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未完成のままでいたい

タイトルは好きな歌詞の引用


年末年始、久しぶりに地元に帰った。
東京からだと新幹線で約4時間かかる場所に高校時代まで過ごした町がある。
人口も2万人ほどで老人が大半、市内に遊ぶ場所が一つもない(唯一の遊び場であったボウリング場は数年前にドラッグストアになった)
いわゆる田舎。

特に友達と会う予定もなく、なんとなく帰ってみた。
歩いたり空気を感じたり懐かしい景色を見たりしてるとあの頃のつまらない日々の記憶が思い浮かんできてなんとも言えない気持ちになった。

地元を誇れる人ってすごいと思う。
自分は誇れない。
あんな場所であんな生活もうしたくないって思う。特に高校時代とか。
何も楽しいことがなくてとにかく憂鬱だった。
高校時代の大半を占めるのがめちゃくちゃ好きだった女の子に振られた思い出だし甘酸っぱいとかじゃなく辛不味い。

だけど今の自分のアイデンティティとか性格を作り上げたのは地元で過ごした日々だと思う。
実家で親と話してると幼稚園、小学校の頃の話をよくされる。
どこどこに遊びに行ったとかなになにをしたとか、自分を育てたプロセスを教えてもらってるような感覚になる。
ただやっぱりその頃の記憶ってなぜか良い記憶として美化されてる。
当時は嫌だとか憂鬱だなって思ってたことがいつのまにか美談になって今語られてる。
車で町をドライブしてみて当時の思い出の場所に行ってみたりした。
綺麗な思い出しか頭に入ってこなかった。
高校時代の嫌な記憶はいつか美談になると思ってる。

なにもない町で育って今はなんでもある街にいる。

東京で生まれて育った人が羨ましかった。
そういう人たちは完璧で何不自由なく生活している完成された人たちだと思ってた。
けど自分はなにもない町だからこそ東京じゃ都会じゃ経験できない持ち得ない記憶を持ってる。

田舎生まれ田舎育ちのやつが憂鬱から脱却するために17歳で東京にきた。これからも東京で過ごしていく。
シティーボーイになりたいって思ってる。
けど未完成のままでいても良いんじゃないかなって思うことができた。
なにもない町がそう思わせてくれた。

この文も未完成だけど思いのままに書いた。
未完成のままでいい!

地元の牡蠣。
家の駐車場で父と弟と寒さに震えながら焼いた。

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