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急募!労働運動に興味がある方!!

 私は労働組合役員として、その役割を終えました。一組合員として、今後はもっと違う視点から労働運動を見つめてみたいです。さて、私はたまたま後継者に巡り会えこうやってお役御免と言っても、結果として5期10年やっているのだから、とにかくなりて不足が会社どころの話じゃないぐらい誰も役員を引き受けてくれない労働運動です。そもそも私は専従をやった後非専従の役員を引き受けた経緯があるのでそれなりに労働運動には熱意がある方で、それでも家庭との両立は仕事でもセーブする場面があるのにましてや組合を引き受けていいのだろうか?と悩んでいたところ当時の委員長に「一期だけでいいんだ!会社に役員の人事を都合つけてもらうのは、流石に運動家として恥じゃないか?」とそこまで追い込まれたのが、それなりに恥だと思いましたが自分もプライドがあったので、一期だけなら引き受ける。その一期でキッチリ役目を果たして、運動を活性化する!と思っていて、ズルズルと長く役員でした。これは私の失敗でもあります。ある労組だと仕事ができない人は専従の労組委員長に「異動」させられ、その異動先を無難に勤めると、海外の子会社の社長に「栄転」すると言う具合でした。果たしてこれが労組役員は出世しやすいと言う噂に当てはまる事例かどうかはわかりません。ちなみにその栄転した労組委員長はその次の役職もさらに小さい海外子会社の社長になっていました。製造業は中小企業でも海外に会社はいくつかあるものです。そう言う人材のいわゆる「出世先」は作ろうと思えば会社側はいくらでも作れます。麗しい民主的な資本主義です。会社と対決した労働運動家の小倉寛太郎も日本航空労働組合委員長を退任後、海外に飛ばされたそうです。海外に飛ばされると言う言い方はよくないかもしれませんが、日本資本主義の体質を引きずりながらの海外勤務なので、その職場環境は想像を絶すると思います。管理職になるなら海外勤務は文句を言えないでしょうね。それに順応できる人もかなりいますから。

人が嫌いになった労働組合

 労働組合は社会運動の団体ですが、当然そうした活動だけではなく組合員に組合費を頂いているので、それを少しでも還元できるよう社会運動に繋がりつつ余暇活動になるものも多く企画するのでそれなりの催し物を行います。「RENGO ON LINE」で連載される元労組執行委員の漫画家しまみどりさんの4コマに詳しいのですが、ボウリング大会やハイキングや運動会を企画しようとして今の時代は流れます。運動会は私が新入社員の時代、労組企画のものもちゃんとあったのですが今はそう言うのは嫌がる人の方が多いです。貴重な休みをあまり好きではない先輩と一緒に参加しなければならない。企画する方も喜ぶであろうと思ってやっているので、アンケート結果を見てため息つくのも多いです。と言っても主催者も基本的に合間での企画なのでできれば当日はお任せできるところを選びます。二重に仕事しているようなものです。それでも社会運動なのでやはり集まる事を嫌がってはならないし、大勢の組合員を集める企画は必要です。それがどうもピントハズレと見做されているのも中々辛く、お金をかけた企画も自然災害などで流れてしまう事も多いです。災害、博打、人間関係は思い通りにならないものです。当時最高権力者だった白河法皇と言う人物もそう言っています。一労働者、単なる組合役員なら当然です。とは言え常に組合員が団結して定期大会でも執行部と反主流派との質問合戦も本当は熱いのでしょうね。そうした事がなくなった時、組合も単なる会社の一部署に成り果てました。定期大会の時期も初夏から晩夏に変わりました。これは子育て世代のママさん労働者が増えた恩恵もあり、私自身もその恩恵を受けました。だからこそその現在の立場を活かしたいと思います。労使協調でも組合員として団結する機会が失ったらそれはただの会社の第二労務部です。御用組合ならまだマシ。だって御用でも組合として存在はあるのですから。第二労務部になれば単純にそれは機構となるだけです。

労働界でも成り上がる

 労働界も第二労務部の気質はどこだってあるので、労働組合に残留した人も会社ではなく新たな道で名誉を極めたいと思う人も少なくはないです。その上昇志向は悪い事ばかりではないですが、人間はどうしても上に上がれば上がるほど人事権は行使したくなるもの。コンプライアンスが会社ほどまだまだ緩い労働界では理不尽な解任はゼロではないです。一般組合員にもどれだけのことをしているのか?逆に新しい階級を作っているのでは?と思うことはゼロではなく、体感では30ぐらいある時もあります。集まる事をやめた労働運動は、その組織体質も十分「部署」まで身を堕とし、それこそ現在衰退気味の町内会のように誰もやりたがらないから、自分が続ける事で実績をほんの少しだけ積んで、いつのまにか産別どころか連合の役員にまで駆け上る。連合の役員の大半は産別の兼務の非専従ですが、産別では完全に専従でありそこまで行くのも相当な努力の跡は理解できますが、ともすれば会社や産業の代弁者以上の自己都合の人になる事もゼロではなく体感では1割はいます。出世先を会社で見いだすのか労働界で見いだすのかは個人の自由ですが、自分のイデオロギーに他人を巻き込む際には丁寧な手順は誰もが必要です。万能な人はいないのですから、より民主的な運営は求められます。その民主的な運営の中でこの人のためならと言う人材も生まれてきます。言葉だけ大層でも、その実態を知れば知るほど幻滅する人もいれば、人柄はあまりにも自分と違う人に見えても案外根っこの部分は同一である人はいます。それが分からないうちは、そう大きな事は成し遂げる事はできませんが皆がポピュリストになれる時代にとって、人間とのコミュニケーションはどんどん薄くなっています。随分と分かりやすいようで分からない時代ですね。結局人は対面どころかちゃんと交流を深めないと何らシンパシーを抱くのは難しいのですよ。SNSで有名人に悪口が言える時代において、その有名人にも直接その憎悪が向けられる時代です。私もその姿勢だけは批判し、その容姿まで批判する人間に成り下がったら労働運動界に今後も戻れないでしょう。自省と自己批判は常に必要です。

一炊の夢が現実になる日

 組合組織も長年続いてしまった結果、様々なしがらみに雁字搦めだと思う日もあります。仕事と一緒ですね。どう言う産業にとってもお客はその金額を出してくれるなら、それは優良顧客であり当然労働者であってもプロフェッショナルな仕事ぶりは求められます。汗水垂らしてえた金銭を私の仕事ぶりに値段が付けられるので当然その意識は常に高い視点は求められますよ。これは労働者になれば誰しもが関係ないのです。昭和がすでに昔話となった時代に、現代と昭和の中間に位置する私達世代の労働運動は常に誰からも批評されるものです。その全体像は誰にも分からず、そして誰かには本質を突かれているのでしょう。私はある組合員に自動車共済を勧めに行った結果、思わぬ一言で自分を顧みた人間の1人です。立場が人を変えるのではなく、立場で会う人間に属性が違う。当然誰に影響を受けるのか、それは大物であっても今となっては名前も思い出せない人になってもその言葉には人生を変えるものは間違いなくあります。こうやって長々と文章を書けば、何だかインテリになれたと勘違いする自分を常に戒めて今後もちゃんと労働運動をしたいと思います。明日に向かってガンバロー!

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