春よりも秋の方が出会いと別れの季節かもしれない。
私は踊ることが好きだ。
そして今日、踊ることを辞めた。
幼い頃からアイドルが好きだった。
幼少期の写真には「これが通常です」かのような自信満々のアイドルポーズで、ペカーッと前歯の抜けたハーフツインの私が笑っている。
眩しいほどの光の中でふわふわの衣装を翻して可憐に、軽やかに、時には稲妻が走ったかのようにギラギラと踊る。ステージの大小に関わらず端から奥の方まで、そして画面の向こう側まで笑顔にしてしまう。魔法みたいに。
いつしか、アイドルのような人になりたいと思うようになった。
「職業:アイドル」になりたいのではなく、今の自分が持っている最大限の力で、目の前の人を照らせる、温もりを与えられる「アイドルのような人」になりたかった。
夢に一歩足を踏み入れたのは、大学で入部したパフォーマンス系の部活だった。最後のチャンスだと思った。
アイドルを見るだけでなく、踊ることも大好きだった。自宅で上半身しか映らない小さな鏡に決め顔決めポーズをしては、時々我に返り恥ずかしくなる。それでも、次の日にはまた踊っていた。
とはいえ、人前で踊る勇気は微塵もなかった。
第一印象で「真面目」「静か」「ポーカーフェイス」のどれか一つが必ず入る影側の人間だから。
小・中学時代はクラスメイトに「お前影薄いから怖いんだよ!」と理不尽にキレられた。存在が薄すぎるらしい。目が小さくて細いから「怒ってる?」と聞かれることも多かった。
高校生になってからは常に口角を上げること、明るく振舞うことを心がけ、馴染もうとそれなりに頑張った。結果、「一緒にいて面白くないんだよね」と陰口を叩かれ気付けばひとりだった。すぐにヘラヘラ笑う癖だけが今も無惨に残っている。
私は、アイドルみたいにはなれない。
それでも、なりたい。
記憶が曖昧な頃も、通学バス内でひとり泣いた頃も、そばにはずっとアイドルがいたから。
コロナの影響もあり、ステージに立てたのは大学2年の秋だった。想像よりも大きなステージで、緊張で全身が震えた。
これまでの人生で緊張した経験といえば、吹奏楽部時代に急遽ソロを任せられ、本番で音が出ず20秒ぐらい立ち尽くしたことだったが、それを遥かに上回った。
それでも楽しかった。幸せだった。いつもより空が広く見えた。
部活を引退してからは社会人チームに所属し、活動を続けてきた。思い返せば途中からは「好きな人に会いたいから」が軸になっていたかもしれない。いや、確実にあった。後半は絶対そう。
それを抜きにしても、踊ることが好きだった。周りとの差に落ち込んで泣いて、それでも好きだから続けて、また泣いて落ち込んでを繰り返しここまで来た。今更辞める選択肢なんてなかった。
そんな思いとは裏腹に新社会人になって3ヶ月が過ぎた頃、私はうつ病になった。
「ゆっくり休んで、好きなことだけをしてね。」
優しい言葉を素直に受け取れない。
新卒なのに、そんなに頑張っていないのに、病気になって休んで周りに迷惑かけて、もっと頑張っている人は沢山いるのに、好きなことも今の状態じゃできなくて、人に会うのも電車に乗ることも怖くて、そもそも私は好きなことをしていい立場じゃないんです、ゆっくりってどうすればできますか、どうしたら明日も生きようと思えますか、普通になれますか、大丈夫になれますか、と今にも吐き出しそうな言葉と涙を堪えて頷く。
ぎゅっと握りしめていたスマホが光る。
チームからのLINEだ。体調を崩してから気付けば半年も参加できていない。
音楽を聴くことも、本を読むことも、ちょっとした買い物も難しくなった。
メイクもしなくなった。好きな人に褒められた肌は荒れ放題で、やっとの思いで縮毛矯正をしたサラサラの髪は行方不明だ。
次、私はどの「好き」を失うんだろう。
ロック画面には大好きで憧れのアイドルが笑っている。
街が暖色に染まり始めた頃、私は踊ることを辞めた。
初めて衣装に袖を通した日のこと。
部活を一度辞めた時、同級生が「まだ一緒に踊りたい」と毎日私にメッセージをくれたこと。
目の前のお客さんが私以外を見ていて、悔しくて悔しくて泣きながら帰った夏休みのこと。
真冬の夜、公園で自主練をしている時に通りかかった学生カップルに笑われたこと。
後輩に「先輩の踊っている姿を見て入部を決めたんです」と言われたこと。
お客さんに「最高にカッコよかった」「また来てね」と声をかけられ、握手をしたこと。
誰かと同じ時間を共有し、同じ景色を見ることがこんなにも煌めいて、愛おしく感じたこと。
夜のメリーゴーランドみたいに思い出がゆっくりと、キラキラキラキラ流れていく。
私はこの数年間で一瞬でも誰かの光に、アイドルのようになれただろうか。
たとえそうじゃなくても、飽き性で豆腐より脆いメンタルの自分がここまで続けてくれた事実こそが、私自身の光になっていたかもしれない。
踊ることが生きがいで希望であった日々がなくなる。後悔と絶望は容赦なく私を毎日ぶん殴ってきて、その度に仕方ない、仕方ないよとなだめる。私は好きなことを嫌いになってしまわない手段を取った。ただそれだけのことだ。
送られてから数年放置していた写真を見る。
そこには目の前のお客さんと目が合い、「こうなりたかった」笑顔で踊っている私が確かにいた。