ラプソディー・イン・ブルーと私
没頭できる何かが欲しいなと思って電子ピアノを買った。我が家に電子ピアノが来てから一ヶ月も経ってないけど、もうすっかり生活に馴染んだ。
これといった趣味がない、所謂「無趣味」な人なので、むしゃくしゃした時にスマートフォンを弄る以外の方法を持ち合わせていなかったのだが、今はピアノを弾くという選択肢がある。
電子ピアノの、作られた、ちょっと安っぽいアコースティック・ピアノ風の音の粒がヘッドフォンから流れてくると、クサクサした心が吹っ飛ぶ。
大好きなアーティストの公式ピアノ譜を買ってみて弾いている。J-Popもべつに楽しいし、聴いていただけでは分からなかった音楽的な技法を垣間見て楽しいのだけど、やっぱりクラシックやジャズの楽譜も買っておけばよかった。
私は一曲だけ、今でも譜面を見ずに弾ける曲がある。それは、ジョージ・ガーシュウィンの『ラプソディー・イン・ブルー』という曲。テレビとかでもよく使われている有名な曲だ。
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私がピアノを習い始めた経緯ははっきり覚えてない。「やりたい!」と私が言ったのか、両親の口車に乗せられたのかも分からない。保育園の年長さんくらいの時に据え置きの電子ピアノを買ってもらったのが嬉しかったはずなので、多分私がやりたいと言ったんだろう。
私の両親は音楽が好きだったので(私の名前も音楽が由来な程)、もっと幼い時から小さなキーボードを遊び道具として与えられてはいた。しかもコールセンターみたいなマイクも付いていたので、アイドル気分でピアノを出鱈目に弾いてマイクで出鱈目に歌って。多分うるさかっただろうけど親は好き勝手やらせてくれた。でも、「い〜ま〜オナラをしたのはだ〜れ〜♪ママだ〜!!ぎゃははは!」と歌ってからは、マイクは没収された。
私は二人の先生にピアノを教えてもらったことがある。一人目はピアノの教本を丁寧に教える、素敵な一軒家の一室にグランドピアノをドンと置いた、ソバージュヘアが特徴的な美魔女先生だった。小学校が終わると週一回、美魔女先生の待つ一軒家に行った。
ピアノを弾くことは好きだったんだけど、美魔女先生からは学校の宿題みたいに課題が出されてすぐに練習をサボった。簡単だから弾けるし。べつに。「練習しないんならピアノ辞めるよ!!」と母にハッパをかけられ続け、辞めると言われたら辞めないと答える反抗精神で続けたピアノ。
でも、はじめてのピアノ教本の最後の一曲がブルース調を優しく教えるみたいな曲で、その一曲だけは大好きでよく弾いていたことを覚えている。
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小学校低学年の時に、ずっと住んでいた社宅が取り壊されることになり引越し転校した。それと同時にピアノの先生も変わった。美魔女先生とは打って変わって、ただのおばちゃんで、おばちゃんが住むマンションの一室に防音ボックスを置き、その中にギシギシに詰められたアップライトピアノで練習をした。
優雅さは全くない本当にただのおばちゃんで、ベランダで市販の梅干しをさらに天日干しして塩塩にして食べるのが好きな人だった。私はピアノ仲間の友達と「狩りにいく!」と言って、練習そっちのけでベランダの梅干しをよく盗み食いしていた。「ほら練習!」と怒られるのだけど、基本的には自由にさせてくれる先生だった(今思えばあんなガキンチョ達をよく寛大な心で受け入れてたと思う)。前の子の練習が終わるまでは、おばちゃんの息子の漫画コレクションを読んで待っているのが常だった。
「練習みたいのキライ」
と私がいうと、おばちゃんは教本はあまり使わなかった。ピアノ雑誌に載ってる流行りの曲とか、モー娘。とか。とにかく生徒の好きな曲を使ってピアノを教えてくれる人だった。なので、おばちゃんが開催する年一回のピアノ教室の発表会は、クラシックからゲーム音楽まで、めちゃくちゃバラエティに富んでいた。
小学校三年生くらいの時に、ラジカセで家にあるCDを聴くのにハマって、家にあるジャズピアノ集をたまたま聴いた。聴いた瞬間ゾワってした。何この感じ。めちゃくちゃかっこいい…!
