上で決めます。だから説得力がある。

趣味とデザイン

趣味=楽しい=英語だとホビー。その一方で「この人、いい趣味してる」なんて言い方があります。新明解国語辞典ではこのように表現されています。

〔選んだ物事や行動の傾向を通して知られる〕その人の好みの傾向。
「━のいいネクタイ」

そう、「傾向」であります。

で、イギリスではそのニュアンスは「テイスト(判断に関わるもの)」と表されます。

歴史を辿ると18世紀にヒュームが「趣味」をあらゆる美あるいは不格好なものに対する「識別能力」(センシビリティ)として定義したとのこと。テイスト論ってのがあったよう。

「趣味」自体はいまや流行や人為的なマーケティング操作の影響を受けてしまうが、ここで大事なのは「趣味」があることは、ある種の価値判断を持っている。

無趣味よりかは悪趣味の方がいい?

この後、カントを引用しつつ、美的判断を趣味とする流れがあり、さらに「受け手の美意識」というテーマでウィリアム・モリス、柳宗悦らの民藝トークへ。

日々の暮らしを心地よくするためのデザインか、それとも作家のオリジナリティを表現するデザインか。どうあるべきか。

「受けての美意識」をより徹底して「趣味の論理」を実践するモリスの方に軍配が上がっているように見えます。

というわけで以上です!



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