漫画原作のドラマ化について

『セクシー田中さん』問題に関する日テレの調査報告書が公表された。
原作者の芦原妃名子先生が急死なさった時、私も娘達(漫画家キリエ)も大きなショックを受け、今でもまだ胸の中に様々な思いがくすぶって消え残っている。
芦原先生の無念と孤独を思うと、漫画家の母として胸がえぐられるようである。
  娘達原作の『4分間のマリーゴールド』(小学館)がTBSでドラマ化され、私もこの作品をノベライズした経験を持つ身として、あの時のことを綴ってみようと思う。
 作品が映像化される場合、「自分の作品と、映像化されたものは別物」だと考える人もいれば、そうは思わない人もいる。
 私と娘達は前者だ。自分の作品と映像化されたものとを完全に切り離して考えていて、言ってみれば映像化作品は「里子」だと思っている。
里子に出した子供はもう自分の子供ではないので、子供の養育は里親の手に委(ゆだ)ねるというスタンスだ。
 ドラマ化が決まった時、娘達が出した条件は二つだけだった。
「ラストを変えないで欲しい」
「救命シーンに監修をつけて欲しい」
 それ以外口出しはしないと決めていたので、脚本のチェックはしなくてもいいとさえ考えていた。
 しかしプロデューサーさんは毎回脚本を送って下さり、「何か気になる所はありませんか」と訊いて下さった。
 原作者からの要求がないのだから、脚本を見せなくとも全く問題ないし、撮影もスムーズなのに、それでも事前に脚本を見せて下さったのだ。
『4分間のマリーゴールド』は小学館の週刊スピリッツで連載していたのだが、その時の担当編集者が撮影現場に足を運んだり、プロデューサーさんと密に連絡を取り合って、娘達に逐一報告し、「何か要望はないか。気になるところはないか」と訊いてくることもしばしばあった。100%娘達の側に立ってくれていたのだ。
 実のところ脚本家の方とは、打ち上げの時まで一切お話することはなかった。漫画家と脚本家は一番遠いところにいるのだ。だから伝言ゲームのような状況になるのは容易に想像できる。間にいる人たちがきちんとしなければ互いの意思疎通は一切叶わないのだ。
 隔週誌と週刊誌の締め切りに追われる娘達は、脚本をゆっくりチェックする時間もなかったが、担当さんとプロデューサーさんが常に意思の疎通を図っていたので、齟齬(そご)が生じるというようなことは全くなかった。一度たりとも自分達の作品から疎外される状況にはならなかったのである。
 私も娘達も制作サイドに対して、今でも感謝の気持ちしかないのは、偏(ひとえ)に、プロデューサーさんや俳優さん達が、原作者に対する「真のリスペクト」を持っていて下さったからだ。
 福士蒼汰さんは作品を深く読み込んで下さり、単行本の巻末で紹介した詩まで読んで、主人公の心情や、一つ一つのセリフについて言外の意味まで深掘りしていらした。登場人物の名前の意味まで調べてらしたのには本当に驚いた。
 私がノベライズした小説も読んで下さった菜々緒さんとは二次会の時にたくさんお話しさせていただいた。余談だが、ドラマの中で菜々緒さんがお描きになった絵は、今私の手元にある。その二次会の時に、菜々緒さんから強奪したのだ。
 打ち上げの乾杯の時、立ち上がった瞬間に私たちのテーブルにグラスを持って来てくださったのは横浜流星さんだ。たくさんの関係者がいらっしゃる中、向こうから真っ先にいらして下さって、本当に感激した。すっかり舞い上がってしまい、会話の内容をはっきり覚えていないのが残念だが、原作のキャラクターに合わせて経験のないお料理を頑張ったことをお話されていたと記憶している。
 佐藤隆太さんは「原作どおり博多弁でやりたかった」とおっしゃって、「原作のこのシーンをやりたい」と監督に掛け合ってまで下さったそうだ。
 桐谷健太さんは打ち上げの時、陽気に酔っていらしてお話しするチャンスはなかったが、ステージで披露してくださった歌声が今も耳に残っている。
 あのドラマに関わった方達は皆、作品のメッセージを汲み取ろうと誠実に心を澄ませてくださった。
 その思いは作品全体を照らすのである。
 私達は「作品とドラマは別物」と完全に割り切っているのでトラブルにはなりようがないのだが、「原作に忠実に作って欲しい」と願う漫画家さんであっても、『4分間のマリーゴールド』の制作陣のように、原作と原作者をリスペクトして、原作者を疎外しなければ、少なくとも大きなトラブルは避けられるのではないだろうか。
 本来、漫画家もテレビ局も、より良いドラマを作るという同じ目的を持つパートナーなのだから。
 漫画原作でドラマを作るのをやめろという声が上がっているようだが、それはあまりに残念でならない。
 映像化されることによって、作品はより多くの人に知ってもらえるし、視聴者も違う世界観で描かれたものを観ることができる。テレビ局にとっても、選択肢が多い方がいいだろう。私自身、実写化されて欲しい漫画や小説が複数ある。メリットはたくさんあるのだ。
 この不幸な出来事を深く胸に刻んで忘れることなく、この先原作者とテレビ局が力を合わせてより良いドラマを作ることは、亡き人に対する贖罪の一つになるのではなかろうか。
 どうかどうか取り返しのつかない悲劇が二度と起きませんように。喪(うしな)われた命が無駄になりませんように。それを今、心から願っている。
 

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