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親切心が日本を救う


こちらの記事の続きです。

給食支援員問題、都が100億円出すのも素晴らしいですが、
みんなで助け合って解決できる方法ないかなあ・・・
と考えてみました。

現代の日本社会のルール(資本主義)では難しそうです。

でも、ひとつ思想を取り入れると、
実現できる可能性がある気がしています。

そのことについて書いてみます。

親切心は幸せのタネ


取り入れたらいいなあ、と思う思想というのは、

「親切をしたら親切した人が幸せになる」
と、心底信じることです。

私は今、仏教を真面目に勉強していまして・・・。

この考えは仏教思想。

「親切した人が幸せになる」というのは、
「親切したら見返りがある」というのと微妙に違っています。
幸せというのは、目に見える物、言葉や数字で表せる物事、その場で即返ってくるものだけではないからです。
神様や仏様がなにかしてくれるとか、何かをくれるわけでもないです。

「よい行いをすればよい結果がいつか返ってくる」
そういう原理原則を信じる
、ということです。


「お金を出す」=「お金を失う」

と思ってしまうのが私たちです。

だけど、本当は
「人のためにお金を使う」=「よいことをする」=「よいことをした人が幸せを手に入れる」
とみんなが思えば世の中はどうなるでしょうか。

仏教用語ですが、
お金や物を出したり、色々と親切な行動をすることを「布施」と言います。
本来、葬式、法事、加持祈祷のお礼ではありません。

「みんなが学べるように建物の修繕費用を出させてもらおう」
そういう気持ちから、お寺の修繕費用を出したり
「もっと教えを聞きたいしみんなにも聞いてほしいから、先生である僧侶の方がもっと活動できるようお渡ししよう」
そういう気持ちから、お礼をお渡しする。
こういうことに始まり、いろいろな親切を「布施」と言います。

出せば出すだけ、自分が幸せになる。
だから、
「みんなのためにお金を使わせてください」
「みんなのためになることを私にもさせてください」
「私にも幸せになる種まきをさせてください」
という発想、思考回路。これが布施の精神です。

日本人、この思想をもっと知ってほしいなあ、と
学べば学ぶほど、強く思います。

祇園精舎はどうやって建てられた?


「祇園精舎の鐘の声〜」で有名な、祇園精舎という建物建立のエピソードをご紹介してみます。少し長いですが・・・。


ブッダの時代、コーサラ国に、「給孤独長者(ぎっこどくちょうじゃ)」といわれる富豪がいた。

ある時、他国でブッダに出会い、教えを聞く。

「人間の幸、不幸はどのように定まるか。善い行為は幸せを生み、悪い行為は不幸を招く。自分が受ける結果は、全て自分が生み出したものである。」

初めて聞くブッダの教えに魅せられた長者は、
「その素晴らしい法を、私の国にもどうかお伝えください」

深々と頭を垂れ、給孤独は続けて申し上げた。

「我が国にお招きするにつきまして、何千もの人が集える大講堂と、お弟子方の滞在できる精舎(しょうじゃ)の建立をお許しください」

長者はその場で快諾を得、喜色満面で故国へ帰り、精舎建立の準備に、早速取りかかった。

まずは用地探し。
方々を当たり、祇陀太子(ぎだたいし)の土地が最適と見て、早速、譲渡を願い出た。

「太子さま。ぶしつけにも突然お伺いしましたこと、お詫び申し上げます。今日は、太子さまが郊外に所有なさっている土地をお譲りいただきたいと思い、お願いに上がったのです」

〝あの土地が欲しいって?一体何に使うのだろう?〟
太子は即座に断りの言葉を口にした。
だが、長者はなおも熱心に続けた。

「実は先日、私は、マガダ国で、最高のさとりを開かれたというブッダ・釈迦にお会いすることができました。
ブッダは、全ての人が本当の幸せになれる教えを説いておられ、私は深く感動いたしました。
この国の人たちにも仏の教えを伝えたいと思い、太子のあの土地に、ブッダが説法される精舎(建物)を、ぜひとも建立させていただきたいのです」