感動を母に伝えると「その楽譜うちにあるよ。」とのこと。私が聴いたCDは、もともと母が買ったジャズピアノ譜に付いていたものらしかった。
はじめて見るジャズはシャープもフラットも多くてリズムもよく分からない。CDを聴き直して、はじめて音楽はただの4拍子だけじゃないことを知る。
私がジャズを弾くと聞きつけた父と母が嬉しそうにやってきて、「違うよ。ズジャッズジャッ、だよ。」なんてリズムの指導を受ける。そうしてはじめて弾いたジャズの一節。それはそもそも『Take Five』という5拍子の特異な曲だったのだけど、そのリズムが、音が、めちゃくちゃにかっこよくて、私はジャズの虜になった。
ちょうど『スウィングガールズ』という上野樹里主演の、田舎の女子高生がビッグバンドジャズをやる映画を観たのも相まって、そのころからはピアノ教室でもジャズの曲ばかり弾かせてもらっていた気がする。
でも、ジャズをやればやるほどベートーヴェンとかモーツァルトとか、古典的なピアノの魅力にも気づいてきて、小学校高学年になる頃にはクラシックとジャズを半々でやることが増えた。ピアノを弾くことが本当に楽しかった。
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そんな私におばちゃん先生が勧めてくれたのがガーシュウィンだった。「これあなた絶対好きよ」と言って『パリのアメリカ人』を弾いて聴かせてくれる。うん、好き。めっちゃ好き。というか、私はこの素朴なおばちゃんが奏でる繊細で綿密でパワフルなピアノの音色が好きだった。おばちゃんの旦那さん(おじちゃん)は、いつも私たちがピアノの練習をしている隣の部屋でゲームをしていたんだけど、「おばちゃんのはな、音がいいんだよ。お前はまだまだ程遠いな。」と言われたことがある。おじちゃんもおばちゃんのピアノに惚れ込んでいるんだ、と大人の愛を垣間見た気がして、未だにそのおじちゃんの一言とニカッとした顔を忘れられない。
私がジャズピアノをやるようになってから、おばちゃんのピアノ教室はちょっとしたジャズブームが起きた。私が発表会で弾いた曲を聴いて「やってみたい」という子が増えたみたいだった。
『パリのアメリカ人』を発表した次の年、私はもうピアノ教室では古株になっていた。中学生。何を弾こうかな、と思っていた時におばちゃんが提案してくれたのが、『ラプソディー・イン・ブルー』だった。この『ブルー』は『ブルース』の意味合いもあるらしい。私がはじめて心動かされたブルース。ジャズ。クラシック。
それからはめちゃくちゃに練習して、ピアノを弾くことが私の娯楽だった。難しいタッチをこなすために基礎も練習した。おじちゃんが「お前の音、結構サマになってきたな」と褒めてくれた。
そうして迎えたピアノの発表会。地元のホールを使うので、舞台袖にいるおじさんも毎年同じで顔馴染みだった。顔は知っているけど、ふわふわとした無口なおじさん。その年の発表会のトリは私だった。すでに古株で年長だったもあるけど、おばちゃんが私をトリにしてくれたのが嬉しかった。発表会では一人二曲くらいの持ち時間があるのだけど、ラプソディー・イン・ブルーはそもそもが長いので、私はその一曲で勝負する。13分くらいある原曲をおばちゃんのアレンジでカットした、8分くらいのラプソディー・イン・ブルー。
聞き飽きるくらい弾いたその曲が、静まり返ったホールに響く。ただただ私の弾き出す音が楽しくて、8分は一瞬だった。最高に気持ちよかった。
観客が私に引き寄せられる感覚。最後の一音が鳴り止むと同時に押し寄せる拍手の波。地元の小さなホールで起こったスタンディングオベーション。達成感で緩みきった口元を押さえきれずに、まだ鳴り止まない拍手を背におばちゃん先生がいる舞台袖に戻った。「よかったわよ〜!」と小声で力一杯褒めてくれるおばちゃん先生にも、ニマニマとだけ笑って返して、人生ではじめて味わう興奮に酔いしれていた。
大トリのおばちゃん先生の演奏を聴くためにそのまま舞台袖に残って、ふんふんとなる鼻息を鎮めるために精一杯。
そんな私の元に、顔馴染みのホールのおじさんが近寄ってきた。
「いや、よかった。本当に。今までいくつもの発表会を見てきたけど、今日の君の演奏は素晴らしかった。なんか、胸が熱くなって。ボク泣いちゃったよ。」
暗い舞台袖でおじさんの顔はよく見えなかったけど、いつも無口でふわふわしたおじさんの心を動かしたと思ったら、私が泣きそうだった。
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そんなこんなで、その後もカプースチンとか、ちょっとジャズ的な要素を含んだ人の曲を好んで弾いて、ジャズの難しさにつまづくたびにクラシックを好きになって、将来は音楽の道に進むんだなんて曖昧に思っていた時期もあったけど、だんだんとおばちゃんのピアノ教室からも足が遠のいてピアノを弾くことをやめてしまった。
音楽の要素は名前くらいしか残っていない今の私。「昔ピアノを弾いたことがある」だけのどこにでもいる一般人だ。
それでもやっぱり、私にとってピアノって大切なものだったなということをふと思い出して、十数年間ぶりにピアノのある生活を送っている。
ラプソディー・イン・ブルーの楽譜は実家に置いてきてしまったのでもはや正解は分からないけど、ピアノの前に座ると指が動くから不思議だ。そうしてなんとなく回数を重ねるうちに指がどんどん思い出していくみたいに動いて、遂に最近、おばちゃん編曲のラプソディー・イン・ブルーを丸々一曲弾けるようになった。もう十年以上前に弾いた曲なのに、脳のどこかの回路にはちゃんと残っていたらしい。
言うまでもなくめちゃくちゃ下手なのだけど、力が抜けた今の私の音も、実は結構好きだったりする。
うん、やっぱりピアノが、音楽が好き。
ボロボロで、おばちゃんの書き込みがいっぱいのあの楽譜が懐かしい。今度実家に帰った時は、持って帰ってこようと思う。