見出し画像

新・函館バス闘争2023

 北海道函館市市長はあの有名俳優のお兄さんです。市役所出身の叩き上げだったからなのか、突然ライドシェアの旗振り役に要望書を提出しました。公営バスを一民間企業に払い下げ、それでも人が足りなくなったら安全性を無視して誰でも彼でも業務が行えるように法律を捻じ曲げる。「官から民へ」というスローガンはどこに行ったのやら。公営バスはそもそも市民の財産ですが、それを一民間企業に売り飛ばし、その民間企業が鳴かず飛ばずなら、いっそどこかの馬の骨に投げ売りする。市民の財産をよほど軽んじているものです。よく自分は愛国者、自分に反対する人間は売国奴みたいな言い方をしますが、こうした市民の財産を外資に売り飛ばしても何も感じない人もいるのでしょうね。
 函館バス労使問題は元々「組合休暇」の取得から始まりました。会社が主導した第二組合は、「政治的中立」を主張していますが何故か自民党の北海道議員を講師に呼ぶなど、どこが中立なのかと言いたくなる残念な有様ですが、ユニオンショップで安泰と見られていた私鉄総連函館バス支部があっさり崩壊した様を見ると、経営陣が本気で潰す気ならどれだけ労使一体化でも意味がない、無情にも叩き潰されるという恐怖は私鉄総連だけではなくどこの産別も志ある人は感じたと思います。思えば西武・そごう労組もあっさり労働組合の要請は反故にされました。労使協調であっても甘えてはいけない。緊張感ある労使関係も必要でしょう。妥協すべき点は妥協すべきですがダラ幹の見せかけばかりの労使協調なら日本の労働運動は死滅するのみだと思います。
 私鉄総連は旧総評傘下の労組でしたが、労使協調に甘えたダラ産別でした。法的手段ではすべて勝っていますが、私を含めてこの闘争の重要性が分かっている人間はどれだけいるのか?偉そうに書きましたが私自身この闘争の行きつく先は何も分かりません。みじめな滅亡なのか?それとも・・

増す労働協約の重要性

 10月24日私鉄総連と函館バス支部の裁判が一連の決着を迎えました。判決は「不当労働行為」「損害賠償責任」が会社側にあるという組合側の全面勝利です。この判決の決め手は昭和三十年に締結された私鉄総連と結んだ労働協約です。労働者と使用者またはその団体と集団的交渉によって結ばれた労働条件などに関する取り決めが労働協約で場合によっては就業規則より優先されます。協約内容は「異動や配置転換は組合の協議において決定され一方的に行わない」というものです。ダラ幹となった私たちには恥ずかしい限りですが、先人たちはこのことを見通してなのか結果として現組合役員が勝訴になるような協約を会社と結んでいました。会社側は本来なら真摯にこの判決に向き合わないといけませんが、残念ながら資本主義の何たるかを理解しない封建主義的な経営陣は事の事態をまだ分かっていないようです。
 第二組合は明らかに挑発しています。経営陣の本音を第二組合が代弁しているだけであり、安っぽいイデオロギーで既存労組を攻撃しますが彼らにどういう権限があって既存組織労働者を攻撃するのでしょうか?経営陣が変われば当然第二組合の権力も砕け散ります。彼らの政治的中立は嘘であり、悪質な労組潰しを行っているだけです。ここまで話が大きくなったのなら経営陣も株主の意見を聞かざるをえないのですが、どうもさっぱり分かっていないようです。
 はっきり言いましょう。地方の中小企業なんて本来ならもっと早く消し飛んでもおかしくない状況で「官から民へ」の改革がなければとっくに倒産している企業も多かったはずです。それが何を勘違いしてか公共セクターを安値で獲得できた企業がそれに甘え、人手不足に陥ってしまった。民には実は活力がなく、官のお情けがなければとっくに会社を潰していた姿がそこにはありました。だから官の中で何か変わった時、地方を生贄に奉げるような政策に変わっていったはずです。函館バスがその典型例でしょう。ライドシェアが市民の足を補う代わりに安全性を喪失するでしょう。ですが公営事業を払い下げてもらいチャンスを与えたはずの函館バスの居場所はもう市内になくなるでしょうね。雇用を守るために会社を守るために本来なら労使は協力し合わないといけないはずなのにその信頼を裏切った函館バス経営陣の罪深さは重い。官は今一部の人間が地方公共交通機関を捧げて「ライドシェア」を導入しようとしています。一時は流行るでしょう。しかし行きつく先は雇用破壊と深刻な交通機関の麻痺です。いまだにそれに向き合わない函館バス経営陣はそのままなら消え去るでしょう。

既存労組の責任は?

