そろそろ日本に帰りたくなってきた人間のイギリスワーホリ記②
ご機嫌よう、休日です。
フラットの鍵を忘れて深夜に締め出しをくらい、左足が軽度凍傷になりました。私は元気です。
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※ここに書かれていることは全てフィクションです
ロンドン、到着。
2023年5月某日、朝。空港に着いた。
久しぶりの入国審査はトラブルなく通過、一番心配していたロストバゲージもなし。よし、幸先が良い。
このまま電車で寮へと向かう。電車が一番安いからだ。私は無駄に使えるお金を持っていない。
5年前の旅行で使ったオイスターカードは期限切れなのか使えなくなっていた。
券売機には大きなスーツケースを持った家族が3組くらい群がっていて、切符の買い方についてスマホで調べている。それの後に並ぶのが嫌でWiseカードを使って電車に乗り、語学学校の最寄り駅へと向かう。
ピッ、と音が鳴る改札機には値段の表示がない。間違って大金を請求されたらどうしよう、と不安になった。
一切電波の入らない地下鉄に日本語で悪態をつきながら、大きなスーツケースを持って階段を登ろうとする私を周辺の人が助けてくれる。
筋トレの機会を奪われたことを少し残念に思った。でも貰えるものは貰っておくのが大事である。
ありがとう、すごく助かりましたとお礼を言うと、「ロンドンは初めて?」と聞かれる。「はい、一ヶ月過ごす予定です。すごく楽しみです!」と全部嘘で返した。
日曜日、それも朝だからだろうか、語学学校の廊下に人の気配はなかった。静まり返った校内に私が部屋の鍵を開けた音が響く。
扉を開いた瞬間のひんやりとした部屋の空気を今でも鮮明に覚えている。
なぜかクーラーがかかっていたらしく乾いてひりつく空気が足元に流れ込んできた。白を基調とした新しい部屋、小さめの机、細長いクローゼット。
簡素で現代的で、私の好きなインテリアでは全くない。でも別に、ここに住むわけじゃないし。
靴も脱がないまま真っ白なベッドに倒れ込んで、目を閉じる。
来ちゃった、イギリス。
食材の買い物したほうが良いかな。荷解きしないとな。シャワーも入らなきゃ。キッチンに何の設備があるのか確認して、スマホの充電をして、明日のスピーキングテストに向けて勉強もしなくちゃ。
『無事イギリス入国できました!』
ツイートをして、何も考えたくなかったからとりあえず眠った。
昼過ぎに起きて、リュックに詰められてぺしゃんこになった機内食のパンを食べ、キッチンで水を汲んで、飲んでまた寝た。
水道水はロンドンの味がした。
ロールモデルとの出会い。
朝早く起きて、部屋で香水をつける。
ダイソーで買った大きめの鏡は半身しか映らない。コーディネートを確認できなくて不安に襲われる。
多分、大丈夫。アイメイクも普段使わない茶色で「普通」っぽくしたし、香水も「万人受け」とかいうやつにしたし。
私の嫌いなものばかり。まぁ、初日くらいは世間に合わせてあげましょう。
一番乗りだったらしく、朝食会場には私以外の生徒は居なかった。スタッフさんに今日が初めてです、と挨拶をして朝食を食べる。特段美味しいというわけではないが美味しくないわけでもない。
ぽつり、ぽつりと生徒が現われて一緒に机を囲む。冷や汗をかきながらの会話だったがみんな初対面でも優しく接してくれた。
そんな時に、一際輝く笑顔で現われたのが彼女だった。
扉を開けた瞬間に皆が口々に彼女の名前を呼んだ。日本人だ。
よく通る声でそれらに答え、私と目が合うとこちらへずんずんと向かってきた。
「はじめまして! これからよろしくね!」
彼女の言葉は真っ直ぐだった。英語だから? いや違う、きっと日本語でも彼女の言葉は曲がらないだろう。
放つ言葉に躊躇いがなかった。振る舞いの全てに自信が満ち溢れていた。
会話に人をどんどん巻き込んでいく。誰もが彼女のことを知っていて、誰もが彼女に話しかけ、彼女は全員を嫌味なく褒め、全員の名前をこともなげに覚えていて、振る舞いに愛嬌があって目が離せない。
私はここまで外交的な人間を今まで見たことがなかった。
コミュ力お化け、というネットスラングを思い出した。彼女はその言葉そのものだった。
学校という小さな世界は彼女を中心に回っていた。
面白い、これだ。私が第二のアイツになってやろう。
簡単なことだと思った。彼女が私にした振る舞いを真似すれば良いだけなのだ。
「はじめましてだよね? 私、〇〇。よろしく!」
ハキハキとした元気な挨拶。
「その服可愛い! 私2年間イギリスで住むから服を買わなきゃいけないんだ。もしよければ一緒に買い物にいこう、センスの良いあなたからアドバイスが欲しいから」
私の特技である人の良さそうな笑顔。
「一緒の職業だったんだ! 嬉しい、今度お茶に行かない? あなたの国での仕事について教えてほしい」
眼の前に居る人によって'ほんの少し'だけ変わる私の経歴。
昔読んだ心理学の本を必死に思い出して、使えるテクニックは全部使っていく。使い慣れていないから少々ぎこちないが、言語の壁が違和感を消してくれているはずだ。
授業を終えた後はクラスメイトと話し、皆で食事を取り、学校のアクティビティに参加し、会った人とおしゃべりをし、部屋に帰ってきたのは夜だった。
