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ロンドン、初めてのマッチングアプリ/そろそろ日本に帰りたくなってきた人間のイギリスワーホリ記③

 御機嫌よう、休日です。
 寒暖差のせいでまた風邪を引いたみたいです。どうかエイプリルフールだと言ってほしい。
 GPに行くのは嫌なので、ゆっくり寝てたくさん食べて治そうと思います。

 前回はこちら↓

※ここに書かれていることは全てフィクションです



 卒業を迎える前に、語学学校時代にあった出来事をもうすこし記録しておきたい。

マッチングアプリを始めた。

 渡英直前。
 恋愛系の小説を書いていた私は描写に思い悩み、情報を集めるべく出会いの場に出かけていた。
 恋人なんか欲しくない。合わせたくない、そんなにあんなに器用じゃない。でも小説を書くためなら頑張れる。

 そこで私よりは経験豊富な人たちから色々な話を聞いた。アドバイスも貰った。
「恋人見つけるなら絶対マッチングアプリだよ!」
 紹介されたのはマイナーなアプリだったけれど、調べたらイギリスでも使われているらしかった。こういう類のアプリは大嫌いだったが、お酒の勢いでインストールした。
 プロフィール画像は選んでもらった。人から好かれる人間の見た目というものがどういうものかわからなかったから、有り難かった。
 名前や情報がプロフィール欄に打ち込まれていくのをぼんやりと見つめる。
 あんたに教えたのは本名じゃないよ。職業も、趣味も、住んでいる場所も、付き合った人の数も、なにひとつ本当のことなんか言ってない。
 その人達と解散した後、夜風に吹かれながら登録名を本当の名前に変えておいた。
 私は今までSNSに本名を登録したことはない。初めての挑戦だった。

 ロンドンに来て1週間で、私のプロフィールにいいねが思った以上についた。冷や汗が出る。金曜日の昼休み、上階にあった自室に籠もって泣いてしまった。
 怖い、気持ち悪い、人からもらう好意はぶよぶよとしている。
 本名を晒したことでその赤いハート型の関心が直接私に突き刺さる。私を好きだなんて言わないで。私を見ないで。
 だからアプリなんか嫌だったんだ。このままでは衝動的にアンインストールしてしまうと直感したので、これ以上私の感情を消費しないようにいいねを返す基準を設けることにした。
 五つほどの条件を設定し、機械的にいいねを返していく。ようやく気分が落ち着いてきた。
 自分からいいねは一度もしなかった。

 私は文字を書くのが好きなのでメッセージは長くなりがちだ。日本語ですら長いのに、使い慣れていない英語では助長な表現が増えて悪化する。
 画面を埋め尽くす黒い文字を読み直して、ま、いいかと送信する。
『昨日は美術館に行きました。5年前に旅行で行ったときとは展示が少し変わっていて、特に私が好きなところは……』
『ロンドンに越してきたばかりで、次の部屋を探しています。昨日は内見に行って、でもそこの大家さんが……』
 語学学校の友達やツイッターの人との予定は毎日詰めこまれている。隙間時間でメッセージを送る。送る。送りまくる。こういうものは数を撃つと当たると教えてもらった。
 そうしてやり取りをする中で、これは、と思う人が現われた。

 その人は私の長文に、それ以上の分量で返してきてくれた。
 スクロールしてもまだ返信文が続いていた。英語がまだ流暢でない私に配慮してか、できるだけ読みやすくしてくれているのが伝わってきた。
 思わずその美しい文章をスクリーンショットしようとしたが「ここには個人情報が含まれています」と表示されてできなかった。
『沢山あなたについて教えてくれてありがとう。日本で動物を飼っていなかったけれど、私も猫が好きです。フライトに耐えたあなたの猫はどれほど勇敢だったのか! ……』
 返信を打っている間、手が震えて、ドキドキしていた。いつのまにか上がっている口角に、鏡を見てから気づいた。
 そうだった、私は文章に恋をする人だった。

『土曜はあなたが教えてくれたトラファルガー広場のイベントに行くの。友達はみんな忙しそうだから、一人になりそうだけれど』
 メッセージが十往復を超えたあたりで私がそう言うと、話の流れでその人と会う事になった。前日はちょっとだけ筋トレをいつもより多くして、早く寝た。

正しくない選択と、歓迎の言葉。

 人混みの中でようやく合流できたその人は、ロンドンでは珍しくマスクをしていた
 人混みに来るから風邪の予防だろうか。それともコロナ禍のヨーロッパを生き抜いた、アジア人だからだろうか。
 あなたに会えて嬉しい、と全身全霊で伝える。言語がそこまでできない以上、身振り手振りから肯定の意を示さなければならない。
 会話をしようとするも大きな音楽が流れていて話しにくい。プログラムを相手に見せる。
「私、これとこれが聞きたいの。日本で見たことがある演目だから」
 あなたはどれが好きなの? と聞くと「あんまり知らない。音楽は嫌いじゃないけど」と仏頂面。音楽にもあまり乗らず、どうこの場に馴染めばいいのかと思案している。
 その時大好きなメロディが流れ始めた。大きな歓声に私も混じる。隣でつまらなさそうにしている人間に好かれようとすることについて、どうでも良くなった。
 音楽のほうが圧倒的に気持ちいい。

