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家に帰れなくなった夜/そろそろ日本に帰りたくなってきた人間のイギリスワーホリ記⑪

 御機嫌よう、休日です。
 ロンドンの夏日を満喫しており、順調に肌が焼けております。週3ピクニックは流石に飽きるということがわかりました。

 前回はこちら↓

 ※この物語は全てフィクションです。


はじめての飲食勤務、"最高"のまかない。

「面接と、トライアルに来ました」
 私が恐る恐るレストランの扉を開けると、せかせかとした動きの店員が私を店内の空いているスペースに通してくれた。
 荷物置いていいよ、リラックスしてね、水いる? 氷いる? 今日は暑かったから……とすごく気を遣ってくださり、逆にちょっと怖い。
 メールのやり取りをしていたマネージャーさんが現れて、日本語で面接が始まった。ものすごく軽い、ほぼ何も聞かれていないに等しい。
「じゃとにかくトライアルしてみようか。やってほしいことはテーブルを回って水をつぐ。あと、終わった人のテーブルを片付ける。今日はこれだけでいいから」
「はい!」
 マネージャーさんが丁寧にやり方を教えてくださり、2時間のトライアルスタート。
 お客さんが少なかったのでお水の準備をしながら、これから一緒に働くかもしれない店員さんたちと話し始める。シェフさんたちも話しかけてくれる。総勢10人程度、全く名前を覚えられる気がしない。でも和気あいあいという感じで楽しかった。
 思ったよりネイティブの方が多いせいか、話すのが早くてめちゃめちゃ頭を使う。
 ピッチャーの水を継ぎ足そうとバーカウンターに行くと、綺麗な店員さんが居た。細身でふわふわとしたショートボブ、けだるげな表情と少し崩れた姿勢が美しい。
 めちゃめちゃ好み~、などと内心の浮かれた気持ちを隠して自己紹介する。うわ、この人も英語ネイティブだ(気後れ)。てか名前も可愛い。最近好きだった香水の名前と一緒だ。
「フルタイムで働くの?」
「パートタイムです。パートタイムの方が好きなので」
「はは、私も」
 と言って笑ってくれた。笑顔もとても綺麗で、ドスン、と何かが落ちた音がした。いやあの、ちゃんとした場所以外では恋しないと決めているので、そう、これは推しってことで。
 推し、か。最近は都合の良い言葉ができたもんだ。

「どう? 結構忙しめな店になるけどさ、できそう?」
 トライアルが終わった後、マネージャーさんが私に聞いてくれる。
「私は大丈夫でした! ここで、働きたいです!」
 飲食なんか働いたことがないので、忙しいも忙しくないもわからない。給料が見合っているのかとか、そういうところも一切わからない。 
 でも、あんな美しい人が働いているのならブラックなわけがない。たとえブラックだとしても黒曜石だ。
 痛みなく、切れ味するどく切ってくれるならいくらでもこの身を差し上げます。
 その後メールにて採用の連絡が来た。よし、もう一旦ここに決めよう。私はそのメールを受け取ってからは他の仕事に応募しなくなった。

 ドキドキしながらの初勤務。
「働くことになりました! よろしくお願いいたします!」
 先輩方は一人残らず良い人で、私の拙い英語を嫌がることなくニコニコと聞いてくれる。接客業のプロだ、絶対にこちらを嫌な思いにさせない。
 階下にあるトイレ掃除の仕方を教えてもらい、終わらせてフロアに戻ると「まかない」ができているから食べて! と言われてまたすぐフロアを離れた。
 先に食べているマネージャーさんがここ座りな、と椅子を指す。
「これ。キュウジツさんの分」
 確かチキンの揚げたものと、野菜を白ご飯の上に乗せた丼物だったような気がする。
「え、これ、食べていいんですか」
「おん」
 頂きます、と恐る恐る口へ運ぶ。美味しい。
 久しぶりに温かいものを食べた、というのは流石に嘘だけれど、気分としてはそうだった。
 どうしても人との食事はSNS投稿用に写真を撮って、気を遣って会話を探して、相手の食べるペースに合わせて、次の遊びの計画を立てて、と色々することがあるのでなかなか味がしない。家では忙しすぎて最低限の栄養補給しかしないし。
 何より、食費のかからない味というのは甘美なものだ。
「美味しい~~~ッ!!!」
 本気で感動で泣きそうになっている私をシェフたちが笑う。
「いっぱい食べな! そして一ヶ月もしたら、お腹が……」
 お腹が膨れたジェスチャーをされる。太るってコトだ。太るのはいいけどお腹が出るのは嫌だなぁ。
 嫌、だなぁ。一瞬「自分」に戻りかけたのを感じて少し頭を振って「職場の私」に戻る。
 まだだ、まだ魔法が解けるには早い。あと8時間、私は食べるのがだいすきで、何の悩みも無くて、腹の底から明るいポジティブ人間なのだ。
 業務は正直めちゃめちゃ大変で、本当に目が回った。推しがどう、とか言ってられなかった。これは多分英語の問題ではなくて、業務内容の問題だ。3時間くらいで「お、これ私向いてないぞ!」と悟った。
 でも、できないことができていくのって、楽しいのだ。頭に血流がどんどん巡って、賢くなれたような気がする。
 ヘトヘトの体を引きずって、23時過ぎに部屋にようやく帰ってこられた。いつもならもうすっかり寝ている時間だ。
 明日のスケジュールを確認する。
 仕事のない時間には、今まで通り予定を朝から詰まっている。ツイッターで、就職が決まったというと沢山のお祝いリプライが来た。
 たかがバイトの面接に受かったくらいで、こんなに褒めてくれるのだ。ここは良い世界なのかもしれない。
 ……タダでご飯も食べられるし。そう、きっと、良い世界。
 シャワーに、入らなきゃ。

