見出し画像

長女と私とアンネ・フランク

学校帰りの車の中。
「『アンネの日記』の感想を書かなきゃ。」と長女。
学校の課題で「アンネの日記」の感想文が出たらしい。

長女は最初、青空文庫で読むつもりのようだったが「アンネの日記」の著作権については論争があって、まだ無料公開されていない様子。
「全員が感想文を書くんだよ。図書館には数冊しかないけど、どうするんだろう?」と長女。

「アンネの日記」だったら、確か、我が家にもあったはず。
おぼろげな記憶を辿り、帰って納戸を探すと、それはすぐに見つかった。
手に取ったとたん、体の奥からこみ上げる衝撃に、少し動揺しながら、震える手で奥付を確認する。

「アンネの日記 完全版」「一九九四年四月一五日第一刷」
経済的に余裕が無く、書籍の購入にお金を出すことが難しかった10代の頃。
本を読むために、図書館に入り浸っていたあの頃。ハードカバーの新刊を購入するということは、ほとんど無かったから。
それは特別な一冊だった。

記憶ははっきりとした形を持たず、ただ存在感と力を持って、波のように寄せてきた。いろいろな感情と入り混じった記憶に圧倒され、意味も分からないまま、ただ涙だけがあふれた。

どこからか、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」が流れてきた。

アンネとの出会いは「アンネの日記 完全版」の発売よりもさらに数年遡る。
初読は小学生の頃だけど。アンネが特別な存在になったのは、もう少し後のこと。当時わたしは中学生で、今の長女と同じ歳の頃。日記を書くアンネともちょうど同じ歳の頃だった。
日記の中のアンネは、自分と同じ、等身大の思春期の少女だった。

1991年8月16日
あの日見た「アウシュビッツ展」のことは忘れない。
ホロコーストの中の子ども達。
大量の髪の毛と、人間の脂肪で作られた石鹸と。
当時多感な歳の頃。自身の経験と想像を超える残虐は、わたしから平穏を奪い、睡眠を奪った。
眠れない夜に隠れて聴いた、ラジオの音楽が「展覧会の絵」だった。

日付まで覚えているのは。
わたしもアンネと同じ。日記をつける子だったからにほかならない。

親愛なるアンネへ。
わたしよりずっと年長なのに同年代だった。
今は長女と同い年の、隠れ家のアンネへ。

戦争とか平和とか、時代とか国籍とか、そんな言葉を超えて。等身大のあなたの存在は救いであり、希望であり、友であり、同志であった。
早熟だった思春期の日常と、非日常が日常となる非情と。

「いったい、そう、一体全体、戦争がなにになるのだろう。なぜ人間はおたがいに仲良く暮らせないのだろう。なんのためにこれだけの破壊がつづけられるのだろう」

途切れた日記の続きは永遠に綴られないまま。
疑問に対する納得のいく答えは、まだ見つかっていないけど。
あなたの言葉は今もなお生き続けている。


Youtube検索でヒットした、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」は。記憶の中の不気味な絵とは違う、表情豊かな散歩道だった。

「『アンネの日記』見つかったよ。」
納戸の奥で、記憶とともに眠っていた書を、長女に手渡した。

この記事が参加している募集

読書感想文

気まぐれに更新しています。