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中島らもに乾杯

 中島らもの『今夜、すべてのバーで』を読了した。爽やかな、甘酸っぱい、青春の味を思い出させるアル中小説だった。

 中島らもを読んだのは初の試みだ。私はらもに詳しくない。ある人かららものことについて色々と教わった。

 それによると、らものこの小説はかなり事実を基にしていて、半自伝的小説であるらしい。らもも主人公と同じ歳にアル中で入院しているし、エピソードもそのままそっくり使っている箇所が多い。

 描写は決して上手くない。風景描写、人物描写、どちらもより卓越した作者は他にもいるし、らもの描写は私の芯に迫ってくるリアリティを持っていない。

 らもの力はストーリーにあり、知識にある。この場合は現実の力というべきだろうか。事実に基づいているからこその妙な説得力が、物語全体のパワーとなって、私に先を読ませるのだ。

 中島らもはエッセイ、コラム、詩、脚本、放送作家など、様々な顔を持った文筆家だった。

 小説家としてのらもの真骨頂は人間力にある。事実に基づく小説にパワーを与えられるほど、らもの人間力は他を圧倒していたのだろう。

『今夜、すべてのバーで』は尻切れトンボに、急展開に、ぶつ切りに物語が終わる。それも仕方ないことだと私は思う。現実は小説のようにはいかない。いかに波乱万丈でパワーに満ちた人生でも、率直に語るとしたら、ぶつ切れで終わることなどいくらでもあるのだ。

 それをいかに虚構の物語として昇華するかが小説家としての力の見せどころだ。皮肉にも『今夜、すべてのバーで』はらもの人間力としてのパワーが推進力であり魅力となり、それ故にラストは力尽きて終わっている。

 私はそれが残念でならない。もしらもの小説家としての力がもう一つ上の段階にあり、事実のみを頼りとするのではなくて、戯作者としての作品作りに徹していたら、この作品はきっとらもファンだけではなく、広く色々な人々に受け入れられていただろう。

 もっとも、権威を嫌い、常識を嫌うらもがその提案を受け入れるかどうかは分からないが。

 私には、基本的にらもは未熟な人間に思える。自分には思想がないと言いつつ思想はあるし、自分の命を軽く見るだけならまだしも、自分と同じ立場にない(反論を許されない)動物や女性に対しての行動は軽率すぎる。

 私は今夜、すべてのバーにいる人を憎からず思う。らもも同じだ。私にはとても衝撃的なものなどない。ただアル中が、自分の経験を語り、パワーがあった、というだけだ。

 うそぶくんじゃないよ、君。思想はあるだろう。命を軽く見るんじゃないよ。死を必要以上に恐れることはないがね。

 自分を覆う未熟さとうそを取っ払い「生きる」ことに誠実になれば、らももまた本当の意味で大人になり、アルコールを飲めたかもしれない。

 その時こそ、私は乾杯しようと思う。今夜、私の原稿用紙の上で。

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