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登校しぶりの子供をマレーシアで6年育ててみた(2)最初の1年間

こんにちは! マレーシア在住6年になる編集者の野本響子です。このノートは、私たち親子の子連れマレーシア体験を、時系列にまとめたものです。これから子供を海外で育ててみたい、日本にいながらも、違う教育をしたいみなさんの参考になればと書きました。ご興味あれば、読んでいただければ嬉しいです。

目次
■大冒険の始まり
■短期滞在コンドミニアムに住む
■まずは、学校を探そう
■一つひとつ、学校を見に行く
■門前払いの学校もあった
■授業の科目や学期は学校によって違う
■新設校に入って見た
■入学試験を受ける
■コンドミニアム探し
■学校バスに一緒に乗って見た
■学校が始まった
■「日本人のいないところに住みなさい」
■不動産屋さんクリス登場
■みんなが友達みたいだった
■学校の授業は盛りだくさん
■「良いところを見よう」とする先生たち
■他に日本人がいないと良い理由
■猿みたいなクラスメートたち
■年齢にかかわらず友達になる
■電子辞書がお友達
■放課後の過ごし方
■新設校ならではの困りごと
■転校は日常茶飯事
■急激に伸びた英語力
■初めての個人面談
■新学期になったら、先生が全員辞めていた
(以上 1万4730文字)

■大冒険の始まり

日本の学校をやめてマレーシアに行くことにした我が家。

学校の終業式を待って、家族三人、大きなトランク1つでマレーシアにやって来ました。

住むところも、学校も、何も決まってません。
まさに、ゼロからのスタートです。

忙しい親とは対照的に、学校をやめる、と聞いたときのことを息子はほとんど覚えていないそうです。

聞くと、最初の小学校1年の記憶は、ほとんどないらしい。
今思うと、もっと早く学校をやめればよかったと思います。

行きの空港で、息子と同じくらいの歳のシンガポール人の男の子がいました。彼が何やら面白そうなゲームをパソコンで遊んでいて、息子はじーっと見入ってました。3Dの地平にあれこれビルディングを作っています。

その子に聞けば、当時、シンガポールで大流行中の「マインクラフト」というゲームだそうです。息子は親切なその子にちょっとやらせてもらい、「僕もやりたい!」といい出しました。飛行時間中、子供の頭はこのゲームでいっぱいだったんじゃないかな……。

今思えば、これも象徴的な出来事でした。

■短期滞在コンドミニアムに住む

さてさて、私たちは家探しの間、馴染みが深い、ペタリン・ジャヤ市に滞在することにしました。

ペタリン・ジャヤ市はクアラルンプールに隣接したセランゴール州にあり、比較的落ち着いた住宅街で知られています。私の友人の多くも住んでいました。

運よく、クアラルンプールと郊外を結ぶ路線であるLRT駅の近くにある、「アムコープ・モール」という古いコンドミニアムを数週間借りることができました。

このコンドミニアムは、本来は長期滞在用だったのですが、ローカルの不動産屋さんに交渉したところ、2週間でもOKとのことで、ちょっと高い家賃を払うことで交渉成立。この不動産屋さん、暫くの間、とても親身になってくれて、助かりました。

このコンドミニアムは、LRTの駅から歩ける上に、タクシースタンドもあり、真下にスーパーマーケットのある庶民的なモールが付いていて、何かと便利です。車がないので、住まいの近くでタクシーが拾えることが必須条件でした。

部屋は2つ。小さい台所があり、とにかく古くてあまり綺麗ではありませんが、それでもなんだかワクワクしました。

到着してすぐ、10年来の友人であるマレーシア人家族が歓迎してくれました。知り合いの顔を見ると、ちょっとホッとしますね。

■まずは、学校を探そう

まずは学校を決めて、そのあと家を見ることにしました。

これは、マレーシアで教育移住する場合にオススメのパターンです。

車社会のマレーシアでは、「子供の送迎」は親の一大仕事。日本のように家から学校まで歩いて通う、という選択肢は現実的ではありません。ときには、通学中に誘拐されてしまったりするからです。
マレーシアの学校は郊外にあることが多く、車がない私は学校のバスがないと通わせることができません。

多くの学校バスは決まったルートを通るため、ルート上にある物件を選ぶ必要がありました。そのため、

1学校を決めて
2学校のバスルートを調べ
3ルート上にある家から住まいを選ぶ

という方法にしたわけです。

クアラルンプール郊外といっても、西のシャーアラムから東のチェラスまでかなり広大。
西の端から東の端まで学校のため通うとなると、子供には多大な負担がかかるのです。

そこで学校と家はできるだけ近くにしよう、と決めました。

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