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怒るってことは

近年、許せない!と思うことが減りました。ただ年を重ねたというのもあります。

そりゃ今も嫌いな人はいるし、関わらないようにしている人もいますが、昔はいろんなことに怒り、イライラし、怒りの沸点が低いですねと言われてまた怒っていました。


どんな時に怒るのか

人が怒ったりイライラしたりする時というのは、人によって完全に違います。「怒」について具体的に考えてみました。


①自分が上手くいっていない時。

自分が上手くいってない時は、イライラを寄せ付けるのか、次から次へと嫌なことが続きます。

イライラしていると、景色は最悪になり、空の美しさや、綺麗な花が咲いていても気づかない。視野が狭くなり、自分だけ何でこんなにイライラしているのかわからなくなります。

後から冷静になって考えてみると、相手が悪かったのはほんのちょっとだけで、実は自分がただ上手くいってなかったから余計に怒ってしまっただけでした。

②イライラしてしまう自分に対しての怒り

わけもわからずにイライラし、怒ってしまったあとは、自分に対して怒りが込み上げる。あんなことを何で言ってしまったんだろう。

悲しさなのか、怒りなのかわからない感情に苛まれる。これはホルモンバランスの狂いだったり、天気の変化だったり、はたまたSNSで他人の成功を素直に認められなかったりした場合にもありがちです。自分は嫌なヤツだと思ってしまう事への、悲しさや情けなさからくる怒りでしょう。

③立派な人、真面目な人

ルールを守ったり、真面目に努力したりしていればしている人ほど、他人に対して怒りやすい。私はこのタイプでした。自分が厳しく育ってきたから、生温い人は許せなかったし、接客態度が悪かったり、赤の他人に対してもよくイライラしていました。

この場合、「サービスなんだから丁寧で当たり前だ」といった、受け身な気持ちがそうさせていたんだと思います。

しかし、世の中には色んな人がいて、自分が当たり前だと言われて育ったことも、他人はそうではない場合が多い。ルールを守らない人が目に入ってしまうと、色んなシーンで生きづらくなってしまいます。

怒りっぽいと生きづらい

怒るというエネルギーは、非常にムダなエネルギーであり、実際にストレスが身体的にも影響があることは以前から分かっていることです。身体の体温が下がり、身体は硬くなり、動きたくなくなっていき、余計なモノを買ったり食べたりすることでお金もなくし、健康もなくしていきます。

私も若い頃、いつも誰かのことでモヤモヤしていたり、イライラしたりして、歩くナイフのようでした。ナイフは使えば使うほど、いろんな人や物事にぶつかり、やがて丸くなっていきました。

イライラと上手に付き合うようになってからは、風邪もほとんど引かず、穏やかな毎日を過ごせるようになりました。

生きづらさ、は自分で作っていたような気がします。イライラすることで、ムダ遣いや、暴飲暴食になりやすく、自分のコントロールを失っていたようです。

受け身体質をやめたら楽に

全ての物事には、「受け身」が絡んできます。

ここまでやってくれたから、もっとやってほしかった。友達なんだから分かってくれるハズなのに。道を譲ってほしいのに入れてくれなかった。こんなに通っているんだから仲良くしてもらって当然…

など、生きていると自分の思い通りにはいかないことだらけです。しかしそれは「受け身」体質が原因です。

例えば、幸せにしてほしいという女性が多く、それに応えられない男性が悲鳴を上げているのと同じで、「他力」だからこそ、自分の幸せを人に頼りがち。人に、幸せにしてもらおうという時点で、すでに責任をなすりつけていますね。幸せにするって言ったじゃない!はまさにそれですね。

「受け身」ではなく、自分の機嫌は自分で取るようにしていくことが、怒りをコントロールする第一歩になります。幸せは自分が作りだすものです。

〜のに、〜くせに、ハズだった

これを語尾に使うと、一気にイヤな人になります。怒っている時の自分の言葉を、思い出してみると、〜だったのに…〜のくせに…など、後悔だったり人を卑下していたりする言葉を知らず知らずのうちに使っていたりします。

最近も知り合いがその言葉を多用していて、何だか楽しくなかったのは何故だろう?と考えたらやはり言葉の語尾でした。

私は言葉の大切さに気づく前までは、とにかく言葉遣いは悪く、態度も悪く、今ならば100叩きしているようなヤンママでした。自分の気付きは、誰に言われるより一番効果があります。

人間が目につくのは、自分に似たような人です。何あいつ!と思っているうちは、自分も同じなのです。気付いてからでしょうか、この人みたいになりたいな、この人は何故愛されているのかな、と人に興味を持つようになり、ポンコツだった私の言葉のモラルや生き方を、少しずつ修正していくようにしました。


距離感

「怒る」の背景には、誰かに期待しすぎること、誰かとの距離が近すぎることも絡んでいると思います。

家族でも距離感は大切で、会わない時間が必要です。1人の時間と、家族の時間の行ったり来たりが、居心地のいい関係を築いていきます。

例え親友だとしても、入って行っていい領域というものがあります。親戚、家族、友人、会社…様々なコミニュティの中で、人の悩みは必ず人です。あの人がイヤだ、あの人が気に入らない、あの人の言い方がイヤだ、ああしてほしかったのに、のにのにのにのにのに………!と思うのは、距離が近すぎるのかもしれません。

距離は恋人でも大切です。パートナーに愛されていないと不安で不安で仕方ないと思う人がいますが、そのパートナーからしてみると、そんなにこちらが信用できないのか?と思ってしまいます。

子供でも距離感は大切です。小さな頃はお風呂に入る時も寝る時も、親の「私物」のようだった子供は、小学校に入り、中学に入りと、自分とは違う人生を歩み出します。

いつまでも鑑賞したり、関わりすぎてしまうと、邪魔な存在にしかならず、大人になってもその子の人生の足かせになってしまいます。

大切な相手とは、距離感について話し合い、付き合い方や、ここは入ってこられたらイヤかなと思うことを伝えておくだけで、「怒る」ことが減っていくことでしょう。

どれほど許してもらってきたか

私の場合、許せない!と思うことがあって、時間がある程度経つと、ああ私もたくさん色んな人に許してもらってきてるな…と思うようになりました。

誰かに対して許せない!と思うことは沢山ありますし、人生に大きく関わる裏切りもたくさんありました。しかしそれがあっての今です。かといって、今連絡があったとしても付き合うかは別の話ですが、許さない!といつまでも思っているのは、自分にとってエネルギーのタレ流しです。

コンビニの店員さん、どこかの会社の対応、イヤなお客さん…嫌な人はとめどなくいます。それをいちいち許せない!と思うより、スルーしていく技術を身につけた方が、白血球の状態も良好で、身体にもいいのです。

期待しすぎず、受け身すぎず、私は沢山許してもらってきた。というスタンスでいると、自然に人を許せる人になっていくのではないでしょうか。

もちろん、犯罪などは話が別ですが、ちょっとした怒りを生活から追い出すと、様々な人間関係が楽になっていきます。

と、前の車に割り込まれイラっとしたので、私たちは知らない間にたくさん許してもらって生きているんだなあ。と感じて執筆。

ではまた!






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