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vol.4 山陰ロードトリップ故郷編

まず、最初に松江城に向かった。
京都から吹田、そこから中国道に入り雪の大山を右手に松江まで4時間。
子供の頃、父親のカローラで9号線をひたすら走り12時間かかった。途中で
中国道が落合まで開通して7時間に短縮。24年間国外にいる間に松江まで高速道路で行けるようになり4時間になった。
松江城に来るのはこれで二回目、多分20数年前。
今回は、友人のリクエストだった。江戸時代から残っている城なので、もちろん木造。しかも一番上まで登って行けるのでカナダでカーペンター業をしている僕たちにはかなり興味深い建物。
そこから宍道湖畔を嫁が島を右手に少し走り大東町に向かう。前回来た時は弟の運転で両親と一緒に来て、この県道沿いの美味しい蕎麦屋で蕎麦食べる食べないで家族で揉めたのも今は懐かしい思い出になってしまった。
島根は父親の故郷で分家として墓を数えると9代目に当たるのが去年亡くなった叔父。それ以前にも山に入っていったところが本家になるらしくもっと前からこの辺りに住み着いたらしいが、もう何も残っていないらしい。
父の実家に行くのに、バス停近くに車を置き200m近く山道を歩いて上がって行かなければならない。このバスも昔は大東町まで朝1便しかなく、あとは徒歩で1時間か、車で行くしかない。
途中までプロパンガスや荷物を運ぶための農道があるが、最後の100mは車も上がれない細い山道が続く。

バス停すぐの山道

山道を歩いて行くと横に流れる小川のせせらぎとホトトギスの声が聞こえてきた。父親の兄弟は八人、みんな実家を出て街に出た。叔父は、父親の住むアパートのすぐ近くに住んでいてよく遊んでもらった。プロレスの技で4の字固めやコブラツイストをかけられて泣いてた気もする。
その叔父が僕が小六の時に故郷に帰る事になった。実家を継ぐためである。
僕たち兄弟は引っ越しを手伝いそのままトラックに乗り込んだ。叔父に帰れと言われても降りる気なし。諦めた叔父は母親に僕たちの旅支度を頼んだと思うけど、僕たちは手ぶらで旅に出たのを思い出す。

石垣の上には蔵があった。

山の中腹にお城の石垣のような場所に古民家がある。電気は来ているけど、プロパンガスは台車に積んで人力で持ってくるしかなく、水道も川の水をポンプで汲み上げ、お風呂は五右衛門風呂。
薪で焚いて、板を足で沈めてその上に乗って風呂に入る。板がないと足が火傷するほど熱い。
冬は屋根に一緒に登って雪かきをしたり、夏は犬と一緒に山を走りまわり、大阪の文化住宅に住んでいた僕たちには、長い休みの時にいくコテージみたいなものだったけど、今はもう、誰もいない。




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