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マドリードでオランダ人の旅人とポルトガル人のホームレスと友達になった話

1人で旅をしていると、いろんな人と話す機会がある。泊まっていたホステルもほぼ全てがドミトリーということもあって1カ月ちょっとで本当に多くの人と話すことができた。例えばブルージュで会ったロシア人のイワンくん、バルセロナで会った普段はめっちゃ優しいけど、イビキが大騒音なアラブ系のおっちゃん。ロンドンで会った、スマホを盗まれたらしく犯人を一緒に探してあげたら仲良くなったドイツの姉ちゃん。

そんな中でも、自分の中で印象的だった2人の話を書こうと思います。グダグダ長くなると思いますが、完全に自己満なんで許してください。


オランダ人の旅人との出会い


マドリード3日目、友人が帰国し一人旅が始まるためマドリードの別の宿にチェックインしてすぐだった。トイレを済ませ手を洗っていた。隣にその彼が手を洗っていた。スペインはフランクな雰囲気があるのでとりあえず宿内では誰とでも目が会ったら「Hola!」と挨拶する。その時もその感じで「Hola!」と言うと、「日本人!日本人でしょ!」と日本語で声をかけてくる。僕は日本語ということにびっくりしたが、日本語で話しかけられたぶん、警戒が解けた。ちょっと話して、お互いに暇だったので、適当にどこかへ行くことになった。


宿はBilbaoという駅の近くだったが、少し離れたところおすすめの場所があると言って地下鉄に乗りAnton Martinという駅に向かった。駅から10分ほど歩くと色々な人種(黒人5割、白人3割、そのほかアラブや中国系など)がたくさんいるディープな通りに連れて行かれた。どういうところに行くのか知らされてなかったのでかなり怖かった。日本語が喋れるというだけで警戒を弱めて、仲間のいる倉庫かなんかに連れてかれて、身包み剥がされるかもしれないと思い、逃げ出す選択肢も頭に浮かんだ。どこに向かってるのか聞くと「ドロボウドロボウ。お前のもの全部盗む(笑)ウソウソジョーダンジョーダン(笑)」マジで笑えない冗談だった。

しかしそんな心配をよそに、到着したのはインド系の店が多い市場。しかしほとんど閉まっていた。週末なら混んでいるらしいが、その時間は16時くらいでシエスタ(お昼寝)の時間だったのでほとんどしまっていた。結局いろんな話をしながら、適当に歩き回って宿に戻った。

話をした中でわかった彼のプロフィール

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リロイ・フィルポッツさん 35歳 愛称はリーさん。オランダのロートルダム出身 身長は180ちょい。オランダ語、英語、中国語がペラペラ(昔上海に2年半いたらしい)、スペイン語、ポルトガル語、イタリア語、日本語が少し喋れる。日本語は4年勉強したらしく、日常会話はある程度できる。少し難しい単語は知らないことも。「人気」は知らなかったが、「願わくば」は知っていた。日本にも10日だけ来たことがあり、東京、横浜、山梨にいった。日本人の友達も居るらしく、日本に関しての知識が豊富。ガンダムやリップスライム、黒澤明や東京ラブストーリーなど一昔前のことに関しては僕より全然詳しかった。

とまあこんな感じ。お互いの会話は、最初は日本語だったがだんだん日本語と英語のミックスになって最終的には英語になった。ただ僕の拙い英語をちゃんと聞いてくれたり、ゆっくり話してくれたりしてくれた。

その夜飲みに行くことになった。そこでお互いに少し酔った状態で聞いた、彼の過去と未来の話が印象的だった。

今は帰る家がない。しかしオランダに帰りたくはない。合わないらしい。さらに家族との間で大きなトラブルがあった。そのため今は、自分に合った仕事や場所を探す旅をしている。明日にはマドリードを離れフランスのトゥールーズによってそこからイタリアのトリノへ向かってそこで落ち着きたいがどうなるかはわからない。上海に戻る気はないのかを聞くと、そこも合わなかったので戻る気はないと。

