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ピラルクは私に笑いかける 第2章 ピラルクは飛ぶ?鳥羽水族館取材記―1人の飼育員さんと出会って自分の浅はかさを反省した話【前編】

 こんにちは。第2章は、水族館の飼育環境や飼育員さんのお話から、ピラルクとその命をより身近に感じてもらう回です。少し長いので、2回に分けて配信します。どちらの回も最後まで読んでいただけると励みになります。

 第1章をまだ読まれていない方は、下のリンクからどうぞ。

 第1章を書きながら、次回以降はどんな読み物ならもっと魅力が伝わるだろうかと考えていました。

 水族館でしか見たことがないけど、ピラルクを自宅で飼うことはできるんだろうか…? 色々と考えあぐねているうちに、そんな疑問が浮かんできました。

 ご紹介した通り、ピラルクの全長は3〜4・5メートル。一個人がその大きさに合わせた水槽や諸々の設備、その管理やエサの量…。そのスケールをどう小さく見積もっても、飼うことは現実的に不可能だろうと想像しました。また、それを実現した人もそういないだろうと考えていました。

 でも、物理的に実現できそうにない「自宅で飼う」ということを大真面目に、事細かにシミュレーションすると、何か面白い読み物になるんじゃないか。そんな動機で取材をはじめました。

いざ、鳥羽水族館へ

 取材をお願いしたのは、三重県鳥羽市の鳥羽水族館です。

 飼育する生き物は日本一多い1200種、全国で唯一ジュゴンを見ることができる、世界で初めてスナメリの飼育下での繁殖に成功、日本で初めてラッコの赤ちゃん誕生…トピックを挙げればきりがない、日本でも屈指の規模を誇る水族館です。私がピラルクと2回目に出会った場所でもあります。

 取材を受けてくださったのは、同館入社当初からピラルクを担当して33年、取締役兼飼育研究部長の三谷伸也さん。過去にはアフリカマナティーやジュゴン、現在はピラルクの他にも、今年赤ちゃんが誕生したスナドリネコの飼育など、あらゆる生き物を担当されています。

ここからは、私と三谷さんの対話形式でお送りします

 ピラルクの生態や、鳥羽水族館の飼育環境について教えて下さい。

 「鳥羽水族館では、僕を含め6人が淡水チームとして担当しています。ピラルクの水槽には他にもレッドテールキャットフィッシュやジャウー(いずれも南米に生息する淡水魚)などが約50匹一緒に入っていて、エサは火曜と土曜の週に2回、アジを20㌔弱与えます」


ピラルクがいる水槽に一緒に暮らす淡水魚の仲間たち

 ピラルク1匹だと、1回でどのくらい食べますか。

 「うーん…1㌔くらいでしょうか。食いつきがいいかどうかなど個体毎に調子を見ていますが、1匹ずつのエサの量は測っていません」

 すごく素朴な疑問なのですが、同じ水槽にいる他の魚を食べないのはなぜですか。

 「自分の口に入り切らないサイズの魚は食べないんです。逆にいえば、口に入るサイズのものは食べてしまう。同じ南米原産の古代魚でも、シルバーアロワナなんかは体長が1㍍弱あっても、薄いので口に入ってしまいます。ですから、同じ水槽には入れていません」

シルバーアロワナ(参考画像)

 アロワナ、同じ古代魚だから一緒に泳いでいるイメージが勝手にあったけど、一緒に入れられないんですね…ピラルクはどれくらいのスピードで成長しますか。

 「稚魚はだいたい20〜30センチくらい。そこから2年ほどで成魚のサイズ、2メートル超くらいに成長します」

 早い、気がする。何と比較していいかわからないけれど。

 図鑑では、大きさ3〜4・5メートルとされていますが、水族館で見るとそこまで大きいものはいないように思います。

 「そうですね。僕が見た中で一番大きかったのは3㍍くらいです」

 ピラルクがいる水槽やその他の設備について教えて下さい。

 「水槽の水量は約150トン。水温は25℃以上あれば大丈夫なのですが、28℃と少し高めに設定してあります。お客さんの側から見えるガラスは、1センチの厚さの生ガラスを貼り合わせていて、水の重みでしならないように、側板を入れてあります。もちろん特注です」

