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「ビジョン思考」の経営について。

ADDress/アドレスという会社をご存知でしょうか?公式ウェブサイトはこちら
日本・世界中の空き家や遊休別荘と、泊まりたい人をマッチングする、Co-Living(コリビング)という新しい分野のシェアリングサービスです。

私自身もエンジェル投資家としてチームの末席に加わらせていただいているのですが、ウェブサイトにはこのようなメッセージが書かれています。

これからは、マイホームだけではなく、
さまざまな地域にある家を、
シェアして暮らす時代。
スタイルに合わせ、選んだ場所で、
お気に入りの自由を過ごす。
そこで生まれる繋がりが、人生をもっと豊かにする。

好きな場所で、好きな時間を、好きな人と。

昨夜は代表の佐別当さんと、新富町にできた新しい貸切宿「茶心」にて、ADDressが目指す未来や地方創生について語り合ったのですが、彼のビジョンははるか先を見据えていて、とても心躍るものでした。世の中はこれからどんどんシームレスになっていきます。「住む場所」「働く場所」「生きる場所(コミュニティ)」の概念も変わっていきます。

私自身は、あらゆる分野で非効率が顕在化している”まちづくりの課題”は「境界論」だと思っているのですが、境界は人の心の中にあるもの。陣地(シェア)を奪い合うという戦いの経済から、シェアする、共有するという新しい経済への移行は、大きなパラダイムシフトを生む可能性があると思っています。(少し古い記事ですが、佐別当さんへのインタビューを貼っておきます

さて、以下は2019年05月20日付の宮崎日日新聞「客論」への寄稿を加筆したものです。昨日の佐別当さんとの会話から感じたこととも通じますので、加筆して公開したいと思いますm(_ _)m

時勢柄、最近よく聞かれることなのですが、令和時代は私たちの暮らしはどう変わっていくのでしょうか?平成の30年間で変わったもの、そしてこれからの経営者の心の(私自身の)在り方について思うことを書いてみました。

「令和元年である今日と、平成初期との大きな違いを一つだけ上げなさい」と言われたら、インターネットもスマホも存在していなかったこと。そしてそれによるGoogle的検索文化の有無ではないかと答えます。

 この「検索する」という機能は、あらゆるソーシャルネットワーキングサービス(SNS)のアプリに実装され、例えば若者に人気のインスタグラムにおける検索機能の利用率は、10代女性が約33%、20代女性が約27%と3割程度を占めています。特に若い女性の間ではインスタグラム検索がよく利用されていて、流行が生まれる情報の発信源にもなっています。

 インターネットの発見と発展に伴う「検索する」という文化は、世界のあらゆる壁を溶かし始めているように感じます。戦後最悪ともいわれる日韓関係の悪化の中でも、政治のイデオロギーに関係なく、両国の若者たちは国境を越えて深い文化交流をしています。それはファッション、音楽、飲食と幅広く、マルチカルチャー分野には新たなビジネスチャンスが次々と生まれています。

 我が国では純粋に「日本的である」ということに強いこだわりと美学を持っています。かつて経営においても、日本的な細やかな経営手法は世界から称賛され、世界有数の経済大国へと成長させました。インターネットがまだ無かった昭和の時代は、顧客から直接「検索」される情報量は極めて限定的であり、ある意味では情報は巨大資本やメディアが独占的に扱える特権のようなものでした。閉じていたからこそ、“戦後の奇跡”といわれた日本の成長は世界にミステリアスに映り、日本製品への憧れを生んだのかもしれません。

 今ではにわかに信じがたいことですが、驚異的成長を遂げた昭和が終わった平成元年、日本企業は世界の時価総額ランキングでトップ20社のうち7割(14社)を占めていました。しかし、令和元年の今日では残念ながら日本企業は一つもランクインしていません(最新のデータでは、日本最高のトヨタがようやく45位に登場します)。

この結果から見れば、平成は「日本が世界で負けた時代」ともいえます。その責任を取ること無く老人となった昭和世代と、その後(平成)のツケを次の世代に払わせられることに潜在的な違和感を持つ世代間の心理的断絶の溝は深まるばかりのように感じます。まあ、当たり前といえば、当たり前ですが、それでもグローバルに出ることのできない地政学的特性が日本の未来を悲観で包む要因にもなっているのでしょう。

 圧倒的に勝っていた昭和時代には、日本規格が次世代の世界のスタンダードになると信じられていたのでしょうね。今だに「〇〇協会に入って、日本規格を守らなければ商品は売れない」と言われることが多いのですが、一方で、プロダクトやサービスの独自設計はやがて日本国内の内需を守るための岩盤規制となり、世界の潮流からは遅れる要因になったような気がします。この間、世界はインターネットの登場による情報革命によって、一気に変化しました。

 昭和は、「境界」の内側に閉じながらパワーで勢力を広げた”強いものが勝つ”と信じられていた父性の時代。拡大する市場を囲い込み、勢力を拡大して奪い取る。より巨大な市場を狙う競合に勝つための戦略思考や兵法が重要とされましたが、「主君の為ならば何でもやる」という父性原理思想は、これが行き過ぎると戦争にもなることは歴史が示しています。

 そして、令和の新時代に生きる次世代の経営者像はどうあるべきなのか。自動翻訳や大容量通信が可能となるテクノロジーの進化は、言語の壁を溶かそうとしています。時代は、競争優位性を追求する「戦略思考」から、いつしかミッションに根差したビジョンを発信し、それに共感したユーザーを世界から呼び込む「ビジョン思考」「デザイン思考」へと変化し始めました。

 私自身は、平成後期に起業した若い世代(デジタルネイティブ世代)の経営者/起業家たちから学ぶことは多いと感じています。むしろ、「これまで」と「これから」の間に生きる我々は、すべての世代に平等にチャンスの芽を持っていて、不要な境界を溶かして美しい”愛のある”ビジョンを描くことができたチームには、国境を超えてビジネス的な賛同が集まる素晴らしい時代を迎えつつあると感じます。

 お前は自分自身のビジョンを伝える「強い意思」を持っているのか?自分自身に常に問いかけたいと思います。じわりと心の奥底から染み出した「本物の価値」は国境の壁を越えて広がっていくREIWA時代にこそ、日本人の思想性、優しさ、美しさは見直され、感性があふれるローカルのものづくりに、大きなチャンスが訪れると予感しているのです。

注)このエントリは、2019年05月20日付の宮崎日日新聞「客論」への寄稿を加筆したものです。

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