日本のことも聞かれたので、いろいろ話した。今後どうなるかはわからないが、今は特別な能力がなくとも普通に生活ができるし、普通に就職ができること。「でも僕はあなたの方が良い職に値するよ」と言った。僕を含めてほとんどの日本人は実用的なスキルは持ってないし、就活でのアピールポイントもコミュ力だの論理的思考力だの抽象的なものばかり。せっかく大学に行っても、楽単ばかりで学校をさぼり遊んでばかり。(そうでない人もいると思いますが、少なくとも僕の周りはそういう人が多い印象でした)それに対して、彼は語学力はあるし、何より親切心と向上心がある。道で大きな荷物を抱えているおばあちゃんを助けたり、後に出てくるホームレスのポルトガル人に話しかけたり。また、大学を見つけるたびにこっそり潜入して授業を盗み聞きしようとしたり。彼の大学やそこの学生への憧れの眼差しが僕にはとても印象深かった。黒板に書いてある人権や地球温暖化というディスカッションテーマに目を輝かせ「大学生はこうやってありとあらゆることに関して議論するんだぜ!カッけえなー」と言っていた。勉強がしたくてたまらないんだろうと感じた。彼のような人こそ、責任ある仕事にふさわしいと心の底から思う。

しかし彼は、「それは無理だよ」と悲しみを隠すかのように笑いながら言った。「俺は肌が黒いから。」僕の人生で初めて人種差別が身近に感じた瞬間だった。

今まで、日本にいながらも人種差別についてのニュースはよく目にしていた。SayNoToRacism運動など、これほどまで人種差別は悪いことだという雰囲気があるのに未だにスタジアムで人種差別が問題になることがある。日本からはそれがなぜなのか理解できなかった。しかし、ヨーロッパに来て街を歩いたり彼と話しているうちにほんの少し理解できたような気がした。

以下僕の思ったこと

基本的に日常生活を送る上で、あからさまな差別発言をする人はほぼいない。みんな人種差別がどれだけ悪いことか、もしくは差別発言をした後の未来に大きな影響を及ぼすことを理解している。ではなぜスタジアム内の差別や彼のような黒人だから良い仕事に就けないということが起こるのか。

ヨーロッパ各国を回って思ったのは、黒人など有色人種と白人の間には「差」というと言葉が悪いが「違い」あるいは「傾向」は確かに存在していた。バルセロナやマドリード、そして特にパリでは多くの黒人(ごくたまに他の人種、アラブ系とか)が観光地の近くの道端でシートを広げて、バッグやお土産などを売っている。上の人がまとめて安く買って、その組織の下っ端である彼か黒人たちが売り捌いているんだろう。その証拠に、それぞれの黒人たちが売る商品の品揃えは大体同じである。エッフェル塔の周りは同じような光るエッフェル塔のお土産を全員が売っている。さらにパリに限っては、有名な観光地サクレクール寺院の二つの入り口のそれぞれ5.6人の黒人集団が陣取り、入場料だぞみたいな雰囲気で腕を掴んで無理やりミサンガを縛りつけて買わせようとする悪徳集団もいた。(僕は無理やり腕を払って逃げ出したが、その道は使えず迂回せざるを得なかった。老人や子供、女性はスルーだが若い男子は全員腕を掴まれていた。)

こういう状況になってしまう原因はやはり「貧富の差」ではないかと思う。お金がなく良い仕事に就けない。生活に困りチョイ悪組織に加入する。そういう黒人が多いせいで、「黒人は悪いことをする」「黒人は貧乏で良い教育を受けられていない」といった偏見が生まれる。そういう偏見のせいで、リーさんのような能力はあるのに偏見によってその能力を生かせない人が出てきてしまう。彼は貧乏で能力を生かす場にも恵まれないが、立派に生きている。しかし、そういう環境に嫌気がさして盗みを働いたりする人だっているだろう。そうしてさらに偏見が強くなる、、という悪いスパイラルにハマっているように感じた。

まとめると、あからさま差別はほとんどないが「違い」や「貧富の差」は存在しそれによって生まれる「偏見」がある。その「偏見」が感情が爆発するスタジアムという場で表面化したり、就職面接など人を評価するときに影響してしまうのではないか。