お家に帰れない。

 働き始めてようやく一週間が経過。シェフ達からのビールでも飲むかという魅力的なお誘いを断って家路につく。
 超朝型人間、24時を超えると頭が動かなくなって活動できなくなるのだ。その前にシャワーを済ませて寝る必要がある。
 少し遅れてきたバスに乗り込むと、まかないを開く。行儀が悪いが、色々考えた結果車内で食べるのが一番良い方法なのだ。まだ「職場の私」なので、無料でご飯がもらえるなんて~! とるんるんで大嫌いな魚を口へ掻き込む。
 ごちそうさまでしたをして、少し経った頃に車内に何か放送があった。眠気に負けてうつらうつらとしていて聞き取れなかった。何があったのか車掌さんに聞きに行くか迷っていると、電光掲示板にも表示が出た。
『このバスは次のバス停が終点になります』
 降ろされたのは知らない駅。乗っていた数人は駅で待つ人、どこかに歩いて行く人と様々だ。
 グーグルマップを起動して、ここから家への帰り道を探す。どうやらここで違うバスを待てばよいらしい。

 遅い。
 バスが全然来ない。グーグルマップの表示上は、もう3本も来ているはずなのに。イライラしてきた。都会育ちなので3分に1本電車が来ないと腹が立つし、バスなんか乗りたくもない。
 安いからってバスに乗っている今の状況にも腹が立ってきた。
 ようやく来たバスに急いで乗り、ガラガラの車内で自分の気持ちを落ち着かせる。さて、どの駅で降りるんだっけ、とグーグルマップを見ると……。
「全然違う所にいる!」
 どうやら乗るバスを間違えたようだ。とにかく降りなきゃ。ストップボタンを押し、次に止まったところで降りる。
 どこだ、ここ。
 まだ土地勘なんかない。眠すぎるのとお腹が重いので、頭もよく回らない。スマホでどうやって検索するのか、わからなくなってきた。
「と、とにかく動かないと」
 何をどう調べたのか覚えていないが、また違うバスに乗って、でもどんどん家から遠ざかっていく。
 慌てて降りる。住宅街の小さな駅、かろうじてベンチがあったので座る。
「どうしよう……」
 時刻はついに日付を越え、私の思考力が失われる時間になってきた。
 ダメだ、焦点が合わなくてスマホが読めない。ふわふわする。誰も居ないバス停のベンチからずり落ちて、地べたにへたり込んでしまう。
 夜だけどキツネもいなくて、人間も居なくて、車も全然通らなくて、暗くて怖くて、うまく検索できなくて。でもツイッターならできるなぁ。画面読みにくいけど、体に染みついた動きでツイートをする。
『駄目かも。野宿かも。どうやって帰っていいのかわからない……』
 気温はいいから、最悪、眠れるな。芝生、隣にある。もうどうだっていい、わからない。……。
 ……なんで私ここに座ってんだ? あ、そうか、家に帰らなきゃいけないんだった。家って、どこだっけ。東? 西? 私はどこに住むことになったんだったっけ。駅名がわからない。
 住所を確認しようとスマホを開くと、通知バーにメッセージが表示されていることに気づいた。

『大丈夫か?笑』

 友達からDMが送られてきていた。
『ウーバーで帰りな!』
 ウーバー、聞いたことはある。なんだっけ、タクシーみたいなもんか。でもバス代以上にお金をかけたくない。
 何往復かメッセージをする。私の返答があまりにも支離滅裂なので、友達が指示を飛ばすようになった。
『何も考えられてないじゃん笑笑 絶対ウーバー! 私が払うから帰りなさい笑 アプリある?』
『ない。インストールする。どれ』
 ひとつひとつ指示をもらって、なんとかウーバーを手配することができた。
 タクシーに乗るときは録音しておかなきゃ、と妙に理性を働かせてボイスレコーダーアプリを探すが見つからない。手が滑って、わけのわからないアプリを開いてしまう。……。
 ……何してんだっけ。そうだ、タクシーを呼んで……うん……。
 あ、友達にお礼DMしておかなきゃな。とりあえず地面に座っていると良くない。 
 立つと、頭をバス停の壁にしたたかにぶつけた。眩暈だろうか、地震だろうか。もう何がなんだかわからない。眠い。
 そうこうしているうちに黒い車が私のもとに近づいてくる。
「キュウジツです」
 一応挨拶。返答が返ってきたのか覚えていない。乗り込む。何もわからない。暗い。怖い。
「仕事?」
「あ、はい。バスで帰ろうと思ったけれど、よくわからなくなって。眠いし、ははは。生きるって難しいね」
 ……という会話しか覚えていない。多分普通に帰ってこられたのだろう。
 部屋の床に倒れこんで1時間気を失ったあと、服を全部脱いでそのままベッドに倒れこんだ。
 次の日は朝6時半に起きた。

 夜遅いの、無理かも!?


 それでは今回はこのあたりで。
 休日でした。

【今回のヘッダー】蝶が咲く花。蝶々ファームは、温室なのでとても暑かった。

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