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ヨルシカ「あの夏に咲け」考察とピアノcover

n-buna?
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※coverのあげ方が正しいかわからないので、不信感や不快感を感じた方はすぐに通報するかコメントで教えてくださると助かります。

通報覚悟のヨルシカのピアノcoverです。
初手からミスタッチしています。

プラスで考察です。ただのcoverにならないようにしています。

考察 「僕」=「幽霊」視点
君が触れたら、た、たただの花さえ笑って宙に咲け
君に倣って、て、て照れるまま座って バスの最終時刻オーバー
→「君」が触れたらただの花さえも綺麗に見える。「君」を真似してバス停に座るが、幽霊の「僕」はバスには乗れず、最終時刻がくる。

いつもの通りバス停で、君はサイダーを持っていた。
それだって、様になってるなあ。
→「僕」にとって、「君」はサイダーをもつだけで様になるような魅力をもっている。

しがない物書きであった僕はその風景を描いていた。
隣に座る間もなく消えた。バスが走って行く。
→物書きの「僕」はその様子をおそらく手帳に書き留めたが、「君」がバスに乗って消えてしまう。
(座る間もなく消えた、句読点。ということから、「君」=「幽霊」説が浮上)

書いて書いてようやく得たものが
妬みとか蔑みとか! なんかもう忘れたい
→わかる。すごい忘れたい。

君が触れたら、た、た、ただの花さえ笑って宙に咲け
君が登って、て、照れる雲も赤らんで飛んでいく
→上段省略。バスに乗った「君」が丘の上に行くたびに、照れるように雲が去り、空が晴れていく。
(「君」が登っていく、ことから、「君」=「幽霊」説も考えられる)

君がいるなら、た、た、退屈な日々も何てことはないけど
君がいた騒々しい夏もさよなら 誰か応答願う オーバー
→ただの花さえ綺麗に映してしまう「君」と一緒にいると、退屈な日々もなんことはなかったが、「幽霊」である「僕」が「君」と会えなくなり、寂しいが、死人には口がなく、応答してもらえるはずもない。
(君がいた、ということから、「君」=「幽霊」説も可能性がある)
※ 1番の歌詞は「幽霊」視点でなく2番の歌詞が「幽霊」視点で描かれている可能性あり。

雨の街路脇、君は立っていた
片手には赤い カトレア
→雨の日の街路脇に「君」が赤いカトレアをもって立っている。

君の流した水滴が夕立みたく伝っていた
君が泣いてるのに手は動いた 声もかけないで
その顔を書いていた
→「君」が泣いていたから、「幽霊」である「僕」は声も出せずに、泣いている顔を書きとめるために、手を動かした。

吐いて 吐いてようやくわかるのが
痛みです 虚しさです なんかもう馬鹿みたい
→「幽霊」の未練のことを、痛みや虚しさと表しているのではないかと考えられる。

満たされるから、た、た、足りてた分を落として嫌になるんだよ
それで良かったって笑えるほど 大人じゃないのにさ
→「君」を書いていて、心は満たされたが、生活がおろそかになって、自殺した「エイミー」の心境と捉えることもできる。

君が乗り込む、バ、バ、バスの隙間に僕の場所はないから
君がいた想像だけが嵩んでいく 今日も人生俯瞰、オーバー
→「幽霊」がバスに乗れる場所はなく、「君」の思い出だけが色濃くなって、その過去を俯瞰しては一日が終わる。

君が歩けば花が咲く
君が歩けば空が泣く
君が笑えば遠い夏
笑う顔が書いてみたい
→「君」の魅力が、ぱない。それでも「君」の笑う顔を書いて、夏を思い出したい。

夕立の中泣く君に 僕が言えるのなら もう一回あの夏に戻って
→まだ声を出せた、生前のあの夏に戻って、「君」と話したい。

君が泣いてる、と、と、止まらない訳を僕は知っていたい
君に触れたら、て、て、適当なことでも喋ってみよう
→「君」が泣いてるのは「僕」が死んだからであろう。

君がいたから、た、た、退屈な日々も何てことはないのさ
君に笑って、て、照れるまま座って バスの最終時刻、オーバー
→「あの夏に咲け」の「咲け」とはおそらく笑うという意味で、最後は「僕」が初めて笑って、バスが走って行く。

歌詞は公式サイトより引用

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