仕事との付き合い方がわからない/そろそろ日本に帰りたくなってきた人間のイギリスワーホリ記⑫
御機嫌よう、休日です。
最近また海外旅行に精を出しており、ヨーロッパを楽しみ尽くすために気力を振り絞って出かけております。
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※この物語は全てフィクションです。
「普通」の日常を送れるようになった。
渡英直後からずっと仲良くしている友達(日本人)と遊び終わりに飲んでいると、職場の話になった。お互い就職して1か月も経っていない。
「初めての飲食だったからかなり不安だったけど、なんか思ってたのより良いかも。みんな優しいし、業務は楽しいし、なんてったってご飯くれる!」
ニコニコと私は職場の感想を述べる。嘘ではない。できないことができるようになっていく感覚は楽しいものだ。
「大事よな~まかない。正直、食費ばかにならないからさ~」
「あんたも働けばいいじゃない。美味しいわよ~白いご飯、寿司、てんぷら、味噌スープ、たまにラーメン」
「そーゆーの良くないよー、マウントっていうんだよー」
友達がビールを飲みほして、しみじみとした顔つきになる。
「白いご飯、いいよなぁ……。私さぁ、電子レンジで1合だけ炊けるやつ持ってきたんだけどこっちの電子レンジだとワット数が……」
色々と白ご飯について語る友達の話を聞いていると、そこまでしてご飯食べたいか? と頭の中が少し正気に戻りかけて、慌てて私もビールを飲みほした。
「よくわからんが大変そうですねぇ。それがなんとわたくしの職場、白ご飯貰い放題!」
「だからマウントやめろって!」
ぺらぺらと良く動く口に任せて、私は思考を放棄する。
この喋っている相手は結構お堅めのところ、かつフルタイムで働いている。どうせ、帰国までその仕事を続けるだろう。私みたいなバイトとは違う立場だからこそ冗談が言える。
私の人生で飲食バイトなんかをすることがあるだなんて日本にいたころは思っても見なかった。だって、最低賃金とかありえない。仕事なんかいくらでもあるのになんでわざわざ給料の低いものを選ぶわけ?
でも円換算すれば1500円くらいか、と思うとちょっと面白い。いいじゃない、初めての飲食バイト、初めての最低賃金ってね!
普通のワーキングホリデーの人っぽく暮らせているだろうか。普通というのは、大事だ。人数が多いということだから、共感を生みやすい。
ツイッターに仕事のことを呟くと、たくさんいいねが付いた。
お仕事は楽しい。本当に。
まだグーグルマップを見ないとたどり着けない職場が見えてくる。
服装、髪の毛、大丈夫。メイク、大丈夫。表情、大丈夫。
一回だけ頭を振って、元気よく職場に入っていく。
「おはようございまーーーす!」
最高の仲間が「キュウジツだ!」とにこやかに迎え入れてくれる。
シフトを確認して誰が居るのかは確認済み。名前を覚えるのが苦手、とか言ってられない。こちらは名前を呼ぶ文化、全力で頭に名前と顔を叩き込んだ。
「元気? 私はめーーーちゃ元気!!!」
「いいね、その元気を分けてほしいよ。もうご飯できてるから先食べて!」
私は喜んで階下にあるキッチンに向かって駆け下がる。
「おはよう、今日はパスタ? おいしそ~! いただきます!」
キラキラした目でまかないを取り、割り箸をパン、と割る。
「キュウジツが来ると職場が明るくなるね」
「?」
英語がわからないふりをして、ご飯をパクパクと食べる。今日はクリームスパゲティだ、和食レストランでも、洋風のものがたまには出るらしい。
美味しいご飯を完食すると、次の人に声をかけに行く。
「食べ終わった! 美味しかったよ~次はあなた?」
階下のキッチンが今日の私のポジション。階段を再び下がるとさっき挨拶し損ねていたシェフの一人が居る。
「キュウジツか、元気?」
「私はいつだってハッピーガールだよ♡」
冗談っぽくそういうと、シェフが眉を顰める。
「嘘だろ。あんた、たまに凄く悲しそうな表情をする」
「見間違いだよ~」
笑って、皿を拭きだす。
一回お皿拭きをやってみたかったので凄く楽しい。階段を上って、お皿を所定の場所に置いて、おや、ちょっと手が届かないのでシェフさんに手伝ってもらっちゃった。
「ありがと!」
何をしても許されそうな可愛い笑顔を向けておく。私が笑うと周りが幸せになる。くっきりと出るえくぼが可愛い可愛い、とみんなから言われる。
ピークの時間帯になってきて、とっても忙しくなる。私はこんな忙しさを経験したことがない。
料理を運ぶ、皿を片付ける、テーブルを片付ける、頼まれている注文を誰かに渡す、食器のトレイを下げるタイミング、さっき問い合わせのあった忘れられているオーダー……頭がこんがらがってきて固まってしまう。
「キュウジツ、おちついて。これとこれ、テーブル14ね。はい行く!」
シェフさんたちの助けがあってなんとか仕事ができている。えっと、14番テーブルってどこだったっけ……。
