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1/79億5400万のスカトロジー論

界隈でも愛好家の割合が比較的少ない分野。

スカトロプレイ

人によっては
それこそ糞を見るような目で
この趣味を嫌う者も多い。

もちろんそんな人々を
不思議とは思ってはいない。

だってうんこだもの。
臭いもの。
ばっちーんだもの。

それでもその行為に欲情し、
性欲の媒介にする者がいる。

ここでは、とある変態なりの解釈とその
使い方を紹介しよう。

まず、スカトロジーとは?

スカトロジー英語: Scatology)とは、
尿に対する研究・考察を言い、
日本語では糞便学(ふんべんがく)とも言う。
また、糞尿への興味や、それを愛玩する性的興奮性癖性的嗜好糞尿に関するユーモア、糞尿や糞尿愛好等を主題とした文芸作品等も指す。糞尿趣味を指す場合は
スカトロと略されることもある。

Wikipedia


ぼくの場合、糞尿そのものへの興味はない。

大事なのは『誰が』、『どのように』、
その『行為』を晒すのか、、、
ということに対しての欲情するのである。

一般的に、ヒトにとって糞尿は
存在を避けたいものであることが多い。

その衛生面から見ても、
本能的に避けるように人体に
プログラミングされてるのかもしれない。

ただ、ここはやはり変態なので、
その構築されたプログラムにも
バグが発生している。

もちろん糞尿は純粋な汚物である。
そこは何も変わらない。
たとえ
造形が美しかろうと
色彩が豊かだろうと
芳醇な香りだろうと

それは人体から排泄されたもの。

自身がつくり、生み出した
臭くて汚れていて醜いもの。
無防備な姿とともに
誰にも観られたくはない、、、。

では、
もしそんな排泄行為と排泄物を
ふいに誰かに見られたらどうなる?

どんな表情になる?
どんな気持ちになる?

羞恥心?劣等感?
自尊心への干渉?

ではさらに、、、

それを理解した上で命じられ、
服従の意志を吐き出す。
そんな惨めで情けない姿でさえも
晒すことをいとわない。

そんな存在が自分を見上げているという
支配感。そして高揚感とやすらぎ。



少しでもぼくがスカトロに求める、
そのさわりだけでもわかってもらえただろうか。


まぁ、
理解も共感もいらないのだがね。

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