桐衣朝子

46歳で福岡大学入学、52歳で九州大学大学院入学。 61歳で小学館文庫小説賞受賞。 著…

桐衣朝子

46歳で福岡大学入学、52歳で九州大学大学院入学。 61歳で小学館文庫小説賞受賞。 著書「薔薇とビスケット」、娘たちの漫画「4分間のマリーゴールド」ノベライズ。 新刊「僕は人を殺したかもしれないが、それでも君のために描く」(小学館)発売中。

マガジン

  • 最愛猫

    猫にまつわる短編。

  • エッセイ

    還暦デビューの小説家が、漫画家の娘たちとサイコパスの夫との日々を書き綴ります。

  • スピンオフ

    既刊の未収録センテンスやスピンオフを公開します。

  • 僕の息子になってください<BL小説>

    母子家庭で育った秋臣は、苦労した母に親孝行をすることを人生の目的にして生きてきた。しかしある日突然母の余命を知らされる。 母の最後の願いはたった一つ。 「智夏に会いたい」  秋臣はゲイであることを隠して結婚したが、それが発覚して、一人息子の智夏が二歳になる前に離婚した。息子は元妻の再婚相手が父親だと信じて、秋臣が会うことは叶わない。 母の最期の望みを叶えるために秋臣が取った行動とは――? 毎週月曜更新。

  • 前期高齢者作家の昔話

    子供時代、学生時代、結婚前の恋、今は亡き両親のこと… 70年近い人生の様々な思い出を書き綴ります。

最近の記事

ブーゲンビリア

ああ、雪になりそうだ。全くこんな寒い日にどうしてお玉を外に出してしまったのだろう。新しく雇った女中には、口を酸っぱくして「猫を外に出すな」と何度も言ってきたのに、返ってくるのは生返事ばかりだった。  俺と女房のお菊にとってお玉がどんなに大切か、いくら言葉を尽くしても、あの小娘は右から左に聞き流してしまう。子供のいない俺たち夫婦にとってお玉は我が子と同じなのに。 俺が板前をしていた料亭に下働きとして雇い入れられたお菊を見染めて所帯を持ったが、子宝には恵まれなかった。俺は何の不満

    • 内視鏡検査と美人女優

       夫(通称下のおじさん)には、私と娘達の両手両足の指全部使っても足りないくらいの、迷惑千万な悪癖がある。大きいものは二十八個くらいしかないが、小さいのは結構な数にのぼる。  その中で、地味に迷惑なものがいくつかあって、代表的なやつが「誰彼かまわず、私と娘達の職業をバラす」ことだ。  私の新刊『赤パンラプソディ』の中に事の詳細を書いたが、私は夜中に激しいめまいと嘔吐で救急搬送されたことがある。  意識朦朧とした状態で病院の診察台に寝かされた直後、下のおじさんの声が静かな処置室に

      • 心配性の次女

         うちの次女は、超が十個くらいつく心配性である。ほとんど障害と言っていい。  特に「私と長女と猫」に対する心配は常軌を逸していて、夜中に、私と長女が生きていることを確認するために髪を引っ張ったりする。本当に迷惑でしかない。  猫に毒だというチョコレートを食べた時など、食べ終わったら間髪を入れず全神経を集中して床を這いずり回り、かけらが落ちていないかをチェックするという念の入れようだ。  そして心配の対象は私たちだけに留まらない。もしかしたら全人類(悪人以外)の心配をしているの

        • アラン・ドロン

           そうか…。アランドロンさん亡くなったんだ…。胸の奥がチクリと痛む。  世紀の二枚目、ハンサムの代名詞。私が若い頃は誰もが普通に会話の中で彼の名前を使っていた。 「アランドロンみたいなハンサムじゃあるまいし」とか「アランドロンの十分の一でもハンサムだったら性格悪くてもいいけど」などと。  高校時代、友人が「私、先輩のA君が好きなんだ。アラン・ドロンも真っ青になるくらいハンサムなのよ」と言ったことを覚えている。  私は「バッカじゃなかろうか。この高校にアラン・ドロンみたいなハン

