固定電話の想い出

 我が家に固定電話がなくなって久しいが、これと言ってなんの不自由もない。勧誘の電話くらいしかかかってこなかったし、友人達はスマホにかけてくる。固定電話をなくすことに少し躊躇していたのが不思議なくらいだ。
 子供でさえ自分専用の電話を持つようになった今、昔は一家に一台しか電話がなかったことを思い出すと、時代が変わったんだなあとしみじみ思う。一家に一台どころか、私が幼い頃は、電話がない家がほとんどだった。我が家に電話がついたのは中学生の頃。近所の人が電話を借りにきたり、近所の人の知り合いからかかってきて「お宅の近くの○○さんを呼んで下さい」と頼まれて、○○さんを呼びに走ったりしていた。
 我が家に電話がついたからといって、友人と長々おしゃべりするなんてできなかった。多くの家と同じく、我が家も電話は茶の間にあって、そこには他の家族がいるから会話を聞かれてしまうからだ。一番話したい「好きな人」のことなど話題にできるはずがない。
 電話は大抵親が出て、開口一番「はい、○○でございます」と名字を名乗るのが常識だった。だから、好きな人の家に電話をかける時のドキドキ感ったらなかった。まずは「〇〇と申します。△さんいらっしゃいますでしょうか」と、特別よそいきの声で言う。「少々お待ちください」と言われてもまだドキドキが止まらない。
「もしもし。電話替わりました」
 彼の声を聞いた時の嬉しさ! この嬉しさは、今の若い方には想像もできないだろう。
 好きな相手だけでなく、友達の家にかける時だって、結構緊張した。友達が出てくれるといいなあと願いながら呼び出し音を聞いたものだ。 
「はい、○○でございます」
「(あ、△子だ!よかった〜)けっ!△子ったら気取っちゃって。ねえ、ねえ、聞いた?A子、大学生と付き合ってるって言ってたじゃない?この前、ラブホテルに連れ込まれそうになったんだってよ!股間蹴り上げて逃げたって!そいつあそこを押さえてピョンピョン跳ねとったらしいよ。ざまみろ。なはは!」
「△子を呼んできますので、少々お待ち下さいね」
「……(ぎゃ〜!!)」
 私のような粗忽者でなくとも、私達世代はこういう恥ずかしい失敗の一度や二度は経験している人が多い。親子や兄弟姉妹は声が似ているものなのだ。
 本人と間違えて、その人の親にろくでもない話(下ネタ)をしてお出入り差し止めになった輩もいる。
 しかし、固定電話しかなかったことは、マイナスばかりではなかったと思う。確か阿川佐和子さんだったと記憶しているが、親が電話で話しているのを聞いて、自然に敬語を覚えたと書いていらした。
 思い起こせば私も、母が電話の時にはいつも一オクターブ高い声で、普段使わない美しい日本語で話しているのを聞いて、敬語が身についたという実感がある。電話で話しながら、母がなんどもお辞儀をしていたのも、いい教育だったかもしれない。
 敬語だけでなく、そこにいない人への尊敬の念がお辞儀という形で現れていた気がする。
 専門学校の中には敬語を学ぶ授業を取り入れている所もあると聞いて、そういう時代になったのだなあと驚いた。
 黒柳徹子さんは、「徹子の部屋」のゲストがどんなに若い人でも、きちんとした言葉で話すようにしていらっしゃるそうだ。
「若い方に、綺麗な日本語を覚えて欲しいから」
 そういう理由だったと思う。
 最近、私は若ぶって綺麗な日本語を忘れがちである。言葉を大事にしなければならない物書きなのに、これはいかん!とてつもなく、いかんです。猛省致します(まあ、たぶん、三日後には忘れている)。


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