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ローカル左翼運動の未来

 80年代後半、日本社会党の委員長に就任した土井たか子はその候補者発掘を従来の総評から市民運動出身者に変えていきました。一応組合の人間である私が言うのも何ですが、組合が一つの支援団体として機能するなら左翼政党は労働運動と大衆運動の組織化ができますが組合に100%頼った運動はそれは利権主義と同じ事です。例えば土井時代に東京都議に当選した青木菜智子はその政策の是非はともかく消費税の公共料金の上乗せに反対していました。当選したら東京都水道局労働組合から公約の撤廃を命じられました。かつての社会党、民社党もそうですが派閥抗争の下請になるか、出身労組の利害代表になるかの2択という地方議員しか存在せず、その路線闘争も相まって結局どちらも政党としては解党する事になりましたが、こうした旧社会党の地方労働運動の功績はその理念を残す事になり、後継政党である社会民主党がいまだに踏ん張っている直接的な要因ですが今回の話の本筋はそれではないです。
 この土井時代の当選組は旧来の社会党を変えるような人材が多かったのも事実です。労組票頼みだった社会党は最後は半数が民主党に「逃げる」、あるいは自社さ連立の名残で元社会党の人材でも自民党がリクルートするというケースが頻発しました。この時代になればイデオロギーは、あまり問題ではないです。ベルリンの壁が崩壊し、消滅したのは東側人民民主主義ですが、強固な反共イデオロギーも同時に消え去りました。今再び両者が出現したのは、単純に当時の揺り戻しでしょう。前述した青木菜智子は、社会党都本部の改革派として執行部選挙に立候補して副委員長になりました。
 青木が当選した都本部の副委員長になった時はすでに自社さ政権が誕生し、95年東京都知事選挙は自民党と相乗りを模索していました。青木ら改革派は独自候補擁立を目指しましたが、結果として都本部の採決では否決されました。青木ら一部の改革派都議は「東京の地域政党」を模索するようになります。青木らが目指す地域政党はイメージは「沖縄社会大衆党」でした。生協代理人運動も有力な地域政党でしたが、その理念にはやはり組織の倫理は反映されます。沖縄社会大衆党は元々保守派も革新も存在する政党でしたが、いつの間にか全部本土化され、その中でも地域に根を張った地域政党でした。実際青木は沖縄で社大党と交流しています。そこで立ち上がったのは「東京市民21」でした。社会党改革派都議が中心となった東京発の地域政党です。ただこうした地域運動は常に国政に翻弄される歴史でもありました。

イタリア「オリーブの木構想」

 日本と同時期に小選挙区制を導入したイタリアでは左派政党連合通称「オリーブの木構想」というものがあります。大中小の左派政党が同盟を結び、一気に政権交代を仕掛けた鮮やかな政局劇ですが、この仕込みはちゃんと地方組織の根強さがあります。当時「オリーブの木」に賛同した政党はイタリア共産党が構造改革の結果誕生した左翼民主党が中核でしたが、それを結びつける地方のオリーブの木支部の総数は4500以上もあったとされています。地方レベルでちゃんと調整役をこなした人がいたから、こうした逆転劇を生みました。こうした調整役は嫌われ役にもなりますが、大同団結とは結果的に誰かがババを引く覚悟がないとどれだけ高尚な理念を説いても無駄。現在の日本では「市民連合」がありますが、そもそも質も量もイタリア「オリーブの木」に劣りすぎていて、この運動体は次の総選挙で敗北すれば自然消滅です。誰かがやっているのか分からないようなブラックボックス的な運営は批判覚悟でないと。透明性を確保するか批判は甘んじて受けるの2択ですが、「市民連合」は森喜朗のようにやたらと自分達の功績を語りたがる。そこには市民が存在せず、誰がボスなのかもはっきりしない運動体ですがそういう点は立憲民主党も同じです。地方に一歳拠点を作ろうとせず議員政党は風向き変われば、またぞろ新党運動です。希望の党政局は正直組合の人間から見ても連合が関与した。関与した結果、かえって組合員の政治離れを生んだ。そういう視点からの自己批判は必要です。あの時はよく覚えていますが、別に総評も同盟もなくみんな希望の党に「希望」を抱いていましたよ。自治労系議員も浮かれているような言葉を繰り返しました。タイムラグがあって、立憲民主党を応援するという話に「変化」していきました。立派な労働運動家も議員様になれば、それまでの政治信条よりも自分の票を優先してしまう。分からないでもないですが、そうした歴史は闇に葬り去られます。

リベラルという言葉はなぜ信用されないのか?