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          9本

        記事

          見せパンと見せないパンツ

          「こんなパンツはいてる女、絶対モテない」  我が家の洗濯係(上の娘)が、私のパンツを洗濯機から取り出しながらこうぬかした。 「モテなくていいもん」  私は即答した。大丈夫。「万が一」の時は、なんとかごまかす。っていうか、もう万が一はないから!  元銀座の高級クラブ「姫」のママであり、直木賞作家であり、有名作詞家(よこはま・たそがれ等多数)でもあった山口洋子さんが、パンツについて書いていらしたのを覚えている。  確か「年を取ってからは、綿のはき心地の良いパンツしかはかなくなった

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          私の新刊『赤パンラプソディ』 今日発売!このけったいな小説についてのあれやこれや

           今日は私の新刊『赤パンラプソディ』の発売日である。  新刊発売の日って、他の作家さんはどんなことを思うのだろう。聞いてみたい。  私はというと、普段と全く変わらない。ただ、朝から心臓がずっとバクバクして食欲もなく、「快、不快」のどちらかと問われたら「快」ではなく、漠然とした不安も感じているので、漢方薬を飲んだくらいだ。  この作品を書くきっかけは、担当編集者さんからの何気ない提案だった。 「桐衣さんを主人公にした小説、書いてみませんか? 桐衣家って、なんか面白いじゃないです

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          「老い」の幸せ

          「老いにはお金がかかります」  樋口恵子さんがエッセイの中で書いていらした。本当にそう! 歯、耳、目。まずこの三大金食い虫が、貯金通帳を食い荒らすのだ。  当たり前と言えば当たり前だが、だいたい「良いものは高い」のである。歯だって、補聴器だって、メガネだって、白内障の手術で使う「目のレンズ」だって良いものは高い。数十倍違ったりする。  最近補聴器を買ったのだけれど、これに新刊の印税が飛んでしまった。しかも、補聴器の寿命はたいたい六年だという。  安いものでもいいかなと思ったの

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          母の遺言

          第十一章  外に出たら、ビルの隙間を走り抜ける冷たく乾いた風の出迎えを受けた。 厚手のロングコートを着ている秋臣はさほど寒さを感じなかったが、犬養は「うわっ!」と叫んで、ベージュのトレンチコートの襟を立てた。  秋臣はカシミアのマフラーを外して犬養の首に巻いてやった。 「えっ、いいんですか? ありがとうございます! めっちゃあったかい」  犬養はその手触りを楽しむようにマフラーをさすった。 「さっきは嬉しかったなぁ! 商品開発から携わったのって初めてなんで。実際に店に並んで

          固定電話の想い出

           我が家に固定電話がなくなって久しいが、これと言ってなんの不自由もない。勧誘の電話くらいしかかかってこなかったし、友人達はスマホにかけてくる。固定電話をなくすことに少し躊躇していたのが不思議なくらいだ。  子供でさえ自分専用の電話を持つようになった今、昔は一家に一台しか電話がなかったことを思い出すと、時代が変わったんだなあとしみじみ思う。一家に一台どころか、私が幼い頃は、電話がない家がほとんどだった。我が家に電話がついたのは中学生の頃。近所の人が電話を借りにきたり、近所の人の

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          漫画原作のドラマ化について

          『セクシー田中さん』問題に関する日テレの調査報告書が公表された。 原作者の芦原妃名子先生が急死なさった時、私も娘達(漫画家キリエ)も大きなショックを受け、今でもまだ胸の中に様々な思いがくすぶって消え残っている。 芦原先生の無念と孤独を思うと、漫画家の母として胸がえぐられるようである。  娘達原作の『4分間のマリーゴールド』(小学館)がTBSでドラマ化され、私もこの作品をノベライズした経験を持つ身として、あの時のことを綴ってみようと思う。  作品が映像化される場合、「自分の作