ヘトヘトになってバスに乗る。恵まれているなぁ、とまかないを食べながら思った。もっともっと仕事をできるようになって、みんなの役に立ちたいなと心の底から思った。
まかないをバスの中で食べ終わって、ほっとする。
家に持って帰ってしまえば地獄が待っているから。
派手髪を隠し持って。
Bootsという薬局で、毛染め剤を買った。
鮮やかな青色、チューブタイプのものだ。初めて使うモノなのでこれで足りるかわからなくて、紫色も買っておいた。
無職を捨てて社会に適応してしまったので、毛先に入っている派手髪をさらに鮮やかにしたくなったのだ。もちろん、職場ではお団子にして派手な部分は隠している。シェフのなかに赤髪の人が居たのでおそらく青・紫色の髪の毛でも怒られないだろうが、私はこの可愛い髪の毛にお金を稼がせたくない。
すっかり硬水の洗礼を受けてバサバサになった髪の毛に、青色のペーストを塗りこんでいく。
ガサガサという音と手袋の下に入り込んでくるお湯が気持ち悪くて、もういいや、と手袋を脱ぎ捨てて素手で塗り始める。マニパ二を素手で塗ると皮膚が染まるのは知っているが、どうでもいい。
疲れた。
慣れない業務、絶え間ない英語、階段を何十往復して筋肉痛になった足、吐きそうなほど多いまかない。そう、ほんとに多い。
初日に目の前に置かれたどんぶりを見て、背筋が寒くなった。大盛のお米の上に乗った揚げ物。これを、ぜんぶ、たべなければならない。
動物にエサをやる行為が好きな人は多い。
たくさん食べる人の方が可愛がられやすいと知っているから、職場にいるときの私はよく食べてしまう。
元々小食の私の胃が悲鳴を上げようと、油っこい食事で気持ち悪くなろうと、辛いのが嫌いで苦手で内心泣きそうになりながらも、白ご飯や魚があまり好きでなくても、食べてしまう。食べなければいけない。
お金貰ってんだから。周りの人の機嫌を損ねてはいけない。
「職場の私」は難なくその拷問のような量の食事を食べられるし、「美味しい、シェフを呼んで!(目の前にいる)」などと冗談を飛ばしていられる。
仕事が終わって自室で「私」に戻ると、あまりにお腹が重たくて全部吐き出したくなる。ほんとうに、つらい。内部から私が食べ物に侵食されていく。
あまりにも辛くて、泣きだした私をどうにかしないと、と思って過食嘔吐を長年しているネットの友達に連絡を取って吐き方を教えてもらった。帰宅後に試してみたが、食べた直後じゃないと無理そうだ。あと、嫌いな魚を食べた後に吐くと口の中が魚臭くなってもっと死にたくなる。
全てが気持ち悪い。可愛い色の髪の毛を隠し持たないと、耐えられない。
『職場のまかない多すぎて吐きそう、つらい』
と、ツイッターに打ちかけて削除した。職場の人がこのアカウントにたどり着かない可能性の方が少ない。
来て1か月ちょっとだが、ロンドンで日本語を話す人が少ないため、職場の人・ツイッターの人・ミートアップの人、色々なところで誰が私の話をしていてもおかしくないことをなんとなく理解していた。
日本人がいる職場のことを一言たりとも悪く言ってはならない。私はこのコミュニティーに縋りつくしかないのだ。
代わりに可愛い髪の毛の写真を撮る。
『染めました!』
投稿すると、結構いいねが付いた。私の選んだ髪の色、可愛いでしょ。知ってる。
髪が完全に乾く間に、冷凍庫から凍ったまかないを出して電子レンジに放り込む。
これは餌。これは餌。私が生きていくための必要な努力。無料で食べられるものに文句を言ってはいけない。
シェフが私にしてきた、お腹が膨らむジェスチャーが頭から離れない。お腹が出るのはほんとにほんとにほんとに嫌だ。お腹が出てきたら死んでやる。
蒸気と共に油っぽい香りを部屋に撒き散らす物体を電子レンジから取り出すと吐き気がしてきたので、ゴミ箱の上まで持っていった。1分くらい思い悩んだあと、床に皿を勢いよく置いて割り箸で食べ始めた。
これは餌。生きていくためには食べなければならない。生きていくことにお金なんか払いたくない。
食費を節約するくらいしか脳がないんだから、文句を言わずに無料のものを食べておけばよいのだ。身の程を知れ。食事にお金をかけて良い立場じゃないだろ。この能無し金食い虫。稼ぐ能力のない社会のお荷物――。
完食。
『お金ならいくらでも送金してあげるから、ちゃんと食べてね』
渡英直後に送られてきた母親からのラインのメッセージが頭にちらつく。
安心してください、私、ご飯を食べています。ご飯を、食べています。
鏡を見ると私が映っていたから笑顔を作った。えくぼが気持ち悪いから、笑顔を消した。
このクソみたいな笑顔で愛してもらえるでしょうか、社会に。
それでは今回はここらへんで。
休日でした。
【今回のヘッダー】スペインのかわいいサボテン。いつか、サボテンを食べてみたいです。
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