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人はほんとうは、愛することを恐れている?『愛するということ』(エーリッヒ・フロム)

利己的な人は、自分を愛しすぎるのではなく、愛さなすぎるのである。

『沖縄から貧困がなくならない本当の理由』の自尊心の文脈で、フロムのこの言葉が紹介されました。

愛への深い洞察が語られるフロムの代表作『愛するということ』。1956年にニューヨークで出版されてから、いまだに世界中で売れ続けている。

解説の言葉を借りて、フロムを一言でいえば、フロイトの心理学にマックス・ウェーバーとマルクスを接ぎ木して、精神分析学を「修正」し、社会心理学を生み出した。

たしかに社会構造としての資本主義が与える影響やフロイト批判も随所に見受けられる。なによりカントの道徳・啓蒙的な「まっとうさ」をひしひしと感じる一冊でした。

資本主義と、愛

恋にはマニュアル・攻略があるけれど、愛には学ぶべきものなんてない。ぼくたちはいつの間にかそう思い込んではいないか?

その前提の一つには、資本主義という社会構造による市場原理が影響する。自由恋愛が一般となった今日では、魅力的な男性・女性は掘り出しモノであり「商品」となってしまった。

「釣り合う」なんて言葉があるけれど、それは自分自身と交換可能な範囲の「商品」思考に由来する。取り引きになってしまい、気づけば恋と愛を混同してしまう。

その克服の第一歩を「愛とは技術であると知ること」とフロムは言い切ります。

孤独と、人間の本質

『芸術人類学講義』によれば芸術の原点は、人間の有限性。誰もがいつか死ぬという現実とどう向き合うかが人類の歴史であった。

漠然とした不安を抱えながらも前を向いて生きていく。そのためには「孤独」の払拭が不可欠なのではないか?

孤立感を克服したい欲求。人は祝祭的なお祭り騒ぎで紛らわし、ときにはアルコールや麻薬の助けも借りてきた。それらの合一的な体験・感覚は一時的なもの。

やがて想像の共同体として国をつくって帰属意識を醸成し、集団への一体感を擬似的に生み出した。宗教もその一つといえるかもしれない。

刹那的な合一体験ではなく成熟した愛は、自分の全体性と個性を保ったままでの結合だと。愛は、人間のなかにある能動的な力のこと。

膝を打ったのが次のパラドックスです。この二律背反・ダブルスタンダードの在り方が愛だとフロムはいいます。依存関係ではないということか。

愛によって、人は孤独感・孤立感を克服するが、依然として自分自身のままであり、自分の全体性を失わない。愛においては、二人が一人になり、しかも二人でありつづけるという、パラドックスが起きる。

パンチラインの数々

最後に、本書後半「愛の修練」に繰り出されるフロムのパンチラインを引用して終えます。

集中力の習得においていちばん重要なステップは、本も読まず、ラジオを聞かず、タバコも吸わず、酒も飲まずに、一人でじっとしていられるようになることだ。(中略)一人でいられるようになることは、愛することができるようになるための一つの必須条件である。
集中するとは、いまここで、全身で現在を生きることである。いまなにかをやっているあいだは、次にやることは考えない。
愛を達成するための基本条件は、ナルシシズムの克服である。ナルシシズム傾向のつよい人は、自分のうちに存在するものだけを現実として経験する。
人は意識のうえでは愛されないことを恐れているが、ほんとうは、無意識のなかで、愛することを恐れているのである。

戦後ですでに成熟した資本主義社会のアメリカで書かれた本書がいまでも読まれている理由がわかります。

今年出た自己啓発本に書かれていても違和感ないような内容ですし、そのなかでも本質を突いている名著です。

というわけで以上です!


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