 さて現在の地域政党は、いい意味でも悪い意味でも地域と結びついています。90年代は日本社会党の改革派地方議員の離脱で結党されたローカルパーティも現在は保守系地域政党も少なくないです。そもそも本質はどうあれ左右のイデオロギーはうまく排除した地域政党も多いです。大企業に数年総合職で勤めた人間が選挙に出れば若い改革派として持て囃される。誰の話か言いませんが、地方選挙はそれなりに権威が必要。その権威が数年働いた事のあるコンサルタント会社まで格下げされたのが現在の日本の現状でもあります。橋下徹ですら、一応弁護士を10数年やってきたという実績が一応あるのですが、今はちょっと外国に転勤すれば国際人扱いです。そのうちホームステイ経験でもグローバル人材と言われるようになるでしょうね。
 民主党はいつも思う事ですが、結局地方レベルの運動体には積極的に関わろうとしないのに、関わらず国際交流が進展しているわけではなく、「オリーブの木」を移植しようとしても、すぐに枯らしてしまう。政策に横文字が出てくるのは時代の流れですが、説明もないままこれは海外でやっているからと言われても、そうそう地方の支持者に浸透はしません。菅直人は民主党の代表になった時、盛んにイタリア「オリーブの木」に接触しましたが、参院選に勝つとケロッとその実現を放棄し、自身の女性スキャンダルで一度失脚しています。ああいう人間が日本で1番リベラルと言われているなら、リベラル勢力なんかいらない。左翼運動はいつだって愛郷精神と愛民精神の結晶です。だからアメリカ民主党のようなイデオロギーがアメリカ第一主義だったとしても、ちゃんと海外友党と政策を議論し、国際交流を発展化させた上でのアメリカ流のリベラル政策を実行しようとしている。だけど民主党は社会党以上に体たらく。大使館に行けば国際交流だと思い込んでいる節があります。センターレフトとして立場を明確にせよと参院議員になった大橋巨泉に言われたそうですが、現状レフトもライトもなくただの議員政党が一つあるだけです。風頼みに離合集散を繰り返す、菅直人のような人間が大きな顔をする。
 現代の地域政党はリベラル風ネオリベラルが単純に優位です。行政改革は常に問われる問題ですから。その行革がいつのまにか、消費税や国民保険が攻撃されている。左翼からもです。生産の共有化は一体どこに行ったのやら。そうした事をはっきり打ち出せない左翼はもう左翼ではない、右傾化しすぎて社会変革の志すら捨てようとする暴挙です。

地方の左翼運動が中央を制する日

 ドイツでは学生運動が華やかだった60年代後半に、日本と同様過激派も生まれ、テロも起こりました。既存左翼を批判した新左翼達は一部は過激派だった過去と向き合い、その強力なパワーを持ってドイツ緑の党など新しい潮流を生み出しました。日本にこうした運動が起こらなかったのは、ひとえに左翼運動の敗北です。ただこの一敗は次の大勝に繋げるための一里塚にすべきでしょう。
 一時期世の中にブームを起こした日本会議は、あれはキッチリと市民運動の王道を歩み、マニュアル通りに動いた結果国政で多少影響力を持つようになりました。皮肉な話ですが右翼市民運動は、左翼の原点を学んだ結果だと思います。ただこの手の運動は後継者を作る事に失敗し、日本会議もそうなりつつあります。統一教会問題は彼らの痛いところを突かれたでしょう。宗教票というものはなぜ信用されるのか、100票集めると言われるとキチンと100票集めます。これはどこの政党でもありますが、支援者の親族の葬式に全部参加するためお数珠を20以上持っている代議士はごまんといます。美しい話ではないですが、選挙というものは突き詰めるとそういう話です。
 地方左翼運動の復活はもう仕込みが終わっている段階だと思います。あれだけ圧倒的に思えた自民党と公明党の組織力は、一昔前に比べてメッキが剥がれ落ちました。その受け皿になりきれていない民主党勢力に歯痒く思っています。ただ左翼運動はいつの日だって、市民から始まるものです。お上の威光が地方を圧迫し始めた時、いち早く立ち上がるのは左翼運動です。そうした新しい運動の主体はすでに土壌が出来上がっている。後は労働運動を含めた市民運動がいかにして大衆運動を起こし、自公政権を解体させるか。そうした勝負はすでに始まっています。連敗はするつもりはないです。地方が都市を包囲する。これからの10年はそういう使い方をする10年です。


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