宿題をやらせる意味
さて、昨日は宿題バカバカしくね?という元教員としてあるまじき暴言を吐いたので、怒られる日もそう遠くないと思っておりますが、今日は昨日の続きです。
宿題、みんなもやりたくないし、ぶっちゃけ教員も採点とかコメントとか面倒だなって思っている人もいると思います。
(本当に心から生徒のことを思ってコメントしている人もいます。尊敬)
でも宿題を出すし、テストもやる。そしてまた宿題を出す。
なんでこのループなのか、いくつか理由はあります。
①生徒の学力向上のため
全部がこのためのはずです。本来は。
生徒の学力を向上させるために考えに考え抜かれたプリントや問題集があるので、実際には役に立つことも多いです。(取り組み方次第ですね)
②周りの先生、学校の方針
とりあえず周りがみんな出してるし、自分も出さなきゃバツが悪いし、、、
とりあえず去年と同じようなもの出しとくか・・・
意外とこのパターンが多い。これ守らないと後で怒られる学校もある。笑
③成績・評価のため
これも大きな比重を占めている場合がありますね。
まあこれも横とおてて繋いでやらないと怒られます。基本怒られます。
まあ、こんなところですかね。
その他、学校外に出すものや、復習のための宿題を出すことも多いかと思います。
そんな中、①はいいですが、②、③は生徒からしたらいい気はしないですよね。
まあ、この話は転職した理由にもすこしあるのですが、そもそもなんで評価しなきゃいけないんだろう、って話です。
まあ、高校の成績で指定校推薦やAO入試があったりするので、成績を取ることは当然大事だし、そのために評価することは大切だし、教員の仕事です。
あ、話ずれてきたし、めちゃくちゃ長くなりそうなので、やめます。
気が向いたら今度いつか『評価』についての話は書くかもです。
まあ、宿題というものはいろいろな役割があって、それぞれの担当者によって意図は違うけれど、少なくとも『提出』を伴う宿題には必ず『評価』が関係しています。(数字だけじゃなく、印象、という面の評価も含)
なので、ポイッてすることができないんですね、意味ないと思っていても。
これは上の大人が考えていかなければならない問題ですね。
この先の変わりゆく時代に対応できるようになる必要があるのは、生徒だけではなく、学校、教員も同じですね。偉そうですね。すみません。
数字で評価する時代から、違ったもので個人の価値が計られ始めているこの時代、学校の評価制度はどう変わっていくのかということに今後も注目したいと思います。
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