 コンサートが終わったあとはレストランに行った。
 前回書いたように私は風邪をこじらせていたので、その人に喉が痛むことを話した。のど飴はあまり効かないのに値段が高い、と笑いながら愚痴った。
 イギリスは空気が乾燥しているからね。私も来た直後は熱を出したよ、とその人はちょっと考え込んだ。
「そう言えば、使わない加湿器が家にあるからあげるよ。次会う時に持ってくるね」
「え、いいの? ありがとう、すごく嬉しい! 引っ越したばかりだから、家具はほんとうに必要なの」
 節約生活、貰えるものは貰っておく事が大事である。
 帰り際、外の風をまともに喉に食らってしまい咳き込む私を見てその人は心配そうな顔をした。
「……加湿器、すぐに必要だね。今日取りに来る?」
「? あなたの家に?」
「そうなるね」
 断るべきなのを勿論知っていた。私は体格が良いわけではないし、警察の呼び方もわからない、英語もろくに話せない、そんな弱すぎる立場で危険に飛び込むのは馬鹿としか言いようがない。
 でも、と私は思った。別にこの身がどうなったってどうでもいいし最悪死んだって私はなんとも思わない。
 それに、ついて行った先で面白い経験ができればそれはそれで私の糧になる。

 電車の中ではどちらも無言だった。ロンドンの地下鉄はうるさいから、と言い訳を心でしていた。
 相手の最寄り駅から外に出て少し歩く。このあたりの治安や家選びの仕方などについて話していると、突然車道から叫ぶ声が聞こえた。
 そこには車の窓を開けて、お嬢ちゃん達! と私達の気を引く男達。
 距離が遠かったので何を言っていたのかわからなかったが、Chinese、だけは聞き取れた。蔑んだような表情、下卑た笑い声、どう考えてもいい意味ではないことは確かだ。
 その車が走り去ったあと隣を向くと、真っ直ぐ前を向いたままのその人が無表情で言った。
「ようこそ、ロンドンへ」
 この言葉を貰って、ようやくこの街で暮らしていく覚悟ができた。

 部屋は生活感があって、薄暗かった。
「初対面の人についてきて、怖くないの?」
 その人は初めて口角を上げた。多分私が本当に来るとは思わなかったんだろう、それは戸惑いと自嘲と哀れみの笑みに感じられた。
 だから私は微笑んであげた。大丈夫だよ、私は本当に加湿器が欲しいだけだよ、それ以外はお前に何も期待してないよという意味を込めた。伝わったのかはわからない。
 猫を飽きるまで撫でて、枕の話をして、加湿器と丈夫なショッピングバッグを貰って明るいうちに帰ってきた。自室に戻ってから猫の毛がついた服を全部洗濯した。カバンも。体も。
 私のことが好きと態度や言葉で表さない人と一緒に居るのキツいな、とシャワーを浴びながら思った。いっそ、と思った。ようこそって言ってくれたから、お代は足りてたよ。
 その後も劇を一緒に見に行ったり、公園に出かけたりしたけれど関係が発展することはなく自然消滅した。
 あの人の言葉だけが好きだった、なんて私、一生恋人できそうにないや。

 その後、会った人はいるけれど特に楽しいことはなかった。あの人以上に魅力的な文章を書く人は居なかった。
 アプリ以外の出会いの場にも数回行ったけれど、特に面白いことはなかった。私に恋愛する意欲がないのが一番の問題なのである。
 創作が一段落すると一気にモチベーションを無くし、放置すること5ヶ月。最近になって退会した。

 アプリを上手に使ってイギリスで恋人を作っている友達を何人も知っている。その子たちから楽しい恋バナを聞きながら、恋愛との距離感ってこれくらいでいいな、と改めて実感した。
 でもまた小説を書きたくなったらアプリを始めようかな、と最近は前向きな気持ちを持っている。
 セントラルロンドンの綺麗なマンションに家賃なしで家に住ませて貰って、そいつのお金でウェイトローズで好きな食材を買って、誰にも邪魔されないキッチンでベーコンを焼く。美術館のメンバーシップとかを全部共有してくれて、美しいものをいくらでも眺めていられる生活。それくらいくれるなら、私の感情をあげたっていいよ。
 そんな夢物語を想像しなら、今は置物と化している壊れた加湿器を見つめる。私がロンドンに歓迎された証。
 ようこそ、ロンドンへ。


 続きはまたの機会に。
 休日でした。

【今日のヘッダー】郊外のお屋敷の庭。天気の良い日は、何かをしなくちゃと一旦外に出てしまう。

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