ポルトガル人のホームレスとの出会い

リーと飲んだ次の日、お昼ご飯を食べにいこうとしていた。一緒に宿をでると、宿のすぐ隣のスーパーの入り口のところで寝ているホームレスを見つけた。一旦通り過ぎたあと、リーは「ちょっと話しかけてもいい?」と聞いてくる。

これにはちょっとした伏線があった。昨日飲んだ帰りにスーパーの前を通った時にも彼はここで寝ていた。リーは数日前に彼を宿内で見かけたようで、なぜ彼が今外で寝ているのか気になって宿の受付の人に聞いてみた。すると、彼がその宿に泊まった日は友達に宿泊費を払ってもらって宿泊していたが、もうその友達がいなくなってしまったため、ホームレス生活になってしまったとのこと。

それを知っていたリーはいてもたってもいられなくなり、話しかけに行った。そして一緒に昼食を食べることになった。

話しながらわかったポルトガル人のホームレスのプロフィール

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フェリペ 20代後半 横顔ベジェリン似 ポルトガルのポルトから1時間ほどの街出身(名前忘れた)身長は175くらい。ポルトガル語とスペイン語、そしてポルトガルなまりの英語を喋る。僕はほぼ理解できなかった。昔はポルトガルで普通に工場で働いてそれなりに給料も貰って生活していたが、マドリードという大都市でビッグマネーの夢を掴むためにポルトガルを離れた。しかし、マドリードの仕事が合わず、辞めてからはその日暮らしの生活を続けているらしい。そして、なんとその日中にバスで故郷まで帰ると言う。(これは多分嘘。バスの出発時間や場所を聞くも、何も答えられなかった。)

そんなフェリペとリーと向かったのはリーおすすめの中華。しかし、時間が早くてまだ開いてなかったので、近くのカフェで時間を潰す。フェリペは路上で生活していたこともあってか、正常な状態ではない。僕とリーが普通に歩いていてもフェリペはずっと路上にあるタバコの吸殻を漁りまくって集めていた。僕らはそんなことやめなよと何回も注意するが聞いてくれないのでもう気にせず歩いていた。

カフェに着いたら、フェリペはその吸殻の使える部分をほじくって、集めて紙に巻き、自らタバコを作っていた。また、コーヒーを奢ってあげたが、飲まずに保管していた。

オープン時間になったので中華料理屋に向かう。リーは流石の流暢な中国語で店員さんと話したりしている。リーおすすめの炒飯はめちゃ美味しかった。

僕とリーで折半してフェリペにも奢ってあげた。しかし、フェリペは全然食べない。(笑)ずーっとペチャクチャ喋っている。ホームレスの人は常にお腹が空いていて、モリモリ食べておかわり!みたいな悪いイメージがあったが全くそうではなかった。リーによると、ホームレスの人は毎日いろんなものを見るが話す機会があまりないため、頭でっかちになってマシンガントークをしてしまう人が多いらしい。

話の内容は本当に様々。免許証を見せられたり、昔の動画や昔のインスタを見せられたり、ジャッキーチェンの話をしたり、将来はNYにいって夢を掴みたい話をしたり。何度リーに「食べな!」と注意されても喋り続けた。

彼と話してて感じたことは、根はとても優しくていいやつであるということ。見知らぬ僕らに警戒しすぎることもなく、心を開いてくれる。しかし、道端の吸殻を漁ったり話が止まらなかったりと正常な状態ではないことも明らかだった。

そんな中でも、印象に残る言葉がいくつかあった。1つが「俺は、故郷に帰らなきゃ。そうだ、仕事も何もなくても帰らなきゃいけないんだ」と自分に言い聞かせるように言っていたこと。おそらく、故郷に帰っても仕事もないし肩身の狭い思いをする。しかしそれでも、自分を心配してくれる母親のもとに帰る必要があるんだ、そうして母親を安心させてあげたいんだ、ということらしい。