太子は感動しましたが、譲りたくない土地に困惑しました。
断念させるために、何か難題を提示してみようか。

「よろしい。では、欲しいだけの土地に金貨を敷き詰めよ。それと引き換えになら譲ってもいい。どうかな?」

あれほどの広大な土地。全て入手するにはどれほど金貨が要るものか。目もくらむ巨額に諦めるに違いない。


だが意外にも、給孤独は跳び上がらんばかりに喜び、転がるように出ていった。
給孤独は、家人を総動員して蔵という蔵から金貨を集め、土地に敷き詰め始めた。

〝なぜここまで……〟

給孤独の本気を思い知らされ、太子は半ばあきれてつぶやいた。


「待ってくれ。そなたはなぜ、なぜそんなにまでしてこの土地をブッダに寄進したいと思うのか」


屈託のない笑みで、給孤独は答えた。

「太子さま、私は、この国に、仏法を伝えたいのです。
金や財はこの世だけの宝。私もやがて滅んでいく。しかし、永久に滅びぬ宝、仏の法を聞くために生かせるなら、こんなうれしいことはないのです。全財産なげうって、何の悔いがありましょうや」


長者の熱誠は太子の心に通じ、素直に感動した。

「ああ、あなたがそれほど尊敬されるブッダとは、何と偉大な方でしょう。もう金貨は結構。残りの土地はお譲りします。どうか私にも、尊い布施をさせてください。精舎建立のために寄進いたします」

後日、経緯を聞かれたブッダは、この精舎を「祇樹給孤独園」と名づけた。
「祇樹」とは、祇陀太子が献上した樹木を意味し、「給孤独園」は、給孤独長者の買い取った園地を指す。略して「祇園精舎」という。

この祇園精舎で人々の心を救う教えが説かれた。

一からわかる親鸞聖人と浄土真宗
「お釈迦様物語|「祗園精舎の鐘の声」の祇園精舎が建立された経緯とは」参照
https://1kara.tulip-k.jp/buddhastory/2016121335.html


この話は、ブッダの話が、それほど素晴らしかった
という話でもありますが、
給孤独長者「ブッダの教えを理解して実践した話」とも言えます。

それが、太子に伝わって現れたのが
最後の「どうか私にも、尊い布施をさせてください。」という言葉です。

ポスト資本主義

この思想がもし浸透すれば、前の記事で書いたこれらの解決策も、荒唐無稽なものではなくなると思うんです。


例えば その1
大企業が、毎日1人、3時間、社員を学校ボランティアに送り出すことにする。その時間の給与も支払う。

例えば その2
企業が、社員が勤務時間中に学校ボランティアに行くことを認める規定を作る。給与は払わないけど、仕事を抜けてボランティアに行くことを認める。

例えば その3
ある資産家やある企業が、給食支援員を拡充する資金として、100億円出す。

東京都知事が
「100億円あったらみんなに喜ばれる〇〇ということが実行できます!誰かこれをやりたい人いませんか?」
と声をかけたら
お金に余裕のある人達や企業が
「私にやらせてください!」と、手を挙げる。

「生活に支障のない範囲でできる〇〇というボランティアがあります!誰かやりませんか?」と声をかけたら
企業が「うちの従業員にしてもらいます!」
個人が「やらせてください!」と、手を挙げる。

政治は、そういう動きができる仕組みを作りつつ
個別の課題の抽出や必要な費用の計算をする。

こんな世界ができたらいいなあ、というのが私の妄想です。

クラウドファンディングに近いかもしれませんね。
公共的なことも、一部でも、それで実行されたら素敵だなと思うのです。

こういうのも、ポスト資本主義って呼んでもいいかなって思ってます。


ところで、手を挙げるのは、余裕のある人だから、余裕ある人の話でしょ?
と思われるかもしれませんが、それは違います
なぜなら「思想」の話だからです。

前の記事で思考実験してみたように、
今の資本主義思想の中では、いくら余裕があっても、布施の行動が困難です。
だけど、持たざる人も持っている人も、一人一人が思想を取り込んで体現していけば、持っている人も、それに必ず巻き込まれます

資本主義で世界が豊かになったのは良いことだと思います。
だからこそ、次の時代となる、これからの時代、布施の精神が強く求められていると思います。

長くなりました。
ここまで読んでくださってありがとうございました!

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