対等に接するということ
こんにちは!3歳0歳boys育児中のKyuと申します。
西野亮廣さんの「魔法のコンパス」からの学びを
昨日ツイートをしました。
今日はこれを深掘りしてみます。
子ども向けという発想は、大人のエゴ
私のツイート
「子ども向け」という発想は、大人のエゴ。子どもとはこうあるべき、と勝手に能力を低く見積もるのは未来の芽を摘むこと。
《魔法のコンパス》
たしかに、子どもって、
”ものすごい可能性に溢れた一個人”
「子ども」という言葉を変なレッテルとして使わず、あくまでも対等に向き合わうのが自然ですよね
日常を観察してみた
「子ども向け」はエゴ、という考えは私に新たな気づきを与えてくれました。
「子ども」というラベルによって、能力に優劣をつけていませんか?
という問いかけです。ドキッとしました。
これを意識して数日過ごしてみて、さらにドキッとしました。
心の中で
「こんなことまだ分からないよね」「まだ出来ないよね」「子供はこう言ってるけど、違う方が絶対にいい」「なんかまた訳わからないこと言ってる」
見下し、自分の主張を押し付けようとする気持ちの
出てくること出てくること!
じゃあ分かっている私が偉いのか?できる私が能力的に上?私が絶対正しい?
ほんと?って話です。
実際、脳の発達状態は子どもと大人で違います。
それを、子どもの脳は“未“発達と言われます。
でも、大人が子供に勝てないことってめちゃくちゃたくさんありますよね。
想像力、素直さ、元気、チャレンジ精神
未発達なんじゃなくて、状態が違うだけ、とも捉えられるのでは?
それに加えて、彼らには未来の可能性がめちゃくちゃ広がっているのです。
見下すどころか、敬わないと・・・!
色々な視点を持つ
親子の関係は、やはり親が導くという意味で、「自分が正しい」と思い込むことが必要な場面もあるかもしれません。親子間でも、どこまでも対等さを徹底することが正義!と思ったわけではりません。
でも、物事を色々な視点で見ることは怠ってはいけないと思います。
例えば、昨日の夜ご飯の時の出来事。
3歳の息子がご飯を食べながら足を机の上にあげようとしました。
(自分の足、座ったままどこまで上にあげれるかなあ、とふと思ったみたいです。)
反射的に「足っ!!」と言って、あ、しまったと思って、
「ご飯がひっくり返っちゃうから、足は下にしておいてね。」と付け加えたのですが、言いながら、ちょっと妄想してみました。
目の前に座るのが、よく知らない外国から来た地位の高い紳士で
食事中に足をあげるのが当然です、
という感じで突然足をあげようとしたら・・・
「あの…、日本では食事中に足を机の上にあげることはあまりしないんです。どうしてそのようにされるのですか?」
とか何とか言うかなあと。
少なくとも、腹を立てたり、「足!!」と言ったりはしないよね。
後半の「ご飯がひっくり返っちゃうから〜〜」と加えたのは、合格かな?
対等に接するとは
対等に接するとは、相手に対して、年齢や性別や色々なラベルを貼り付けて、
「正しい」「間違い」「良い」「悪い」「優れている」「劣っている」
という判断をしないことだと思います。
そんなこと出来てる、と思っていても、
どんなにフラットな大人でも、
つい勝手に優劣をつけてしまいがちな相手が、“子ども“
逆にいうと、子どもに対等に接することができれば、
本当にあらゆる人に対等に接することができるはず。
相手はこうなんだなあ、と素直に受け止めること。
そこからコミュニケーションをスタートさせることが対等な関係。
こういうスタンスで相手の能力を引き出すのがコーチング
改めて、子どものよきコーチであろうと決意したのでした。
「足!!」とか言ってるようではまだまだですね〜笑
ところで著者のキングコング西野さんについて。
Youtubeでお話を聞いたり書籍を読んだりして感じることは、
かなり高いレベルで「あらゆる人と対等に接する」
ことを実践されている方だと思います。
天然なのか意識的なのかは分かりませんが。。。
だから「子ども向け」は大人のエゴ、
だなんてさらっと書けちゃうんだろうなあ。
西野さんって色々とスゴイけど、やっぱりスゴイ人だなあ。と思ったのでした。
以上、ここまで読んでくださりありがとうございました(^^)
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