またタバコについて、「みんな、ホームレスのくせにタバコ吸うなよ。タバコを買う余裕あるなら他にもっとやることあるだろ、と言ってくるんだ。でもおれにとってはホームレスだからこそタバコが必要なんだ。タバコがなけりゃやっていけないよ。それにおれが何に使おうと勝手だろ!」と言っていたこと。

そしてなにより、「将来NYで楽しく過ごしたい」という夢を、とても嬉しそうに話していたこと。そんな表情を見て、まだ自分の人生を卑下することなく前を向いている彼を素直に尊敬したし、応援したいと思った。ただ僕は性根が腐っているので、同時に「そんな具体的なプランも何もない根拠のない希望だけじゃまたマドリードの二の舞になってしまうんじゃ」とも思った。

フェリペだけでなく、リーも「トリノに行けばきっとどうにかなる」と考えていたし、彼ら二人は「希望」を追い求めて生きていると感じた。第三者の僕からみると「そんな簡単じゃないよ…」と思うことでもその希望が彼らの今を支えているんだと思う。そして自分自身も他人から見れば「んな馬鹿な」と思われるような「希望」を持って生きているんだとわかった。その「希望」が無理そうならまた新しい「希望」を追い続けるんだろう。トリノがダメならローマ、ローマがダメならミラノ。そうやって生きていくんだろうと思った。

そんなことを思いながらご飯を食べ終わる僕。しかしいくら待ってもフェリペのご飯は全く減っていない。2時間くらいで5口くらいしか食べなかった。僕とリーは流石にもう待ってられないので、お金だけ払ってフェリペを置いて店を出た。「またあとでさっきのスーパーで会おう」と約束したが彼と会うことはなかった。本当にバスで故郷に帰っているといいのだけど…。

リーはこの日の夜が出発の日だったので、それまで街を散策した。めっちゃ歩いた。雨が降ってきたが歩いた。リーは雨が好きなんだそう。僕も嫌いではないので雨を楽しんだ。

そしてリーと別れの時。僕自身、めっちゃドライな性格なので特に別れで感傷的になることはほとんどない。なので感傷的になったわけではないが、遠く離れた海外でできた友達ということもあって、いつもとは違う、一期一会な感じが強くて良いな出会いだったなと思った。電話番号やメアドも交換したので、いつかまた会えることがあれば会いたい。

フェリペとは連絡先を交換し損ねたので、会うことは難しそうだがNYで、あるいは故郷のポルトガルで幸せに生きていることを願っている。


ヨーロッパには日本とは比べものにならないほど多くのホームレス(あるいは偽ホームレス)や物乞いの人がいる。リーによるとホームレスのフリをして金をもらおうとする偽者も多くいるらしい。ただそれでも本当に困っている人がいる。リーはフェリペをはじめとして、本当に困っている人には積極的に声を掛け、必要とあらばいくらかを援助していた。それが果たして正解なのかはわからない(僕は物乞いの人には基本的にお金をあげていないスタンスだった)が、困っている人を助けるんだ!という姿勢は尊敬に値する。

貧富の差、あるいは人種差別という大きな課題を自分一人で解決できるなんて思っていないが、こういうことがあるんだということを意識しておこうと思う。そしてもし自分に何かできることがあるなら、リーのように積極的に飛び込んでいこうと思った。

あとがき

ここまで読んでくださった猛者たち、ありがとうございます。いままで2か月近く旅行の記事を書いてきましたが、僕の旅行の記事は一旦これで終わりです。読んでくださっていた方、ありがとうございます。まだの方、興味があれば読んでみてください。

僕が旅行の記事をたくさん書こうと思ったかというと、もちろん誰かの参考になればという気持ちもありますが、結局は日記みたいなものです。でもどうせ日記書くならいろんな人にもみてもらったほうがいいかな、ネットにばらまいとけば日記をなくして見れないということもないしなあという感じです。そんな自己満の日記を見てくださってありがとうございました。

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そしてどうかこれからもいろんな記事を書いていきたいと思っているので(主にアーセナル関係)どうぞよろしくお願いします。

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