人生に迷って雑貨屋をはじめてみた。


「負債は全部あわせて1億5千万円です。このままいけばまだ増えます」

税理士からの一言。

何を言っているのかわからなかった。
目の前が真っ暗になった。
どうしてこうなった?

富山から大学進学のために上京し、そのまま就職。
その後職を転々としつつもサラリーマンを
してなんとか生活をしていた。

友人にも恵まれ週末はバンド活動やフットサルをしたりと
充実した毎日を過ごしていた。

そうこうしているうちに人生の節目。30歳。
結婚と同時に新しいスタートを切りたかったので会社も辞めた。

これから自分には新しい未来が待っている。

しかし、

希望に満ち溢れた未来は一本の電話で一瞬で打ち砕かれた。


「お父さんがガンになった。ステージ4だって」


実家は祖母の代からホテル経営をしていた。
どこの地方にも駅前にだいたい一軒はあるような個人経営のホテルだ。

「一人っ子なんだからいつかはお前が継ぐんだぞ」

昔から父に言われ続けていた言葉に耳をふさぎ、逃げるように上京したが

ついにその時がきてしまったと感じた。

冒頭に戻る。

税理士から現在の財務状況を聞いた時に言われた言葉だ。
(父が多方から借り入れをしていたので、最終的には2億ほどになっていた)

会社の業績がおもわしくないことはうすうす感じていたが、
ここまでとは思っていなかった。

東京の友人には「3年で立て直して戻ってくるわ!」
なんていきまいていたり、今風にリノベーションしてコワーキングスペースを作って・・・

思い描いていた「都会から戻ってきた跡取りが新しい風を吹かせる」といったサクセスストーリーは一瞬で頭の中から消えていった。

真っ先に会社をたたむことも考えたが、借入が多すぎて、
ホテルを売却しても借金が残ってしまうのでできなかった。

であれば、なかばヤケクソだったがあがけるところまで
あがいてみようとようやく腹をくくった。

かくして私の「マイナス2億からのスタート」がはじまった。


いざ始めてみると、とにかく毎月の借金返済が苦しく、
返済が終わったと思ったら、
知らない取り立てがくる、売上が良い月に限って館内の設備が壊れる。
取引先からの支払いの督促や裁判を起こされたり・・・・

その時はこの世のあらゆる悪が自分に襲い掛かってくる気分だった。
石を積んでも積んでも崩されるリアル賽の河原。鬼は現世でもいた。

そんな日々が繰り返され5年。
家族の支えと少しの運で借金はなんとか完済できた。
地獄のような日々が終わりを告げたのである。
(9割がた仕事と家の往復しかしていなかったので、当時の事を軟禁時代と呼んでいる)

最後の借用証書を返還してもらったときに「ショーシャンクの空」の
クライマックスシーンのように
空に両手を高く上げて叫んだあの日の事は今でも忘れない。

それから先は経営も上向き、ありがたいことに会社の代表としてそこそこの稼ぎをいただき、スタッフも少しづつ増え、業績も安定していった。

会社の通帳残高が20万を切り、妻にお金を工面してもらった時のことを考えると、私が求めていたお金に悩まされない生活をついに実現できたのだ。

しかし、それと同時に借金返済に奔走し、泥水をすすりながら生きていた
あの時の自分は消え、なんとなく日々の業務をこなし惰性で仕事をするようになっていた。


「このまま一生この仕事を続けていってよいのか?」


2016年10月29日。第2回富山マラソンのスタートの合図とともに
半世紀続いた家業をたたみ、新しい道を走り出したのである。


前置きが長くなってしまったが、本題に入ろうと思う。

ホテル業を辞めて、何もやりたいことがなく途方に暮れていた私が
雑貨屋という仕事を選んだ理由を描いていこうと思う。

ホテル業の前は、キャリアカウンセラーの仕事をしていたこともあったので
自分自身をカウンセリングしてみた。

会社勤めの道をまっさきに考えたがサラリーマンとして7年のブランク、
スペシャリストとしてのスキルもない、30代後半。

自分が採用担当だとしてどのように上司に通すだろうか?

池井戸潤の小説のようにドラマチックな展開は現実世界では
なかなか起こりそうにない。

すでに周回遅れのレースに出場すること自体リスクが
あるのではないかと思いその道はすぐにあきらめた。

そうなると残された道は自分で事業を起こすことになるわけだが
世の中の深刻な問題を解決したいという崇高な思想があるわけでもなく、
外車を乗り回して、宇宙に行きたいといった底なしの野心があるわけでもない。

そんな中、ただ一つ思っていたことは

「楽しい人生を送りたい」

それだけだった。


そのために必要なことはなんなのか考えてみた。


その1「自分が住んでいる場所ではたらく」

東京にいた頃は吉祥寺の近くに住んでおり、
週末はお決まりのコースを一通り回り、終わるころには
夕方になって家路につくという過ごし方が多かった。


富山に戻ってきたとき、そんな何げない暇つぶしを
地方都市でするのがいかに難しいかを痛感した。

とにかく店が圧倒的に少ない。
素敵なお店があっても、おいしいコーヒーを飲めるお店があっても、
一つのエリアに集中しているわけではない。
夕方になるまでコーヒーを何杯も飲み続けることは困難だ。

必要なモノがあればamazonやzozotownで注文したらいい。
ただ、商店街を週末にぶらついて暇をつぶす行為は
令和の時代に入った現在でも仮想現実の世界でできるわけではない。

そうだ。自分の住んでいる街に欠けているスペースを
埋めることができれば、今より自分の暮らしが楽しくなるのではないか?

一つの答えが出てきた。

「自分の住む街で店をはじめよう」


その2「人に感謝される仕事が良い」

ホテル経営をして感じたことはビジネスは立地、価格、
サービス(モノ)の総合点が高ければ
ユーザーはお金を払ってくれるということだった。

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