机に向かってテキストを取り出す。宿題はいわゆる文法問題なので、特に難しくはない。
9割型終わったところで、ぽた、とノートに涙が落ちた。
もっと上手くできたはずだった。あの質問には別の答えをするべきだった。あの時に席を立ったのは間違いだった。あのタイプの人間にはもっと違う言葉を掛けたほうがよかった。日本語なら完璧に近い形で「彼女」の模倣ができるはずなのに。
悔しい。私、英語が話せない。私はできるはずなのに、おかしい。悔しい、悔しい、悔しい。
それは紛れもなく悔しいという感情だった。
確かに私は忘れっぽく怠け者で、勉強もあまりできなくて、仕事もすぐやめちゃって、今は周りの人間のご厚意で生きているだけの社会の底辺なのは理解している。
でも私は特別な人間であるはずなのだ。だって私は天才なんだから。
この私ができないわけがない。やってやる、見てろ。私はあの子になるんだ、私はできるんだ。
「見てろ!!!」
この階に日本人が居ないのを知っているから、日本語で叫んだ。
ノートに落ちた涙が自然乾燥するより先に宿題が終わるのがなんだか嫌で、先にシャワーに入ることにした。
次の日。
私は人にバレずに泣くのが得意なので、あれだけ大泣きしたって翌日はケロッとして見える。
ただ、鼻水が喉に流れてしまったのか喉が痛い。ざらつく咳をしながら朝食会場に向かう。
「おはよう、〇〇! 昨日のクラス分けテストどうだった?」
私は人の名前を覚えるのが苦手なので、昨夜スマホのメモに友達リストを作っておいた。
名前、見た目の特徴、国籍、喋った内容を記録し、こまめに読んで頭に入れる。単語帳と何ら変わりない。
目が会ったら会釈だけでなく、名前を聞くようにした。
日本語が聞こえたら「わぁ、日本人ですか? 仲良くしましょ!」と話しかけた。
友達の母国語コミュニティーであろうと入り込んでいき「あなた達の文化に興味があるの、教えて」とアピールした。
すごく前向きで、明るくて、いつもニコニコしていて、あなたと仲良くできて心から嬉しい、そんな人間。私は、そんな人間。
ツイッターで繋がっている人とも沢山会うようにした。
こちらは日本語での交流なので納得の行く振る舞いができる。やはり母国語は良いものだ。
私が交流の中で驚いたのはその多様性だった。
ファッションも、立ち居振る舞いも、趣味もバックグラウンドも英語力もYMSに来た動機もバラバラだった。
英語の手続き書類が読めるくらいには賢く、海外に出ると決めるくらいには決断力と行動力はある。それ以外はそれぞれが違っていた。
「ロンドン」という場所だけで繋がる体験は新鮮だった。
そうして一週間が経った。
今まで使っていなかったインスタグラムのフォロワーが20人以上増えていた。
スマホのバイブレーションがひっきりなしに鳴り続け、3時間で未読メッセージは2桁。
ツイッターでも順調にフォロワーを獲得し続けており、いいねのみならずリプ・DMも増えてきた。
私はそんな自分を遠いところから見つめていた。案外できるもんじゃん。
もっと早くできていれば、社会から転げ落ちなくても済んだかもしれないのに。
風邪は通過儀礼。
「やばい、喉が痛い」
友達に相談すると笑われた。
「あんたも? 皆、ここの寮来てすぐに風邪引くんだよね」
体調を崩している暇はないのに、日を経るごとに喉がどんどん痛くなってくる。
黄色い粘り気ある鼻水も出てきた。熱はないが明らかに風邪だ。
インターネットで調べて有名な風邪薬を買った。溶かして飲むタイプの薬は日本では珍しいので少し楽しみだった。
Lemsipは薬の割に美味しかったが正直あまり効果は感じなかった。有名なのど飴、Strepsilsも同じく。症状は改善しない。
鼻を中心に顔面が全体的に熱っぽく、ずっと鼻水が垂れる。咳は少しで済んでいたが最悪なことに声が掠れてきた。
心配して声をかけてくれる友達に私は笑って答えた。
「大丈夫だよ、ただ少し喋りすぎただけ! みんなと話していると楽しくてさー」
やはり人にバレる体調不良は良くない。自分の中で留めておきたい。
人間の対応、めんどくさい。
容量より多めに飲んでいる薬のおかげか熱は出ないまま、ただ倦怠感と鼻水と声枯れで体力が削られていく。なかなか良くならない、毎日息をするだけでしんどい。
風邪だとバレると「病気移すなよ」と思われるかもしれないから、できるだけ元気そうに見せるのにも気を遣った。
でも動かないと。私はもう十分に休んだんだ。
一日の殆どをベッドの上から動くことができず、廊下に這いつくばってトイレに行っていたあの期間を「休んだ」と呼んで良いのかわからないが、何もできていなかったことには間違いない。
今は動くターンなのだ。倒れるまで頑張り続けてやる。倒れたら、今度こそ死んでやる。
私は喉の痛みを無視して喋り続けた。何を言われようと授業を休まなかった。
そうして私の友達リストが80人を超えたあたりで、卒業の日がやってきた。
続きはまたいつか。
休日でした。
【今回のヘッダー】ヨーロッパは水仙がたくさんあって楽しい。ナスシスが好きなので、水仙も好き。
つづき↓
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