 水温は熱帯魚の水槽と同じくらいでいいんですね。水温調節や水の循環にはどんな設備がありますか。

 「色々あるので、実際に地下(1階)に見に行きましょうか」

水族館の裏側

 鳥羽水族館の展示エリアは建物の2階部分に当たります。

 三谷さんと一緒に、1階のピラルクの水槽の真下まで降りてみることにしました。

 生まれてはじめてのバックヤード、どきどき。

1階の天井や壁には配管が張り巡らされていて、この中を各水槽に送る水が通っているそうです。

「ここで水槽の温度管理をしています。上段一番左、F1のパネルが、ピラルクの水槽の水の温度を示しています」



1枚目のパネルで2、3枚目の熱交換器を制御している。筒の中を水槽へ届ける水が通っている。中は2層になっていて、内側のハニカム状(蜂の巣のように細い穴がいくつもある状態)になった管を通る水を、外側の層から温水で温めて調節する

「ピラルクの水槽に送る水のろ過には、重力式というやり方を採用しています。上から飼育水(水槽に入っていた水)が流れてきて、砂や微生物を通すろ過槽を通った後、最後の水槽にきれいな水が溜まっていきます。それをポンプで水槽に送ります」

 「水槽の水を全部抜くことはできないので、水槽は潜水掃除。月1回の水質検査、それに応じたろ過槽の掃除もやっています」

 施設を維持するために、こんなに多くの設備が地下(1階)に埋まっているなんて…鳥羽水族館のバックヤード、初めて目にするものばかりで大変興味深かったです。

ピラルクは「飛ぶ」

 もし自宅で飼うことを考えるとしたら、特注の水槽も含めてこれくらいの設備が必要ということですか。

 「そうです、これくらいはほしいですね。まぁでも無理でしょう。全部本当に家に入れようと思ったら、床が抜けちゃいます」

 本当ですね。やっぱり全然現実的じゃない。

 「それから、水槽には頑丈な“ふた”が必要ですよ。彼らは飛びますので」

 飛ぶ…?

 「驚いたときの反応なのか、僕にも理由はわからないのですが、跳ねるんです。とても大きな音がします。1.5メートルくらいまで成長すると、厚さ(太さ)が出てきて、ものすごい力を持つようになります。暴れると、平気でふたを跳ね飛ばしたり、水槽を割ってしまったり。自分で外に飛び出せるくらいの力を持つようになります」



 「ここ(バックヤード)ではまだ2階の水槽に入れられない小さい個体を育てています。ふたでは簡単に破られてしまうので、木組みの枠に網をつけています」

 これなら飛び出す心配はないんですね。

 「いいえ」

 えっ、外に出られるところはないように見えますが…。

 「以前、木組みの部分が少し腐っていて、その隙間から飛び出してしまったことがありました。どんなに小さい個体でも、隙間を見つけて逃げようとするんです。生きようとする本能なんですかね」

ピラルクの水槽、裏側から見るとこんな感じ

 「うちと同じくらいの設備を整えることは、ものすごいお金がかかりますけど絶対に不可能というわけではありません。過去に実際に飼った方もいらっしゃいます」

 本当に実現した人、いたんですね…。

 体験談があるなら、自宅で飼うシミュレーションも困難ではないのかな。取材の中ではそんな気持ちもあったのですが、話はそんなに簡単ではありませんでした。

 実際に飼った人と飼われたピラルクがその後どうなったか、三谷さんら飼育員の方々が今も向き合い続ける、ピラルクという生き物の難しさとは…。続きは後編で。


広瀬聡子

後編はこちらから。

追記:ワシントン条約について

 前編の最後に、ワシントン条約の話をしておきます。国際的な取り決めのお話なのでちょっと難しいのですが、大切なことなので、できるだけ噛み砕いて書いておきます。

 ワシントン条約は、絶滅の恐れがある野生の動植物が、必要以上に国際商取引に利用されないようにしましょう、生き物の数を減らさないようにしましょう、という国同士の取り決めのことで、日本もこれに参加しています。

 生き物の種類によって規制の厳しさが異なり、付属書1〜3に分けられています。わかりやすい生き物で言えば、オランウータンやジャイアントパンダなどが最も厳しい付属書1(以下①)で、ピラルクは付属書2(以下②)に指定されています。

 輸出する側の国の許可証があること、また経産省に事前確認書を送って、許可証が輸出国が発行した本物であると確認が取れたら、通関できるシステムです。

 規制が最も厳しい①の生き物だと、個体登録といって、輸入した人にID(登録表)が付きます。売買などによってその個体の所有権が誰に渡ったかは全て届け出が必要で、国が把握することになります。IDなしで売買したり、届け出を怠ったりすると、種の保存法違反に当たります。もちろん、きちんと手続きを踏んだ上でのことですが、 ②は登録票がなく、①に比べれば規制が緩やかであるということです。