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          別れ

          第十章  母の葬儀の日はここ数日の猛暑がおさまって、秋の訪れを告げるように爽やかだった。  秋臣は火葬場の火葬炉の前で最後の時を待っていた。涙は出てこない。悲しみで満たされているのに、母が逝ってしまってから、涙は一滴も出てこないのだ。  棺の覗き窓を開けてため息をついた。もともと美しい人だったが、この世の憂いも苦しみも脱ぎ捨てた顔は平和そのもので、ひっそりと野に咲く百合のように清らかだ。  白手袋の職員が喪服の人々を見回して「それでは、よろしゅうございますでしょうか」と頭を

          天使と猫

           ものすごい轟音が空から降ってきた。どうやらヘリコプターがすぐ近くまできているようだ。  芽衣(めい)はベランダに出て、愛猫の小太郎を抱きしめたまま薄墨色の空を見上げた。小太郎は茶色い毛を逆立てて震えている。何か恐ろしいことが起こっていると感じているのだ。  この家に来て十四年間、小太郎は一年に一度、動物病院での健康診断の時だけしか外に出ることはない。「変化」とか、いつもと違う何かがものすごく苦手な小太郎にとって、この状況はどんなにか大きなストレスだろうと思うと、芽衣は小太郎

           秋臣が縁側で涼んでいると、寿美子と叶人が手をつないで入ってきた。 それまでシンと静かだった庭に風が立ち、夏草と地面の匂いが虫の声を乗せて部屋の中に飛び込んできた。  スズムシ、アオマツムシ、ケラ、夏の虫達が一斉に鳴き始めた。リッリッリッリッ、カナカナカナカナ、ジージー、リーンリーン。 「あら、素敵! お庭のオーケストラね」  息子の隣に座った寿美子は少女めいたうりざね顔で楽しそうに微笑んだ。 「智夏君、せっかくだから、ここで演奏を聴きましょうよ」 「いいね! おばあちゃんも

          本当の叶人

          第九章  「先輩、本当に申し訳ありません!」  犬養がこんなにもしおれている姿を見たのは初めてだった。大事なクライアント二社に対してダブルブッキングをしてしまったのだ。日時は明日の午前中の十時。両方とも重要なオリエンテーションで多くの人間の予定をやっと合わせてのことだった。 「いや、君だけの責任じゃない。僕も気づかなかったんだ。ちゃんとチェックしなければならなかったのに……」  秋臣は、最近仕事が身に入ってない自覚はあった。気づけばつい叶人のこと考えて手が止まることもしばし

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          谷村新司さん、八代亜紀さん、鳥山明さん…

           去年あたりから、あまりに同年代の有名人の訃報が続いていて、そのたびにしばらく落ち込んでしまう。  坂本龍一さん、伊集院静さん、谷村新司さん、もんたさん、KANさん、八代亜紀さん、鳥山明さん、TARAKOさん…。  同じ時代を生きてきたというだけで、胸がふさがるのだ。この年代の方達は、日本が貧しい敗戦国からあっという間に立ち直って、世界に影響を与える経済大国にのし上がった激動の時代の生き証人である。  日本は、私が幼少の頃から十二、三才までの数年間、凄まじい変貌を遂げた。高校

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          叶人の告白

          第八章  「どうしてもお墓参りがしたいの」  猛暑の中、突然言い出した母の気持ちが秋臣には痛いほどわかっていた。目に見えて弱っている体を考えると不安が先に立つが、これが最後の墓参りになると思えば止めることはできなかった。  秋の彼岸には母自身が墓に入っているだろうという現実を振り払うように、秋臣は父の墓の周りに生える雑草を黙々と抜いていった。  叶人が差し掛ける黒い日傘の下で、寿美子は長い間手を合わせた。そして晴れ晴れとした顔で立ち上がった。 「お父さんが喜んでるわ。家族が揃

          叶人の告白