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自分の過去紹介①(幼少期〜小学校卒業まで:おぼっちゃまへの階段)

どうも、オスギです。
今、メインでは株式会社GOAL-Bでコーチングを提供していますが、個人でも営業活動しながらコーチングを提供しています。
コーチングとはなんぞや?という方も読んでいる中にはいらっしゃると思いますが、それはおいおいこのnoteで書いていこうと思います。
とは言いつつも今すぐ知りたい!という方は以下のリンクの内容を読んでみるとわかりやすと思います。
https://goal-b.co.jp/coaching/
もしくは個別にご連絡いただければ、zoomなどでお話ししながらお伝えします。

さて本題ですが、コーチングを提供していく中で、クライアントの方から有難いことに僕自身に興味を持ってくれることがあります。
どんな経験を持っているのか?であったり、どんな過去があるのか?など。
自分の過去のことを話すことに抵抗はないですが、それをクライアントからお金をいただいてするコーチングの時間に話をすることに抵抗があったので、noteに書いておこうと思い、久しぶりに筆をとることにしました。

2021年4月25日現在で僕は32歳なので、この32年間を一つのnoteの記事にまとめるとなると相当長くなってしまうので、今回は幼少期から小学校卒業までを書いていきます。


幼少期(誕生から小学校入学まで)

1988年10月6日に香川県丸亀市で生まれる。
母親の実家が香川県にあり里帰り出産だったため、生まれてすぐ東京に戻り世田谷区にて育つ。
基本的に泣き虫で野菜嫌い。
そして記憶力は良く、学生時代にはこの記憶力に何度も助けられた。
親の意向で小学校から私立の男子校に通うことになるが、いわゆる「お受験」の勉強や入学試験もこの記憶力の良さで乗り切れたと思っている。
ちなみに、「お受験」のための塾でどんな勉強をしていたのか?や入学試験の問題内容はいまだに覚えている。
例えば、道路の絵を見せられて、先生が順々にその道路を横切る動物の名前を言っていく。「犬が横切りました。次にその後を猫が横切りました。その次は象です。」など。そして先生が読み終わった後に、順番にどの動物が横切ったのか選択肢がある中から選んでいく。イヤらしいのは、回答用紙には50個分回答する欄があるのに、実際に横切った動物の数は40匹だったりする。そんなことを「お受験」の塾ではやっていた。

こんなことを月曜日と金曜日には塾に通い勉強し、そして水曜日にはその塾で教えている先生の家に行き勉強する。さらに土曜日には体操教室にも通っていた。この体操もお受験のためで、小学校によっては入学試験で平均台を歩かされたり、逆上がりができるか?とかを見られたりするからだ。
とそんな生活をしていたことも覚えている。
ちなみに、この通っていた塾や体操教室ではよく泣いていた。
先生に注意されたり、問題が解けなかったり、できないことがあるたびに泣いていたのを覚えている。
マジで、泣き虫だった。

それとゲイである僕が一番最初に男性に魅力を感じたのも幼稚園生の時だったと覚えている。
仮面ライダーのVHSを見ていて、男性に魅力を感じていたことは覚えている。(どんな場面で、その男性のどこに魅力を感じたのか?まで覚えているが、生々しいので割愛します。知りたい人は以下のyoutubeやpodcastで話をしているので見たり聞いたりしてみてください。)
●youtube
なぎラジ【Vol.63】ゲイの夜、それはカーニバル【パートナーコーチおすぎさん】
https://www.youtube.com/watch?v=izrPD9-lA6U&t=14s
●ポッドキャスト(ApplePodcastsやAnchorなどで聞けます)
今夜もここにゲイがいる 6-1.ゲスト:あっくんさん
https://podcasts.apple.com/jp/podcast/6-1-ゲスト-あっくんさん/id1430910468?i=1000419152475
https://anchor.fm/corgigayjapanese/episodes/6-1-e4np33


小学校時代

お受験に成功して見事に合格したため、小学校から制服を来てランドセルを背負って毎日片道1時間電車に乗って学校に通っていた。
今思えば、6歳の男の子が電車を乗り換えて1時間かけて学校に行くって、すごいことだな。と思う。
しかもその時は地下鉄サリン事件があったりして、親も子供一人で電車通学をさせるのは不安だっただろうな、と大人になった今ならわかる。

小学生の時は勉強で困ったことはなく、成績は常に上位
というのもここでも記憶力の良さを使っていたからだ。
基本的に先生が言ったことは頭にスッと残っていた。
そして、先生の話を聞いているとなんとなく「ここ大事そうだな。」っていうところがわかる。
先生の話し方だったり板書を見ているとわかって、そこを覚えればいいのかと直感的にもわかっていた。


勉強は良かったが、体育はどちらかというと苦手だったことを覚えている。
水泳だけは幼稚園の時からスイミングに通っていたおかげで早く泳げたが、それ以外のサッカーや野球といった球技は下手だったなと。
そもそもキャッチボールでボールをキャッチできない。投げても狙ったところにボールは飛んでいかない。
サッカーではリフティングなんてもってのほか。
大人になった今でもリフティングはマジで全然できない。

そんな小学生時代だったわけだが、スイミングの他に親がテニスを習わせてくれた。
これはスイミングに飽きて辞めたことで、親が僕の運動能力を心配して何か運動させたい、という想いから通わせてくれた。
これがのちに中学・高校で僕の支えとなるスポーツとなっていった。
このことは中学・高校のところで書こうと思う。

それと、小学校の時に始めたことといえばピアノだ。
僕には2歳年上の姉がいるが、姉がピアノを習っていて、それを見ていて自分もやりたくなり、習い始めた。
よくある、お姉ちゃんの真似っこ。
練習はそこまで好きではなかったけれども、それでもピアノを弾くことやピアノの音を聴くことは好きだった。
そして、趣味でピアノをやっているからということで、練習せずにレッスンを迎えても先生は怒らず優しく接してくれたので、長続きしたんだなと思う。
結局ピアノも31歳になるまで続けることになるわけだから。
このピアノのおかげでクラシック音楽に触れて、留学中にウィーンに行ってオペラを聴きに行ったり、モーツァルトの生家に行ったり、ショパンの心臓が埋まっている教会の柱を訪ねたり、と。

書いてて思うが、私立の小学校に通い、習い事がスイミング・テニス・ピアノと周囲からいわゆる「おぼっちゃま」と言われることは頷けてしまう。(苦笑)


さて、今日はここまでにしておこう。
産まれてから小学校時代まで書いて、この分量だ。
ここから中学・高校・大学、そして社会人となって10年間のことを書いていくので、かなりの長さになるだろう。
なので、とりあえず、ここまで。

ではまた次回。

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