 だからと言って既存労組は清廉潔白だとは一切思わないです。他人の労働問題に無頓着になったのだから当然自分たちが雇用が危うくなった時誰も助けてくれる人はいません。橋下維新ファッショが大阪市職労を食い潰そうとしたとき、民間産別は「産別自決」という名のもとで市職労への弾圧を見て見ぬふりをしました。そしていざ民間産別が攻撃されると誰もが立ち上がろうとしない現実を今嚙みしめているでしょう。経営者にとってやはり労働組合はいらないものですから、今後ありとあらゆる労組弾圧が行われるでしょう。労働者の連帯を軽んじた日本の民間産別は今後難しい局面を迎えます。
 現在自動車製造のEV化が叫ばれていますが、政府が本気で取り組む気になれば経営陣は従わざるえないし、それによって労組が邪魔になるのなら彼らは間違いなく既存労組を潰すでしょうね。そうした危機感を感じている関係者も多いのですが、上にいけばいくほど危機感が薄いです。あのダラ幹なら雇用を守ることは不可能でしょう。函館バス支部の姿は明日の私たちでしょう。先人たちの結んだ労働協約を無にしてはいけないし、先人たちが交渉によって手に入れた組合休暇を悪用するようなことをしてはいけなかった。
 私鉄総連の自浄作用が本物なら変わることが必要です。今回の函館バス支部執行部はあまりにお粗末でした。全員から押し上げられた執行部ではなく会社の強硬姿勢で崩壊するような結束力の弱い組合なら今後も厳しいし、そういった組合も多いでしょうね。むろん私もいつそうした立場になるのか?コツコツと真面目に組合運動をやらなければと再確認する一年となりました。

この闘争の決着は?

 結論から言えばこの闘争は今年中でケリがつかなかったです。残念です。函館バスが取り巻く環境は厳しくなるし市民の目も変わってしまったことでしょう。運転手不足に真摯に向き合わなかった私たちにも大いに責任があります。
 巻き返しは今後の運動しかありません。熟練の労働者は当然自分の仕事にも冷静に向き合わねばなりません。いくら熟練でも官はもっともっと仕事を安売りするような政策を打ち出してくるからです。本来なら年功序列制度はある意味日本の労働者が守っていかねばならない制度ですが、それも風前の灯です。年功序列すら無くなれば、今後ベースアップも定期昇給も実力主義の美名のもとで葬り去られるでしょう。真に実力ある人間も物言えば遠ざけられるし、実力ないおべっか使いが「実力者」として評価も可能です。評価基準なんか分かりにくいものです。分かりやすくしたのも日本の雇用でしたが、そうしたものをあやふやにする姿勢が現在の経営者に多く見られます。営業なら売り上げで評価されるなら分かりやすいですが、それ以外で評価されるなら分かりにくいでしょう。もちろん利益あげれば優秀かといえばそうでもない。労働組合が次に目指すべき運動方針は評価基準の分かりやすさをあげてもいいぐらいです。
 さて悲しい派遣労働者。それをいびる正規雇用という図式は私はずいぶん嘘くさく感じます。いうほどそれだけ水戸黄門のような単純な話ではなかったはずです。そういう本来なら複合的な問題のはずなのに単純化する動きには大きく反発します。とは言え悲しき非正規雇用という現実も多くあります。労働問題の真意を伝える真摯な労働運動家の端くれを目指しています。今年もあと二週間。後一本か二本noteで書くと思います。鋭意推敲中。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?