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グローバル宣伝戦

 ある日本のバンドのミュージックビデオが批判されました。そのバンドはすぐに謝罪し、動画を削除したのですが腑に落ちないのはミュージックビデオを商業化するのは広告会社の仕事で、スポンサーの広報は最終チェックをするのが仕事です。勝手にアーティストが広告会社やスポンサーを無視して動画を公開したのなら、広告会社は報酬を仕事をせずにピンハネしスポンサーは仕事もせずに会社の経費を無駄に垂れ流したという事実が残りますが、知らぬ存ぜぬ一点張り。このスポンサーと芸能界の真の力関係がなんとなく理解できる気がします。芸能人のギャランティは高額だが、何かミスが発覚した時スポンサーや広告会社の負の遺産まで責任を負わないといけない。本来ならその不公正な取引が問題なのですが、人気バンドの不祥事という問題のみで、かなり規模の大きさを矮小化されているような気がします。
 問題のミュージックビデオは歴史的事実であるクリストファー・コロンブスの評価についてというより、パッと見た感じではそうした歴史的評価は別としても問題ある内容でした。アーティストの意見はどれだけ反映されているのか分かりませんが、もしこうした冒険的なミュージックビデオを制作したいのなら路線の変更は余儀なくされます。コロンブスを模した人が猿を奴隷のように扱っているようには見えます。イメージ戦略は大事です。クリーンなイメージで売りたいのなら、冒険的なミュージックビデオは避けるべきでした。表現の自由は当然責任も伴うものです。ミュージックビデオは数分の動画です。目につくシーンが印象的なほど人の記憶に残りやすいですが、当然悪目立ちすれば、その部分しか印象に残りません。チェック責任があった広告会社は当然責任があるのですが、もうこのまま問題ごと消えていくのでしょう。こうした業界は鮮度が命で新しい才能が湯水のごとく湧き出る世界です。コロンブスの評価が定まらないまま、日本では消費されていくのでしょう。ものづくりは難しい。性能が良くても必ず売れるとは限らないです。
 宣伝というものは全体像が掴みにくいのは今も昔も同じことです。著名な歴史書も一定数当時の最高権力者の思惑は入っています。当然立場状況によって書かれる内容は違います。それを全て理解するのは困難な事ですが、それを出来るだけ可能にするのも広報の仕事です。広報部がOKを出したのはやはり仕事に対する姿勢が相当不真面目だったと思います。話題になれば何でもいいという形は持続しないです。


 


三井三池宣伝戦

 戦後最大の労働争議の三井三池闘争は会社側は33億円、労組側は22億円の闘争費用を費やしています。会社側には銀行の協調融資などが入っていますからまさに総資本VS総労働の闘いに偽りなしです。結果として指名解雇を容認した組合側は敗北したという結末も偽りなしです。三井三池闘争は、イデオロギー階級戦の一代決戦のような評価をされていますが、元々は指名解雇の反対と労働条件の闘争でした。当時石炭から石油にエネルギー源が変換され、炭鉱というものは下り坂の産業であったのは事実ですが、当時の炭鉱の労働条件にも問題がありました。坑内には雨が降ると当然作業内容に変更があるのですが、その都度職制や管理職に手当などを交渉していました。そしてこれは現代でも問題になっていますが、作業内容によって坑夫の収入は大きく変わり、その平等な配置は管理職に委ねられていますが炭鉱内では、こうした実態から袖の下が横行しました。ちんばという言葉は今は差別用語ですが、自分の家の鶏をワザと足を折ってもう使えないから管理職につけ届けをします。そうしたらその坑夫の作業内容は危険性も少なく、楽で収入も安定した作業に回されます。そうした不条理な職場が向坂逸郎の理論がスッと労働者の頭に落ち、いわゆる革命の尖兵として三池労組は変わっていきました。向坂逸郎は優れた理論家ですが、向坂の理論が広がったのは、当時の職場状況も影響大でした。革命は何も自然発生するのではなく、必ず経済的貧困に結びつくのです。当時それを打開するのは、ボリシェヴィキ理論しかないと言われていました。
 当時の日本政府はこうした運動には相当敵対的でした。その立場もある程度理解はしますが、納得ができるかは別です。ただこの一大争議は、企業側の妥協も引き出しました。三池労組は消滅しましたが、その苛烈な闘争はインパクトは残しましたが、現代ではそのインパクトだけが語られます。不平等な職場は相も変わらず。歴史に学ぶという姿勢は労働運動にも必要です。敗北を糧にできねば、労働側の勝利はあり得ないです。

