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アスリートの妻の「内助の功」の呪いが解かれた世界

『妻がアスリートを支える』のは“当然”か? 夫婦の在り方と『内助の功』を考える」というコラムで、男子アスリートの妻が内助の功(主に食事管理などで夫を支えること)でしか話題にならないのは、性役割を強制する「呪い」だと主張している。この認識はフェミニズム的観点から言って一般的なものと言えよう。

ではここで、その「呪い」が解かれた世界では何が起きるか?ということを少し考えていこう。

①夫婦が各々キャリアを追求する

元コラムでも書かれている通り、トップアスリートは旅烏であり家を空けがちである。ホームアンドアウエー方式であれツアー方式であれ、自宅に滞在できる日数は年の半分程度ということになるし、所属チームを移籍することのあるスポーツであれば引っ越しもしなければならない。

このような環境では、両方がアスリートである場合は夫婦一緒に過ごせる時間を確保することが困難で、実質的に夫婦生活が成立しない。元コラムでも「現役アスリート同士が結婚し、子どもをもうけ、育てながら、2人とも競技生活も続けるというのは、難易度が高いのだろう」としている。

両方がアスリートなのが無理ならば、片方がアスリートで片方が非アスリートとしてキャリアを追求するならばどうだろうか?――一緒に家にいる時間が少ないので子育ての負担を分担することも難しく、所属チームの移籍で容易に単身赴任状態になる。これでは夫婦関係の維持は困難である。

ダルビッシュ有が紗栄子と別れて山本聖子を選んだ理由もそのあたりだろう。当時の紗栄子は自分のビジネスを立ち上げており、仕事のため子供を実家に預け家を離れていたため、夫婦生活が実質的に破綻しておりそのまま離婚に至ったと伝えられる。結局、ダルビッシュはトレーナーとして実績のある山本聖子と再婚している。

アスリートの妻が「呪い」から解放されて自身のキャリアを追求することは可能である。ただ、そうした場合、夫婦一緒にいる時間が取れず結婚生活が破綻する。「呪い」というよりは、内助の功型の配偶者以外結婚生活を維持できないという生存バイアスと言ったほうが適切であるように思われる。

②女子選手が男性の内助の功を得る

夫婦内の対称性が難しいということであれば、次善の策として統計的に男女対称となる――つまり女子選手が男性の内助の功を得ればよい、という発想は可能である。

これを阻む第一の壁は、女子アスリートの収入の少なさである。女子サッカーでのEqual pay運動は記憶に新しいところだろう。ただ、このEqual payは代表出場手当だから辛うじて言える部分がある。サッカー選手の所得の大半を占めるクラブチームからの賃金は変えがたいし、代表出場手当はクラブチームの試合を休んでもらう補償金の性質があるため、手当の男女差も結局はクラブチームでの賃金差に由来する。そして、女子のクラブチームが給料を出せていないのは、世の女子ですら男子スポーツに熱中して女子スポーツを大してみていないから、ということに尽きる。女子の皆さん、女子スポーツをもっと見ませんか?というのが私の言える精いっぱいの努力である。

世の中にはその問題をクリアし、女子も大金を手にすることのできるスポーツがある――テニスである。というわけで、女子テニスのトップ選手の配偶者をおさらいしていこう。

マルチナ・ナブラチロワ:バイセクシュアルで女性のパートナーがいる
シュテフィ・グラフ:引退後に男子トップ選手のアンドレ・アガシと結婚
リンゼイ・ダベンポート:元テニス選手の銀行マンと結婚
モニカ・セレシュ:引退後に32歳年上の大富豪と結婚
マルチナ・ヒンギス:幼馴染→弁護士→馬術選手→医師という遍歴
ジュスティーヌ・エナン:無名の人物と結婚、4年で破局
ビーナス・ウィリアムズ:独身
セリーナ・ウィリアムズ:IT長者
マリア・シャラポワ:NBAトップ選手→男子トップ選手(いずれも破局)
ビクトリア・アザレンカ:ポップスターと交際、未婚の母に
キャロライン・ウォズニアッキ:ゴルフトップ選手→NBAトップ選手
ペトラ・クビトバ:中堅選手と付き合っては別れを繰り返して未婚
シモナ・ハレプ:未婚

以上の通り、内助の功が期待できるトレーナーと結婚している例がほぼない。トップ10選手を軽く見てみた限り、内助の功が期待できる夫を持っていたのは中国の李娜選手くらいのものである(夫のテニス選手が現役を引退してトレーナーとなった)。女子サッカー選手ではトレーナーと結婚した例として永里優季選手が挙げられるが、比較的短期間で離婚している。

内助の功を維持可能な、選択権を持っているはずの女子トップ選手であっても、そういった夫をそもそも選ばず、幼馴染だった等の理由で結婚していても離婚してしまい、自分と同格以上のスターや大富豪としか結婚しない、という結果しか得られていない。これに対して「男が自分より格上の女に怯えて結婚したがらない」という意見はあるものの、最近の実証研究によってそれは否定されている(下記エントリ参照)。

元の記事では男子アスリートの妻が内助の功に走りがちなことを、性役割に基づいた「呪い」と表現していた。では、女子のトップ選手が内助の功を期待できる配偶者を選ばず、同格以上の男子選手や富豪を求めるのも、「呪い」と呼んでいいのだろうか。


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