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いろんな「発祥の地」をめぐる〈スポーツ編〉 洛中洛外を(もっかい)(一人で)あるく・その漆

 2009年4月から1年間、京都新聞市民版で連載した「中村武生さんとあるく洛中洛外」。京都在住の歴史地理史学者の中村武生さんが、京都のまちに残る秘められた歴史の痕跡を紹介する内容だった。連載当時、中村さんと京都のまちを歩いた担当記者が、今度は一人でもう一度、興味のむくままに歩いてみた。

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いろんな碑が登場します

 「鳴くよウグイス」でおなじみ794(延暦13)年の建都以来、明治維新まで日本の中心だった京都。明治以降も学生の街として、新たな風を起こしてきました。そんな京都だけに、いろんな事象の「発祥の地」としての側面もあります。街中にある石碑やオブジェなどから、そうした歴史をたどるのも面白いかもしれません。というわけで、今回はスポーツをテーマに「発祥の地・京都」を歩いてみましょう。

 まずは、京都市中京区の三条通柳馬場角にあるこちらから。京都YMCAの建物横に建つ「京都バスケットボール100年」のモニュメントです。過去の本紙報道などによると1915(大正4)年、旧制京都一中の教師だった佐藤金一が中心となって、京都YMCAの体育館で国内初のチームが結成されたそうです。

「100th」と刻まれたバスケットボールと、そのボールをシュートしようとする手という、かわいらしいデザインがほほえましいです。チーム結成100年目となる2014年に設置されました。

京都YMCAに建つ「京都バスケットボール100年」のモニュメント(京都市中京区)

いかにも「野球小僧」という感じ

 ほほえましいといえば、こちらもそう。YMCAから南西に歩くこと約20分。下京区高辻通室町西入ルの旧成徳中学校にある「軟式野球発祥の地」像です。右手でバッドを小脇に抱えて、左手にはグラブとボール、頭には野球帽をかぶった男の子。高さ1.2メートルのブロンズ像です。

軟式野球発祥の地を示す像

 軟式野球のボールは1918(大正7)年に文具店主だった鈴鹿栄さんが中心となり、「こどもたちが気軽に安全に」という思いから開発されました。翌年にそのボールを使った少年野球大会が開かれます。「軟式野球」の誕生です。

 京都市スポーツ少年団野球連盟が発足25周年を記念して、設置。宝が池公園少年スポーツ広場にも、同じ像が設置されています。さて、次へ向かいましょう。目指すは、東海道の起点・三条大橋。

大河ドラマでも紹介されました

 三条大橋の東詰にあるのが「駅伝発祥の地」です。日本人の心をがっちりつかんで離さない駅伝は、この三条大橋をスタートとして始まりました。大会名は「東海道駅伝徒歩競争」。文字通り、東海道を走破するレースで、ゴールは東京・上野の不忍池でした。

 「関東組」と「関西組」で競われたレースは約500キロで丸二日間かけて実施されました。NHK大河ドラマ「いだてん」の主人公・金栗四三かなくりしそう氏を擁した関東組が激闘を制しました。 

中央の穴から顔を出して写真を撮影できるそうです

 このレースが実施されたのが1917(大正6)年。「発祥の地」の碑は、その100年後の2017年に設置されました。

目指すは世界遺産の境内

 最後に訪れたのは、世界遺産・下鴨神社の「ただすの森」にあるラグビー「第一蹴の地」の碑。2017年に新社殿が復興された「雑太社さわたのやしろ」の前に設置されています。

 碑の由来は、1910(明治43)年。当時、国内には慶応大にしかラグビー部がありませんでした。戦う相手を求めた慶応大ラグビー部員たちは、京都に到着。部員の一人の縁者がいた旧制三高の生徒数人が、ここで初めて楕円形のボールを蹴ったのだそうです。

 ほどなくして三高にラグビー部が誕生すると、同志社や旧制一高(現洛北高)などにもラグビー部が生まれたのだそうです。これを記念して1969(昭和44)年に三高ラグビー部OBが中心となって、碑が設置されました。

 さて、この雑太社ですが、石碑にちなみラグビー関係者が必勝祈願に訪れます。絵馬もさい銭箱もラグビーボールを模しています。おもしろいですよね。

 そして、ラグビーに詳しくない筆者でも知っている人の名前も見つけました。

この2人なら、筆者も知ってます

 いかがでしたでしょうか、今回の「発祥の地」特集。テーマを変えれば、ほかにもいろいろなものが見つかるかもしれません。


佐藤 知幸


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