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好きを言うは、心の糸を紡ぐ。

Xを眺めていたら相互さんのポストが目に止まった。
画像付きのそのポストは、何やら見覚えのあるゲーム画面をスクリーンショットして投稿されたものだった。

あ、第五人格だ。


脳裏に焼き付いたゲーム画面だったからすぐに分かった。普段その人はこのゲームについて呟いてなかったこともあり、そのスクリーンショットではプレイランクもゲーム開始時の状態を示していた、だから新しく始めたんだと思った。
思わずリプライを送ると、やはり新しく始めたという旨の返事が返ってきた。

思い入れのあるゲームだけに、色々と頭の中を思考が埋め尽くす。

このゲームは簡単に説明すると、鬼ごっこをするゲームだ。逃げる側と鬼に分かれて遊ぶ。逃げる側は鬼に捕まらないようにステージから複数人で協力しながら脱出を目指し、鬼は逃げる側を捕まえるゲームである。
なんて、こんな簡素な説明で言い表せるほど単純なゲームではない。

キャラクター、能力、アイテム、ステージ、それぞれの陣営で勝つためには基本的な知識やテクニックが必要だ。
何も知らないとほんとに勝てない。
知った所で勝てない。
難しいゲームなのだ。

慣れてくるとその面白さにのめり込んでいくだろう。

それにこのゲームは鬼ごっこだけではなく、隠れんぼはするし、競争もするし、好みの衣装に着せ替えもする。
家も買うし、集合写真を撮ったり、色々と考察が捗るゲームでもある。
僕が知らないだけで、他にも遊び方はたくさんあるだろう。

余談だが僕の背中を壊し、MRI送りにし、ペインクリニック漬けにしたゲームでもある。
それにストレス耐性が身に付き、毎日早起きにさせてくれた。
それくらい情熱を持って遊んでいたゲームだ。

第五人格の魅力は語りきれないので割愛する。
無料で遊べるゲームなので、気になった人は調べてみて欲しい。

ここで僕が伝えたいのはこのゲームの魅力ではなく、好きなことを好きだ、と言おうということである。

僕はこのポストをした相互さんが第五人格を遊んでいるなんて知らなかった。
そりゃそうだ、新しく始めたばかりなのだから。
向こうも同じ気持ちだろう。
僕が昔このゲームに熱中していたことは、おそらく誰にも公言したことがない。

お互いに知らない。
お互いどころではない。
世界中の誰も知らない。
言わないと誰も知りようがない。

知らないことは興味を持つことができない。
話しようがない。

でも僕はこのポストを見て、思わず話かけてしまった。
偶然にも僕がかつて情熱を持って遊んでいたゲームだったから。

これはつまりどういうことか。
言えば誰かが聞いているし、見ているということ。
好きなことを主張すれば好きな人が反応するかも知れないということ。
それは自分と合う人が見付かるかも知れないということ。

それはそのまま生きやすさに繋がるのでは、と多分皆気付いてて当たり前のことなんだろうけど、上手くSNSを活用できる気がした、あのポストからそう感じられたのだ。

あの何でもないゲーム画面を映したポストにはすごい力が宿っている、ような。
奇跡のようなことなんじゃないかとすら思う。

僕はnoteの検索欄に第五人格と入力して検索していた。
沢山の記事がヒットした。
皆このゲームに対するそれぞれの思いを綴っていた。
XのURLリンクを掲載している人も居て、どんなことを呟いているんだろうと覗いてみた。
そこには見事に第五人格のことばかり呟かれていた!

こういう人が僕は大好きなんだなあと思った。
オタク全開というか、好きで埋め尽くされている投稿はなんでこんなに魅力的なのだろうか。

自分自身の好きや興味、関心を理解し、人目を気にせず堂々と発信する。
その人は自分らしさを大切にしているように感じた。

こういう人には同じように同じものが好きな人が集まってくるだろう。
お互いに好きなことについて語り合い、しかもそれがオンラインゲームだった場合一緒に遊べるなんて、これ以上ない幸せなことなんじゃないかとさえ思う。

良い時代だと思う。
皆もっと好きを発信したらいい。
少し面倒くさいかもしれないが、言うだけならタダだ。
そのうち同じ好きを持ってる人があなたを見付けてくれるだろう。
そういう人ばかりになれば、あなたもきっとそういう人を探しやすくなる。

自己紹介とかプロフィールが大事な理由もここに繋がってくる気がする。

そして自分を偽ることの弊害がここにあるなと、やはり思う。
偽りの自分に人が集まっても、それは偽りの自分だ。
誰に対しても好かれようとするのは無理だ。
自分の意見や感情を抑え、相手の期待に合わせて振る舞うことになる。
そんなことをしていると心は容易く死ぬ。
単純に楽しくないはずだ。
自分の好きなことを同じように好いてくれる人と居られると、どれだけ安心するだろう。

しかし本音なら何でもよいのか。
僕は本音だからとなんでも思うがままを、わざわざ人に伝えない方が良いのでは、と最近思うようになった。


暗いことや怖いことを人は避ける。


人だから誰でも気分が落ち込むこともある。
そういうときは信頼している人に話を聞いてもらおう。
信頼してる人は簡単にあなたを見限ったりはしない。
もしくは誰も見ないメモ帳にしたためて、破り捨ててしまおう。
もちろんそういう気持ちを理解してくれる人が欲しい気持ちも当然わかる。

でも結局のところ僕らは人や社会との関係を生きているわけだから、そういうものと上手く関わって生きていくしかない。
お互い様の気持ちだけは失くしちゃだめだ。
ただし無理はしないように。

なるべく自分らしく居られる人と関わって生きて行くのが、生きやすさに繋がると思う。それはきっと好きを主張するところから始まる。

僕はどんな好きを持っているだろう。
どんな話をしてる時、心躍るだろう。
どんな人と居る時、自分らしく居られるだろう。


もちろん人の気持ちは時間と共に移り変わる。
好きな気持ちも、嫌いな気持ちも。
その度に興味も趣味も仕事も人間関係でさえもどんどん変わっていくのだと思う。

そこに人生の寂しさや愛おしさみたいなものを感じる。


まだ見ぬそういう人を見付けるためにも、見付けてもらうためにも。
皆もっと好きを出していこう。


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