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「ゴール(目標)のある学び」には弊害もあるよ

あちこちで、「日本人が学ばない」ことが話題になっています。

私は「受験勉強=勉強」だと思っていることに原因があると思います。
なぜなら、受験勉強はゴールがある勉強だからです。

「どこ大学入りました!」
「おめでとう!」


努力、おしまい。

ゴールとは何か。
「努力の終わり」です。
それ以降は「努力しなくていい」のです。

同時通訳の田中慶子さんが、以前「リスキリング」という言葉に抵抗があると言っていて。なぜなら、この言葉には「スキルは一度習うと身につくもの」というニュアンスがあるからだそうです。

なるほどなぁ……と思いました。

さて、最近よく聞く話が「子供が頑張って中学受験し、中高一貫校に入ったのに、その後は勉強しなくなった……」です。

でもね、「ゴール」に向かっている人で、ゴールポストが動かされて嬉しい人はいないのです。

私は受験勉強のように「数字とゴールが与えられている学び」が好きでした。ゲーム感覚で楽しめるからです。でもやっぱり、「目標」を達成すると、勉強する気は失っていきました。

ほとんどの標準テストが、この問題を抱えているのでは?

TOEIC満点取りました。勉強終わり。
英検一級取りました。勉強終わり。

ところが、これこそが勉強だと思っていると、ちょっと違うと思うんです。

「人生で失敗する唯一の方法は、目標を設定すること」

大学院で学んでいます。

今、世界のさまざまな国で、「標準化テスト」が割とどうでも良くなっているーーのは、本稿でもさんざん書いてきていることです。

米国・カナダ・オーストラリアなどのカリキュラムでは、標準化テストを他の方式ほど、重視しないです。ぶっちゃけ大卒者が就職できるかどうかも微妙な時勢です。

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