グローバル宣伝戦序章

 鶏は世界で最も飼われている家畜ですが、平安時代の日本人は「庭っ鳥は、カケロと鳴きぬなり」と当時は言われているように、現在のコケコッコーとは全く違いがあります。ただ7000年前から飼われていたと言われる鶏は、当時の品種よりも現代の品種はかなり複雑に交配されています。肉食はほとんどなかった日本と言えども鶏肉は別物でした。室町時代になれば、鶏を飼うことは問題なく後世の豊臣秀吉は南蛮船に2000匹の鶏を慰労のため送ったという記録もあります。それぐらい鶏を集めるのは、簡単ではないが可能であったという証左です。
 アメリカでもっと鶏肉を入手するのが可能でした。明治大正の時代は日本では高級牛肉と鶏の老廃肉は同等でしたが、比較的アメリカでは安価に入手できる品物でした。それに目をつけたのは当時、ケンタッキー州のガソリンスタンドの経営者だったカーネル・サンダースという人でした。ガソリンスタンドの経営の傍らでフライドチキンを販売していました。その後大きな成功を収めるケンタッキーフライドチキンですが、日本でのフランチャイズの展開は独自のものになりました。当時鶏肉といっても、揚げるという文化はほとんどなかった日本において、クリスマスはチキンを食べようという宣伝を考えた日本ケンタッキー社はこの宣伝がかなりの収益を上げたことから、クリスマスはケンタッキーを食べようという食文化に切り込んでいきます。当時日本にはクリスマスという文化はほぼゼロで、そうしてアメリカナイズされた文化の憧れを巧みに利用した日本ケンタッキー社の技ありでした。ただこうしたイメージがケンタッキー=アメリカそのものになってしまいますが、それは現代の話です。
 

グローバル宣伝戦激戦区

 国際連帯は労働組合の独壇場だったはずが、冷戦終末期になれば企業側の方が柔軟でそうした国際戦略において常に労働側は一歩も二歩も遅れてしまいました。非正規雇用の拡大は世界的な問題で、グローバルサウスだ、先進国のラストベルトだと対立している場合ではなく、労働運動自体の地盤沈下が大きな問題となり、そして多様性という美名のもと労働の価値はとことん値崩れしました。もはや雇用契約書すら必要ないギグワーカーは資本主義の原点回帰と同じことです。福祉国家論はいつに間にか無駄の多い時代遅れの理論となり、労働組合は雇用一辺倒を改めるべきだと労働組合の支援を受けている政党の地方議員から出る始末です。もはや組合員だけがお客様ではなく、やれることがあれば何でもやるナショナルセンターの強固な行動が必要になっています。
 今後まだまだグローバル化の耳障りのいい言葉を経済界は推し進め、労働側があたふたしているうちに、さっさと雇用の損切りを始めるでしょう。雇用一辺倒ではない。雇用が守れない労働運動は、それはもう労働運動ではなく労務課です。一部企業ですら、このまま労働の損切りは難しいと判断する世の中で雇用第一でやってきた私たち労働側は今後どうすれば、効果的な運動になるのか模索中です。
 経済成長こそ、労働者を救うとイギリス労働党のマニュフェストには訴えています。2005年総選挙も郵政民営化こそが社会保障と経済成長を担保する唯一の手段というマニュフェストがありました。郵政民営化は実行されて、その20年後社会保障削減論が飛び交い、経済成長は賃金が上がらない国が声高く叫ぶ状況になりました。たった20年前のことですら忘れてしまうなら、それ以前の話は勝手に使い潰されるでしょう。私は忘れません。インターネットは悪い面も目立ちますが、記憶の保存に役立ちました。20年後イギリス労働党が正しいのか、ジェレミー・コービンが正しいのか、それとも全く違ったアプローチが必要なのか?その日を楽しみに待っています。負ければ敗北を認めればいいのです。敗北を糧にできない労働運動家は最早活動に携わる勇気がないのですから。


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